1-6
しばらくSallyから連絡はなかった。あんまりにも長文を送ったせいかもと、わたしは自分自身の音楽オタク特有の早口っぷりを悔やんだ。
夕飯に鍋ラーメンを食べて、追加のコーヒーを飲んで、ベランダで夜風に当たっていても。頭の片隅にすこしだけ彼女のことがあった。
夜、一〇時くらいからいつも創作意欲は湧いてくる。近所のTSUTAYAで借りてきた一週間で千円のレンタルCDをかけながら、一人ありもしない歌詞をノートに書きつけていた。
†
溶解した朝に、たまに墜ちたいと思う?
進化した猿は嘘をつくよ
線路沿いを走り、不意に落ちたいと願う?
進化した猿がそうするように
†
「なんだろ、進化した猿って」
自分で書いていてなんだって、なんだ。
適当にギターを鳴らしながら、メロディを歌ってみる。悪くないけど、なんだかオブラートから隠しきれない『あの匂い』が少しイヤになった。
*
しばらくSallyから連絡はなくて、わたしはいつものように大学に行った。一限を受けてから学食で早めの昼を食べ、三限と四限の必修を受けたら帰る。時間はまだ夕方にも差し掛からないころで、むしろ入れ替わりのようにサークル棟に押し寄せる学生の方が多いくらいだった。
日課というか、そういうわけじゃないけど。大学の最寄り駅から少しだけあるいて、いつも御茶ノ水の楽器屋街を覗きに行く。別になにを買いに行くわけでもないけど、ただ楽器に囲まれると楽しかった。それだけ。あとたまに一人で爆音を鳴らしたいときにスタジオを借りるくらい。
「また冷やかしが来てる」
行きつけの千島楽器。御茶ノ水のメインストリートから少し外れたそこで、ギターを眺めるわたしに彼はそう言った。
無造作にツンツンと突き立ったイガグリ頭に、使い古した濃紺のエプロン。指先からはタバコの臭いがツンと香る。
「森さん、まだバイトやめてなかったんですね」
店内に一歩入り、入口近くのエントリーモデルの陳列棚に分け入る。タバコの臭いがいっそう強くなった。
「うるせェ、オマエこそまだ一人かよ」
「別にいいじゃないですか。わたし、一人でやってるほうが好きなんで。それと森さん、タバコ臭いです」
「オマエに言われたくない」
「わたしは吸ってないです」
一蹴し、奥のギター弦のコーナーへ。エリクサーのライトゲージ、それの三セットパック。それだけ買って帰るつもりだった。
誰かが試奏する音。遠くで高校生っぽい女の子が富士弦のベースを抱えて、必死に音を鳴らしている。弦を指で押さえるのが精一杯って音。なんだか可愛らしくて、でもすごく初期衝動的で、居心地のいい音。わたしはそれに耳を傾けながら、レジ脇にある掲示板に目を落とした。ちょうどこの先にある階段を降りると地下のスタジオに入るのだが、その手前にメンバー募集掲示板がある。もっとも、いまどきこんなんでメンバーが集まるワケないんだけど。去年の夏に見た募集がまだ残ってるくらいだし。『当方ギターボーカル。ほか全パート募集。カッコいいハードロックやりたいです』とかなんとか。ぜったいに集まらないだろうなって言うのが、透けて見えていた。
「そこにオマエの理想のバンドメンバーがいねえぞ」
って、森さんがツンツン頭と同じような声音で言った。
「このあいだオマエんとこのサークルのガキが貼り紙してったけど、ツイッターでメンバー見つけたからって剥がしに来たぜ。世の中そんなもんだ」
「別にメンバーが欲しいわけじゃないですし」
「宅録で一人続けるのか?」
「まあ。あ、あと、わたしもうあのサークルにいませんので」
「あっそ、知らねェよ」
そう、この人は知っている。わたしが以前手の内を明かしたからだ。わたしがかつてJune Amamiyaという名義で四曲入りの宅録EPをリリースしたことや、それ以来誰かと音楽を作るのが苦手で、他人に自分の作品に侵入されるのが苦手で、一人きりで音楽を作っていることも。そしてその曲のことも。
「雨宮、オマエの曲は悪かねェんだから、いい加減誰かと組んでみろよ」
「時が来たらそうしますよ。というか、そうなったら森さんがドラム叩いてくださいよ。昔組んでたんでしょ、バンド?」
「オレはもうやらねェの。しがない楽器屋のバイトでいいんだ。ほら、それ買うんだろ」
頷くと、彼はわたしの手から引ったくるようにエリクサーを取った。
「じゃあ、弦だけください」
「ああ、三五〇〇円だ」
「年々高くなりますね、弦」
「ベースはもっと高えぞ。そのうちそっちのベースの嬢ちゃんもヒイヒイ言うだろうよ」
ちょうど、きっかり。お札と五百円玉。「まいど」って彼はレシートを持って寄越す。
「また曲できたら、聴かせろよ」
「もうCDもサブスクも、サンクラにもあげる気ないですけど」
「どうして?」
「決まってます。どうせわたしがスミスのカバーをあげたりしたところで、それは『スミスが好きな女子大生』って色眼鏡でしか見られないのだから。わたし、本当は八〇年代か九〇年代に青春を過ごす少年になりたかった。それなら心置きなくギターを弾いてたと思います」
「はぁ……。おまえ、『ミッド・ナイト・イン・パリ』って映画見た方が良いぞ」
「知ってます。でも、わたしはそうじゃないです。そうですね、願わくは、九〇年代のオルタナバンドになりたいですね、わたしは」
じゃあ、ってわたしは森さんに手を振って店を出た。その言葉は割と本心だったと思う。
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