ep.6-2.子毛の町《こげのまち》

あたりが薄暗くなる中、子毛の宿へ向かう山道を杖を頼りに歩きながら、石は助五郎のことを考えた。


穏やかな声、明朗らかな雰囲気、真っ当な商人を装っていたが、体の奥底から出る臭いは完全に消せてない。

裏社会の悪党に棲み憑くという悪霊が出す臭い。

罪を重ねれば重ねるほどその悪臭は強くなる。

その悪霊は、取り憑いた者やそのまわりの者達まで肉も骨も心も腐らせ、人を壊していく。


(どんなに消そうとしたって、体に染みついた悪臭はなかなか消せねぇものだな)


石の身体にもとり憑いた悪霊それ。 

ひとをあやめて、人を裏切り、まわりの人間たちを危険に晒してきた。 

必死に生き抜いてきただけで、そんなことを望んだことなど一度も無いが、人生を狂わされた人達や大事な人の命を奪われた人には、言い訳にならない。

いまとなっては取り返しがつかない過去、贖罪するすべは、もうない。


(考えるだけで気が滅入っちまうな..…、そうだ…しかし由と会えたのは幸運だったなぁ、良い人のようだから…)


助五郎のテリトリーの子毛の町に、弦を連れて滞在するというわけにいかない。

とはいっても由の家から子毛へ毎日通うのは不便だし、子供がいる家だ。

夜中最中よなかさなかに出かけるの迷惑だろう。

弦は、宿代代わりに由の水茶屋の手伝えばいいし、自分は寝れさえすればどこだっていいのだから、一番安い宿を見つけて、そこから按摩仕事に精を出すことにしようかと考える。


(弦は、しばらくあの家に置いてもらうことにしよう…由になんて頼めばいいかな?)


杖で探りながら、子毛山道をてくてく歩いてきた。

陽は暮れ、昼間の仕事を終えた人達が家路につく時間帯。

帰る人とのすれ違い、遠くから遊ぶ子供を呼ぶ、母親らしき声がしている。

初春から初夏の頃は日が暮れるのが早いものだ。


子毛の宿へ着いた頃には、陽は落ちあたりは暗くなっていたが、その時間はまた町が夜の賑わい始める頃だった。

町を流れる川べりにいくつかの屋台がたち、大通りには宿屋や飯屋、春売りのところへ連れて行く客引きもいるようだ。 

人の往来も、地方にしてはかなり賑やかだ。


(へぇ‥賑わってんなぁ..)


石は、久しぶりの酒の匂いや飯や魚の匂い・女の匂い。

喧騒、人の話し声笑い声を聞きながら、ゆるゆると町を歩いている。

もっと寂れた田舎の宿場町を想像していたが、かなり活気がある所のようだ。


子毛に入ってから自分の後を追う誰かに気付いていたが、この宿場町への好奇心のほうが勝ち、尾けて来るのやつを捕まえるのは後回しにて、ウロウロと町中をひたすら歩き回る。


しばらくして、だいたい宿場の空気にも慣れ、そろそろ後ろを尾いてくるやつを、どうにかしようと思い始めた。

何が目的かわからないが、主人を追いかける飼い犬みたいにずっと追いかけてくるので、少し興味も沸いてきた。


あちこち覗き込んでは出ていくを繰り返す、石の後ろをピタリとついてくるのだから、おそらく間違いでは無いだろう。

川っぷちで足を止め、座って草履の紐を、ゆっくりと結びなおしてみる。

すると尾いてきたやつはここぞとばかり近づいてきて、かがむ石のそばに立つ。


「多の屋の旦那がお前を連れて来いとよ、屋敷まで一緒に来てくれ」


そいつはなぜか微妙に声を震わせながら言った。


(なんだ、助五郎の手下か..)


「分かった。案内あないしてくれ」


石がアッサリ返事をすると、そいつは、ほっとして安心したようだった。

ゴネられて、面倒なことになるかもしれないと考えていたのだろう。


(そんな肝の小せえことを考えてたから、声をかけるのを躊躇してたのかよ...)


