05 大義ある寄り道



 予鈴が鳴る直前、楢崎が駆け込んできた。

 映有の姿を見るなり、大股で駆け寄る。立ち話をしていたかすみから引き離され、窓際の隅まで連行された。


「sleck見た? 今日、スーパーの下見… なんだけど、ちょっと問題があって、俺行けないから、頼んでいい?」

 自転車を駐輪場に乗り捨て、走って来たであろう楢崎からは蒸気と共に汗の匂いが立ち上る。


「見た。けど、問題って? 大した問題じゃないなら、断るよ?」

 勢いのまま、映有のパーソナルスペースを侵害する楢崎を腕で押し返しながら、答える。


「オンラインの面接練習の予約が、変更になっちゃったんだよ。今日を逃すと、間に合わない。な? 大問題だろ?」

 来週の入試の話は、楢崎も他のクラスメイトには言っていないらしく、声を顰めて言った。


「… 大問題だね。女子だけで行けばいい? 私、何をどのぐらいの量仕入れるのか聞いてないけど… 」

「あれだ、皿のサイズを決めて、一皿何グラムか決める。で、何皿出るか需要予測して、原価と利益をいい按配にしてやってよ」


「そこから?!」

「そ」

 楢崎は申し訳なさそうな顔をしているが、映有が断ると思っていないのは見え見えだ。



「座るよ」

 片隅で押し問答している楢崎と映有に場所を譲るように言ったのは、シュウだった。


「悪いな!」

 楢崎はシュウと映有のそれぞれに詫びると席に戻って行った。





 その日、休み時間は、寝込んでいた間に進んだ授業の内容を確認することに明け暮れた。そして、休み時間の度に、食材仕入れチームの女子三人衆が代わる代わるやって来ては、何かしらの理由をつけて、今日は下見に行けない旨を説明した。


 それなら、むしろ一人の方が気が楽だ。日を変えるよりは、予定通り今日決行するべきだ、と結論づけた。

 かすみが手伝うと言ってくれたが、一時間掛けて電車通学しているかすみにスーパー巡りを頼むのは忍びなく、丁重に断った。


 帰り支度をしていると、後ろの席のシュウが伸びでもしているのか、映有の椅子の脚の左右にシュウの足先が現れた。


「田中さん、この後、空いてるけど?」

 後ろから、声がする。


 振り返ると、案の定、椅子に浅く座り、背もたれに背中を預けて伸びているシュウがいた。


「えっと、仕入れの下見の話をしてくれてる?」

 シュウは上体を起こし、前のめりに机の上に肘をつく。

「そう。一人でやるのは、お人好し過ぎでしょ?」


 朝の楢崎とのやり取りから、断り三連発まで、後ろの席で見届けていたのだろう。


「まあ… 」

 気の弱い女だと思われたのかと、なんだか居心地が悪い。一人の方が気が楽だ、と言い返そうかとも思ったが、楢崎の言っていたシミュレーションをしながら、今日の目的を果たすなら、シュウは役に立ちそうな気がする。


「じゃ、出発しよう」

 映有が断らないと判断したのか、シュウは先に立ち上がる。


「… 待って! 私、断れない女じゃないからね!」

 ありがとうと言うべきところかもしれないが、素直にそうは言えなかった。

 シュウは笑いながら映有を見下ろしたが、映有の言葉には答えなかった。




   §




 駅前の百円ショップとスーパーで、小さめの紙皿、紙コップ、プラスチックのフォーク、料理用のスケールを調達すると、バスに乗って目当てのスーパーに向かった。


「あのさ、迷わず買い物してるけど、今日の目的と段取り、イメージついてる?」

 バスに揺られながら、シュウに話しかける。空いていた席に映有が座り、シュウはその隣りに立っている。


「え? もう一回言って。僕、耳、あんまり良くない」

 バスの走行音とアナウンスで映有の声はかき消されたようだった。

 シュウは吊り革から手を離すと、映有のシートの横の手すりに手を掛け、かがみ込んだ。その時、ふわりと爽やかなシトラスが香った。


「段取り、イメージしてる?」

 近づいてきたシュウにもう一度訊ねる。


「してる。わらび餅を1パック買って、皿に載せて計って、1パックが何皿分か計算する。同じように2Lのペットボトルから紙コップ何杯分取れるか計算する。今日はそれだけ。後は、会計担当が去年の模擬店の収支計算書から利益率を試算して、内装、外装、衣装にかかる費用を確認して原価に入れたら、プライシングの材料は揃う。楢崎は需要予測って言ってたけど、利益を最大にするための経済活動じゃない。文化祭の模擬店は食材を余らせるリスクを負うよりは、早めに品切れにしたらいい」

