M1
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2017/6/29
サークルに退会届を出した。と言っても、今の今まで本当に書面上に、というかあらためて面と向かってそんなことを言い出したのは、わたしが初めてだったらしい。わたしもそう思う。だって、わたしも実際に「もう部室に行くまい」と心に決めたとき――それはもう一年近く前だ――ですが、退会届を書こうなどと思わなかったのだから。
だからこれは、一種の気の迷いであり、わたしなりのケジメだ。
ともかく、わたしはこの大学軽音楽サークルというものの一切から足を洗ったのだ。
別に音楽がしたくないわけじゃない。むしろ逆。ただわたしは、彼らと同じような温度感で、誰かと一緒にやるのがイヤになった。それだけの話だ。
「わらえる、ふつうに幽霊部員すればいいのに。雨宮さんって、そういうとこシッカリしてるよね」
タバコと、アルコールの饐えた匂いのする部室で。もう革張りがベロベロになったソファーに横たわって、彼――岡崎先輩が言った。部室には彼一人だけだった。四限目ぐらいの半端な時間だったし、水曜だったし。
彼は傷だらけのフェンダー・テレキャスターをハードケースに仕舞い込んで、それから薄っぺらいテーラードのジャケットからマルボロを一本抜いた。抜き取ると、彼はわたしに「雨宮さんもどう?」と言わんばかりに突き出す。
こういうとき不躾かもだけど、わたしはそれをもらい、ジッポも借りて火を点けた。でも、正直マルボロのメンソールは好きじゃなかった。
「音楽、続けるの?」
「ええ、いちおう」
「ほかのサークルに入る? どこにも所属しない? それとも学外の人とバンドでもやるのかい?」
「いえ、しばらくは独りのつもりです。わたし、そのほうが好きなので。これまでもそうしてきたし」
「あはは、雨宮さんらしいね、それって。確かに雨宮さんクソ面倒臭いもんね」
先輩はマルボロを一気に吸い込み、半ば咳き込むようにして息を漏らした。
「流行りのチャラチャラしたものは気にくわなくて、もう何十年も前の遠い異国のロックンロールに憧れている……。ほら、スミスとかストーンローゼズとか、ヴェルヴェッツ、テレヴィジョンとか、あとトーキングヘッズも聞いてるって言ってたじゃん。でも、同族嫌悪でそういうのをマネしてるやつも嫌い。面倒臭いサブカル好きの典型だよね、雨宮さんって」
「その通りだと思いますよ」
その喋り方、鼻についた。
どうして男っていうのは、一回だけ女を抱いたくらいで、さもその人物のすべてを知った気になるんだろう。彼の音楽的なセンスは好きだったけど、人間としての彼がわたしはダメだった。まあ、おそらくやめる原因の一つは彼にもあると思う。たかだかセックスをしたくらいで、世の男は全ての理解したつもりで、達観した目で語ってくる。それが本当にイヤだった。わたしの作品の何一つだって理解してないくせに。
わたしは吸い止しのマルボロを灰皿にねじ伏せて、冷や水でもかけるみたいにもみ消した。そしてそのまま踵を返す。
「そういうわけなんで、もうここには顔出しません」
「うん、りょうかい。あ、でもさ、たまにはウチのバンド見に来てよ。このあとさ、下北でやるんだけどさ。ほら、このあいだ言ってた知り合いのバンドのレコ発。僕らは四番目だったかな、よかったら来てよ。今日は『Ruv4Sale』ってバンドでギターボーカルするから」
「行けたら行きます」
「あは、それぜったいに行かないやつ」
立て付けの悪い扉を閉める。
わたしは染みついたマルボロの匂いを振り払うように、すこし足早にサークル棟を駆け下りた。
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