「あんた、名前は?」


半ば呆れながら石が男に聞いた。


八助はちすけだ、・・・お前、目が見えねぇんだろ、俺が連れてってやる。」


八助は石の腕を取ろうと、自分の手を伸ばしてきた。

石はその手をやんわりと退けた。


「勘弁してくれ、男同士で、お手々繋いで歩くなんてな、あしの趣味じゃねぇんだ。」


「馬鹿が、俺が引っ張らなくて、どうやって見えねぇお前が屋敷に着けるんだよ」


八助もオヤジの腕など取りたくなかったが、早く連れて行きたいのに、これ以上勝手にウロウロされたら堪らねぇと思っていた。

せっかく気を回してやったことを断られて、仏頂面の八助。


石は、八助の心情など気にしない。


(《屋敷》か…、ずいぶん助五郎は羽振りが良さそうだな..どんな悪どい事をして稼いでいるのやら)


八助は、無言で石を睨み突っ立ってる。


「ほら、あしの心配は要らねぇよ、案内あないだけしてくれ、前を歩いてくれりゃ、勝手について行くさ」


石は、杖で不貞腐れてる八助を遠くへと追いやる。


「ほら行こうぜ、《はちすけ》さん」


「バカやろう」


悪態をつき、八助は石の前を歩き出した。


町の大通りから筋違いの静かな通りに入った二人は、列をなすように歩く。

石には見えないが、通りの両側には立派な家々が並んでいて、ぽつぽつと灯りが点っている。


「まだ全然、川から離れてない気がするが、旦那は川に住んでるのか?」


「馬鹿か?てめぇは、あそこから一里〔約4㎞〕は歩いてきたろうが、そんなのじゃ歩いたうちに入らねぇってか?貧乏人は無駄に足腰が強えな!」


(上手いこと言うなこいつ。...あそこから半刻〔約1時間〕くらいか、まあまあ離れてるな...)


この町に滞在している間は、出来るだけ助五郎と関わりたくない。

あれが町中だとすると、それなりに助五郎の屋敷から離れているようだ、そのほうが都合がいい。

石は耳をそばだて、まわりの様子を伺う。


「静かだな。ここは墓場か?」


「くだらねえことばかり言いやがって、この辺りはてめぇなんがが逆立ちしたって、一生住めやしねぇ、偉い人が住むところだ。偉い人ってのは、夜は静かに行儀良くしてんだよ。」


吐き捨てるように言うと、急に足を止めた八助。


「疲れたのか?八助。貧乏人は足腰が強えって、お前の説は振り出しに戻ったな。新説は次に聞いてやるから、さっさと歩け」


なにも言い返さず八助は、ただ気味悪そうに石を見ている。


「....お前本当に見えてないのか?...そんな風にはとても思えねぇんだが…」


八助には、後ろを一定の距離を保ちピタッとついてくる石が、怖くなってきたらしい。


「本当は見えてるのさ。あれだろ?美味い酒、イイ女、豪勢な料理。早く行こうぜ、八助。食えるのあしだけだから、可哀想だからお前には鯵の骨をとり分けてやるよ」


ニヤニヤしながら話す石。

連続で揶揄われて八助も頭にきたようだ。


「馬鹿野郎、そんなわけねえだろ、クソ!」


怒って足早に歩きだした。


「たまには振り返れよー、あしは寂しがりだから。お前の可愛い顔が見えないと、拗ねて消えちまうかもしれねぇぞ」


「てめぇふざけんな‼ 見えねぇくせによ!」 


まだニヤニヤ笑っている石に、酒も飲んでないのに真っ赤な顔でいきどおる八助。

それでも多の屋の屋敷までの道すがら、石がついてきてるかを八助は何度も振り返った。


道が削れ穴が開いてようが、石に注意するわけでもなく、ただ付いて来てるか気にしてるだけのようだ。

親切心のかけらもない。


(やれやれ、こいつはただのお使いだ。よっぽどあしが消えるのがおっかないのか。...いや、それだけ助五郎が恐ろしいということか…)


「早く来い!」

わめく八助。


「そう慌てるな八助、まだ宵の口。月が重い腰上げてようやく昇ろうかって時間だろ」


石が言うと、


「‥お前、・・ほんとに見えてねぇのかよ」 


空に上がりかけの月を見た八助は、さらに気味悪そうな目で石を振り返り見た。


石は記憶を辿り、裏社会で助五郎という名を聞いたことがあったかと考えていた。

だが、思い出す前に助五郎の屋敷に着いたようだ。


「旦那に、目暗を連れてきたって伝えてくれ」


八助は屋敷の玄関先に出てきた若い奉公人の女性に言うと、身を返して小走りに走り去るその奉公人の尻を鼻息荒く眺めている。


(とりあえず、面倒なことはさっさと済ませようかな)


八助の背後で、屋敷のなかの様子を耳をそば立てて伺いながら、石はひとり自分に言い聞かせた。

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