 まあまあ近い距離で、シュウは一気に捲し立てた。


「… うん。段取り、それでいいと思う… 」

 思った以上に、はっきりイメージしていて驚いた。


 原価?プライシング? 意味はわかるが、普段使わない言葉であるし、よく、あんな風にスラスラと喋るものだ。感心してシュウの顔を見つめる。


「… ほんとに、いい? 今のは僕の意見なだけだから… 田中さんのやり方でいいよ」

 顔をしげしげと見ているのを、不満があると思ったようだった。


「うん、いい。それで行こう!」

 不満はないと示すために、サムアップして見せる。


 大袈裟な映有の仕草に今度は、シュウがしげしげと映有を見つめ返し、映有は、何度も頷いて、笑顔を見せる羽目になった。







「で、コレ、どこで皿に取り分ける?」

 スーパーで想定していたわらび餅とジュースを買い、店を出ると、小雨が降ってきた。雨は降らない予報だったにも関わらず。



「公園のベンチでも… と思ったけど、雨か… そこは?」

 シュウはスーパーの庇の下のベンチを指差した。


 ベンチの両端に座り、二人の間にわらび餅と紙皿、スケールを並べる。

「紙皿を先に載せて… 」

「はい… 」

 映有が竹串を使って皿に餅を載せていく。


「… ね、多いんじゃない?」

「え?」

 皿のサイズとのバランス感を見て盛り付けたつもりだが、シュウから指摘された。


「それじゃ、1パック三皿分にしかならない」

「そうだね… 」

 仰る通りだ。


「お客さんは、模擬店で、お腹いっぱいになりたいわけじゃないからね?」

「そうだね… 」

 言われるまま、三分の二ぐらいまで量を減らす。


「これぐらい?」

「うん。これなら、1パックから、5皿。まあいいんじゃない?」


「皿、もう少し小さい方がサマになるかな」

「まあね… 」

 映有は皿を眺めて直径はあと二センチ小さくてもいい、と考えていたが、シュウは見栄えはどっちでも良さそうだ。

「お皿、大きいと、たくさん盛り付けちゃって、原価狂うよ」

「確かに。小さい皿探そうか」

 シュウが納得する。気乗りしなかったのは、皿を探し直す手間が惜しい訳じゃなく、買い直す必要がある理由なのか、と映有も納得する。



「次、飲み物ね」

「実はだいたいわかる。180ccぐらい、一本で11杯取れたら完璧」

 シュウはお茶のペットボトルを取り出すとキャップをひねる。


「何情報?」

 ペットボトルを受け取った映有は喋りながら、お茶を注ぐ。

「中学の調理実習の記憶」

 

 映有は小ぶりの紙コップを差し出す。

 この前、イヤホンカバーを貰う時に、手が触れてしまったことを思い出し、中指と親指だけでカップを掴んで、受け取りやすいように配慮する。


「ありがと」

 シュウは映有の指ごとカップを受け取る。ちらりと、シュウの顔を覗くが、気にする素振りはない。


「受け渡し用のトレイも百均で買おうか… 」

「そうね。必要」

 シュウは何でもよく気付く割に、指が触れ合うことには無頓着である。


 実務的な方向に話を持っていったシュウの顔をちらりと見たが、真面目な顔でsleckにメモを投稿している。

 真面目で、かなり気の利くタイプだが、こういうところは無頓着なのか、と納得する。


 シュウが顔を上げると同時に、映有のスマートフォンに通知が来る。



ーーーーーー

全体スレッド

SHU: 要検討!配膳方法 @内装スレッドメンバー 全体レイアウトと、キッチン、受け渡しカウンター、テーブルの導線を早めに共有ください @会計 配膳、下膳に使用するトレイを予算に追加してください

ーーーーーー




「ありがと! 私が投稿しないと… だったのに」

「どっちがしても、同じだし」

 わらび餅を頬張りながら、シュウが答える。


「お! シュウ!」

 その時、一台の自転車が二人の前にやって来た。雨合羽から雨を滴らせた男子だった。


「おう」

 シュウが片手を上げる。


「あ、エーユーも、こんにちは」

 彼は雨合羽のフードを取って挨拶する。


「あ、槙村くんか、こんにちは」

 二年の時のクラスメイトだった。


「文化祭の何か?」

「リサーチ… かな」

 他のクラスに模擬店の内容を話していいのかわからず、思わずシュウの顔を見る。


「お茶とお菓子で休憩中。お前も食う?」

 シュウはわかってるのか、わかってないのか、わらび餅を槙村に差し出した。


「ありがと。座っていい? 自転車のままじゃ無理」

 槙村は自転車から降り、シュウにベンチの真ん中に寄るように言う。映有がシュウとの間に置いていたコップやスケールを片付けると、シュウは槙村に場所を譲る。男二人が詰めて腰掛けるとベンチが揺れ、また、ふわりとシトラスの香りが映有の方に流れてきた。

 


「狭い… お前のカッパで俺が濡れる」

「我慢しろよ」

 男二人で楽しげにわちゃわちゃとやっている。

 槙村と話すとき、シュウは男っぽい話し方であるし、自分をと言っているのは新鮮だった。映有と話すときは、丁寧に話しているのだろう。


「仲いいね」

 二人のやり取りは微笑ましく、映有はぼそりと呟いた。


「まあね。小学校が一緒。俺が引っ越ししたから、中学は別で、高校でまた一緒」

 槙村が答える。

「かれこれ、12年」

 補足するために振り返ったシュウの口の周りにはきな粉がついている。


「大親友なんだね」

 きな粉が気になるものの、見なかったことにして相槌を打つ。


「おい、きな粉、きな粉! ほんと、食べるの下手くそだよな!」

 槙村が騒ぐと、シュウは慌ててポケットをまさぐる。


「ティッシュあるよ」

 さすがに、今度は手に触れないだろう、と少し身構える。

 シュウは礼を言いながら、映有が凝視する中、映有の指からティッシュを抜き取ると、急いで口元を拭う。


 映有がぼんやりとそれを見ていると、映有の視線をきな粉がまだ付いていると指摘していると思ったのか、シュウは映有を見つめ返しては、口元を指差す。映有は首を横に振り、もう付いてないと示すが、それなら、何故見ているのか、とシュウは目で問いかける。


「もう、付いてないよっ!」

 視線の応酬にキリを付けるため、映有は口を開く。


 口にしなかった言葉が理解され、映有も理解できるシュウとのコミュニケーションの不思議に気づく。志望校の話をした時もそうだった。



 


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