ep.7-1.石《いし》石と助五郎《スケゴロウ》

「奥の渡り廊下の一番先、《ラン》の部屋に連れて行け」


玄関の取次の上から土間の八助と石を見下ろす男。

八助と話をしているが、視線は石に向けている。

無表情でなにを考えているかを悟らせない。


「《ラン》の部屋ですか?弥切ヤキリの兄貴。俺はそこへ行ったことがなくてよくわかねーかもしんねぇ...」


最後のほうは消え入りそうな言葉になり、モゴモゴとなにか口走っている。


そんな八助を一瞥した弥切と呼ばれた男。

新橋色をした浴衣を着て、前で手を組み。

その二の腕からちらりと入れ墨が見えている。


「誰かに案内させてやる」


そう言うとくるりと振り返り去って行った。

奉公人の女性が現れ、その尻を追うようについていく八助の、その後ろについて、石は長い長い渡り廊下を歩いていく。


(ずいぶんとでけぇ屋敷だな…)


いつまで歩くのかと進む長い廊下はきしみも少なく、柱もふしくれのない良い木材を使っているようで、金をかけ建てた屋敷だとわかる。


五街道に置かれた、徳川幕府お墨付すみつきの宿場町クラスの屋敷なら分かる。

だが、子毛ここは人目を気にする者がひっそり通る、全国には名も知られてないような小さな宿場町。

 

そんな場所の一問屋の主人が住む屋敷にしては、立派すぎる。

もとは、本陣屋敷〔大名など身分の高いものが止まる宿〕だろうか?と思えるくらいに大きなものだ。

 

屋敷の奥の奥、座布団一枚と手枕を置いた首座があり、明かりのついた燭台がひとつ、ぽつんとあるだけの殺風景な三畳ほどの小部屋。

そこに石は通され、助五郎が来るのを待つ。


全く屋敷内の様子がわからないような、奥の奥にある隔離された場所。

密談には都合のいい暗く静かな部屋。


《ラン》とは盗人やテキヤの隠語とも言われる。

盗人が仕事の話をするための部屋、この部屋にはピッタリの名前だが、八助はそんな隠語の意味など知らないようだ。


燭台の上の油皿の火が部屋を照らし、その灯りにひかれて飛び込んだ蚊虫がヂヂッと燃えて灰になる。


石が来るのを見張らせていたのだから、助五郎が今か今かと待ち構えていてもおかしくない。

だが助五郎は、亥の刻〔22時くらい〕になろうかというのに、まだ現れなかった。 


(子の刻までに帰れって、弦に言われたんだがなぁ....、まぁ仕方ねぇ)


代わりに、暇は山ほどあるので、八助に探りを入れてみる。

幸い八助は口が軽い男で、言い悪いに関わらずペラペラとなんでもしゃべってくれた。


その話によると、この屋敷は尾張藩の代官でこの辺りの宿場町を管轄する、旗本寄合衆の和久わく家が建てさせたもの。

旅の大名や代官を泊めるため宿泊施設である本陣屋敷ではなく、和久家が別宅として構えたもので、冬以外の気候の良いときに訪れていたようだ。


普通に考えれば、御上から預かってるはずの宿場町を、一代官が私物化していることがおかしいが、それには理由がある。


まず子毛の成り立ちから説明しなければならないが、もともとこの地域は、木曽路の旅行者が休憩するだけの寄り合い施設があった場所。 

そこに、自然に人が定住するようになり町が形成されていく。 


宿場町の形を成した頃に、和久家の庇護を受けるようになったが、和久家は幕府に届け出ず、宿場町からの利益を独占した。

和久家の上司といえる尾張藩は、その上前をはねることで黙認。

幕府は子毛の宿こげのしゅくの存在を知らず、当然、幕府の管理下に置かれなかった。 


子毛の宿場町はその間、江戸時代の日本にありながら徳川家の支配下になく、独立採算でなり立っていた町という特殊な存在となっていた。


「お前は見えねぇから、この屋敷がどんなに立派なのか、分かんねえだろうがよ」


八助はだれも来ないとわかると、ハネを伸ばし、畳に寝転んでいる。


「和久家がこの宿場の利権カネを独り占めしていたから、この豪勢な屋敷が建てられてんだよ。..ただな、そんなに物事はうまくいかねぇもんでな」


あくびをしながら、八助は話を続ける。


「まぁ簡単に言うと御上にバレちまったわけ。 家は潰されならなかったらしいが、当主のアニキは弟に家を取られたらしいぜ」


八助は鼻毛抜いた拍子に、《クシャン》、とくしゃみをした。


裏側の話を少し詳しくすると、


尾張藩に責任を全て負わされた格好の和久家だったが、江戸幕府はなぜか改易〔家の取り潰し〕ではなく分封〔所領の分割〕の沙汰を出し、最悪の事態は免れた。

温情をかけられ、ほっとした和久家だったが、幕府から命じられた中身は弟の尚久なおひさに3分の2の知行が分割され、兄の高久たかひさの知行を弟が上回ることになったため、結果的に尚久が和久本家の本家となり、事実上の当主交代となった。


これは兄である元当主・高久の実質的な廃嫡であり、また徳川幕府の五千石以上の旗本の石高を削るという施策もあったらしい。


高久は慌てた。

廃嫡になったこともあるが、それ以上に深刻な金銭問題があった。


寝てても入ってくる子毛の収入は、高久の浪費癖を増進させており和久家の財産は、借金が収入を上回る事態になっている。 


分家となって小普請〔三千石以下の旗本〕の知行となり、さらに子毛の権益を失う事は高久の破綻を意味している。 


高久は助五郎に泣きついた。


その後、ふたりがどんな約束を交わしたのか分からないが、助五郎は高久の借金相手との話し合いを穏便に済ませ、一部の借金を肩代わりした。 


この屋敷はそのときに担保代わりに取り上げたもので、いまは助五郎が住んでいる。


そこまでは八助は知らない。


「それでうまくいったのか?」

と石が聞くと、


「そうでもねぇさ、兄弟仲は最悪だって話だし、弟ってのは、俺にすりゃ すげぇ変わったやつで、女嫌いで男好きらしい」

と八助は答えた。


「そのせいで嫁はいるのに跡継ぎができないんだとよ。 所領をもらっても跡継ぎがいねえんじゃ話になんねえな」


ホント変わった奴だ、と呟くと、大の字になり天井を見つめる。


「ただ、多の屋の旦那は運がある。 和久家のゴタゴタに首突っ込んだから、ソの河の橋梁造りの大仕事を引き受けられたしな」


「へぇ・・・」


得意気に話す八助に、石は適当に相槌を打つ。


(結局、和久家を取り潰すつもりかよ、御上ってのはエグいことを考えるもんだ)


石はつぶやいた。


「弟に跡継ぎができねぇなら、なんだかんだで改易にして、領地を召し上げるつもりだろうな...」


「かいえきってなんだ? 分かんねぇこと言うやつだな。それに親分は運があるって言ったろ?」


むっくと八助は起き上がる。


「いまその弟の家を継がそうってやつ...なんて名前か忘れちまったが、そいつが橋梁造りの視察で町に居る、つまり助五郎の親分が面倒見てるってことだ」


「何者だそりゃ?」

と石が尋ねる。


「さあ、和久家の遠縁ってことらしいけどな、お前知らねえか?」


(...あしが聞いてんだ阿呆…おや、ようやく来たか)


廊下を渡りこちらへ来る足音がした。

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