03 恣意的な道



 登校できたのは、結局翌週の半ばだった。


 熱が下がりきるまで、日数が掛かり、元々大してなかった体力もすっかり落ちてしまった。


 普段は使わないバスと地下鉄を乗り継いで、学校の最寄駅で降りる。朝の満員のバスや電車、地下鉄の階段の上り下りは想像以上に体力を使った。

 人の流れを避けながら、地上に上がる階段の手前で立ち止まる。少し息が上がっている。


 サラリーマンや、いくつもの学校の制服の人の波をぼんやり眺めながら、一息つく。映有の高校の制服も何人か通り過ぎていく。


 電車通学が苦手なのは、途中で会った誰かと、世間話をしながら歩かなくてはならないことだ。映有は人見知りを隠して、社交的なフリをして生きている。おはよう、なんて声を掛け、掛けられ、そのまま話しながら歩く方がいいのか、挨拶だけして別々に歩く方がいいのか判断し、話しながら歩くなら、共通の話題が何か考え、適当な相槌を打ったり、話を膨らませたりすることに気を配るのは、はっきり言って苦痛である。


 その点、自転車通学は自転車置き場に着くまで、一人の世界を堪能し、自転車を降りた時に、社交スイッチをオンに切り替えればいい。


 挨拶だけで終わらない相手に遭遇しないといい、と思いながら、息を整えた。


「田中さん?」

 歩き始めようとした時、不意に声を掛けられた。

 振り返るとシュウだった。


「お…はよう… 」

 声が掠れた。


「おはよう。大丈夫?」

 駅の喧騒でシュウの声は聞き取りにくく、髪を耳に掛けながらシュウを見上げた。

「もう大丈夫。ちょっと体力ないけど。ご心配掛けました…」

 映有が答えると、シュウも聞こえにくかったようで映有の方に少し肩を下げた。身長差の分、縦方向にも距離があり、それを縮めてくれているようだった。

 これは、挨拶だけじゃないパターンだ、と身構える。


「荷物持とうか?」

 シュウは少しだけ映有の方に傾いたまま言った。


「リュック持てないぐらいなら、さすがに休むよ… みんなみたいにサクサクは歩けないけど… 」

「裏道使う?」

 シュウは映有の歩調に合わせて歩く。

「うん… 」


 最寄駅から映有の高校まで、いくつかの道がある。

 大通りの広い歩道は学校までの最短距離で、登下校時は生徒が数珠繋ぎに歩いている。

 歩道は狭いが、大通りの西側に裏道もある。街路灯が少ないため、日が暮れた後は推奨されない。また、住宅があるため、大声で喋りながら歩かないようにと学校からよく指導が入る道でもある。

 シュウの言うように、数珠繋ぎになる道で渋滞を引き起こすよりは、裏道を自分のペースで歩く方が良かった。


「メッセージくれて、ありがとう。あとイヤホンカバーも助かった」

 共通の話題と言えば、sleckの話か、イヤホンカバーの話しかない。

「ああ… 田中さん、クラスのグループチャットに入ってなくて、LANEもわからないし、あっちで送った」


「… そうなの。LANE苦手で… 」

 その話は苦手だ。一度リセットしたLANEの交友関係をまた拡げたくはなかった。


「休む前の日、具合悪そうだったし、ちょっと気になって… 」

 あの日、どうやって帰って来たのか記憶が曖昧だ。


 順に記憶を辿る。

 シュウと教室から一緒に出た。

 ぼうっとしていて自転車は危ないと彼に止められた。

 自転車を置いてバスに乗った。


「あ、私、バス停まで送って貰ったよね。今、思い出した… ごめん。ありがとう… 」

 バス停からよく歩いて帰って来れたものだ。さっぱり記憶にない。


「気にしないで。ホームルームの時から様子おかしかったよね。田中さん、三回名前を呼ばれても気づかなかったでしょ?」


「… 三回も?」

 窓を見ながらぼうっとしていたのは間違いない。その時、シュウと目が合ったのは、映有が名前を呼ばれている状態だったからか、と思い至る。



「週末、模試じゃなかった?」

 シュウが新しい話題を振る。

「私は受けてない。国立大向けのだったっけ?」

「そうだね。クラスの半分ぐらいは受けてたよ」


「受けた?」

 エーユーと呼んでと言ったのに、シュウは頑なに田中さん呼びを通している。逆にシュウと呼ぶように言われたが、日が開いたせいもあって、呼び辛い。名前を呼ばないで済むように、言葉を選ぶ。


「受けたよ」

 映有は受けてないから、この会話はもう拡がらない。病み上がりで頭の回転も鈍いし、今までのシュウとの接点の少なさから、話の拡げようがない。


「東京? 関西?」

 唐突にシュウが訊ねる。志望校の話のようだ。


「東京、行ければ、ね」

 東京の私大が第一志望だ。志望校の話は、皆が避けているのに、この話の流れなら、映有の志望校など、二つか三つぐらいに絞りこまれたようなものだ。話し損な気がする。

 眉根に力を入れてシュウを見上げた。


「僕も東京… の国立」

 涼しい顔をしてシュウは答えるが、映有の表情に気づいたのか、付け加えた。


「自分から質問しておいてって顔してるね… 最難関だよ」

 真面目な表情しか見せないと思っていたシュウは、眉を上げ、これで映有の気は済んだか、とでも言いたげに笑った。


「… 言わせたみたいでごめん… 応援するよ」

 言葉にしなかったことまで汲み取ったか、と彼を見直す一方で、つまらない感情をぶつけた自分を反省し、それでも横柄に答えた。

「田中さんもね。体調管理は基本中の基本」

 映有の鷹揚な返しに頬を緩ませながら、最後は名実共に上から目線の言葉が返ってきた。




   §



 教室に入ると、シュウと別れ、スマートフォンを取り出す。

 休んでいる間に席替えをしたらしいのだ。かすみからのメッセージを表示しながら、窓際の後ろから二番目を確認する。机の上には誰かが付箋に書いたメモが置いてある。


--

AUの席

--


 付箋を剥がし、リュックの中身を引き出しに入れる。

 ロッカーに残りの荷物を置きに行きがてら、周囲のクラスメイトと挨拶する。シュウがロッカーを使い終わらないと、映有のロッカーは開けられないだろう、とあえてタイミングをズラしたのだ。



 そうこうする内に、かすみも間もなくやって来た。


「おはよ! もう大丈夫?」

「おはよう。心配かけてごめん」


 教室の後方から、教室全体を見渡しながら話す。かすみは、映有の斜め前の席であるらしい。


「ね、席、近くにしてくれたの?」

 かすみに、小声で訊ねる。


「まあね。最初、ハルの席の場所のクジを引いたのは、やっさんなんだけど、日焼けしたくない、って言うから、こっそりハル用だったクジと交換してもらった。近くなるし」

 かすみはドヤ顔で答えた。


「え? やっさん… 野球部じゃん。何言ってるか意味わかんない… 」

 ボソボソと二人で話しながら、やっさんを目で探す。廊下側の真ん中あたりの席で、何人かの男子と共にふざけ合っている姿が目に入る。

 

「ほんとね。既に真っ黒だよ… 夏休み、部活に"指導"しに行ってたらしいよ、受験生だって言うのに… 」

 かすみの言葉を聞きながら、"指導"の賜物を眺めていると、やっさんと同じ輪にいたシュウが顔を上げた。彼の長い前髪の隙間から、ちらりと映有の方に視線が向けられた。


「あ、映有の後ろ、白鳥だよ」

 シュウの視線にかすみも気づいたのか、シュウの名前を出す。


「え… 」






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