ep.8.子毛の宿《こげのしゅく》
由の家に着くと、今度は荷車から積み荷を下ろす作業が始まり、女性たちは手早く荷物を家に運び込んでいる。
家についてまたヒマになった石は、やることもなく荷車のそばに立っていた。
ちょこまかと、小さなからだで小さな手伝いをする妙の面倒を見るわけでもなく、ただ突っ立っている。
(この子のほうが、あしよりも役に立ちますなぁ‥)
よく手伝いをする妙に感心しながら、遠くから近づいてくる人の気配にも意識を向けている。
近づく人も荷車のそばに立つ石の存在に気付いたようで、一瞬足を止めたようだが、また歩き始め、互いの距離は縮まっていく。
知り合いしかいないような、田舎の小さな集落。
知らない人間に警戒するのは、当たり前のことだろうなと思う。
(由の知り合いか?)
近づく人に気付かないふりをして、杖の先をポンと人の来る方向に投げるよう置いておく。
杖の先のかすかな振動で、近づく距離がわかる。
男が石の近くに来て、止まった。
互いの距離は2歩半、警戒心の強い男のようだ。
「ちょっといいかな、俺は定吉っていう、この集落で大工仕事をしてる者なんだが、おいさん、どっから来たんだい。」
定吉は、顔を背けている石の顔をのぞき込んでいる。
「気を悪くしたなら済まねぇ、悪気はねえんだ。ここら辺りじゃ見かけねぇ顔だと思っただけだから、ここの家の人の知り合いかい?」
話しかけてくる自分を見ようとしない、石の様子を不審に感じてるようだ。
(うわさの定吉か‥)
定吉は、必要以上に距離を詰めてこない。
(慎重なやつだな。ただ渡世人っていうわけではなさそうだ、善良な人間という感じだが..)
顔は背けているが、石は定吉の気配に意識を集中している。
(教養もありそうだ、由の話通りなら頭が切れて仕事も出来る...。おかしなやつだ・・そんなやつが、なんでこんな
いま定吉は、石の返事をじっと待っている。
それに気付き、石は定吉に顔を向けた。
「あしの名前は石。由さんとは、知り合いってほどのものじゃ御座いませんよ。」
うすうす違和感を感じていたものの向けられた顔を見て、石が盲人であることに気付いた定吉。
石も気配から、定吉が気付いたことを知る。
「ただ水茶屋に立ち寄ったのが縁で、あしが今日の宿に困っているという話をしたら、親切にも家に泊まってもいいと言ってくれたんでね。厚かましいながら今晩、厄介になろうかと来たんですよ。」
石は正直に話した。
「ああ、・・そうか、それは
定吉は口調は、歯切れが悪い。
「でも(盲目とはいえ)男がその、
と定吉が言い終わる前に、
「おじちゃん!」
家からとび出て来た妙が、定吉に真っすぐ駆け寄る。
呼ばれた、定吉は苦笑する。
「妙、俺はまだ、オッサンって歳じゃねえの、勘弁してくれよ」
定吉は両手を広げ、無邪気に腕の中に飛びこんでくる妙を抱きかかえる。
「妙、俺はまだ、おじちゃんって歳じゃねえって、勘弁してくれよ。」
定吉は両手を広げ腕の中に飛びこんでくる妙を、抱きかかえる。
「定吉さん、お帰りなさい。」
目の前の由が嬉しそうな声で定吉の名を呼び、弦は由の背後からからその人物を見た。
由の目の前に、整えた
歳は24、5、弦と同じか少し上といった所だろうか?
妙が懐いていて、由も信頼していることが伝わる。
「水茶屋に行ってみたら、もう店終いしてたんでこっちに来たんだ。今日は誰か来た? まさかあの荷車を、由さん一人で運んだのかい?」
「たえもいる!」
と、定吉に抱えられてる妙が不服そうに主張する。
「ああ、悪ぃな確かにそうだ…、あ、えっと、・・・どちらさん?」
定吉は由の後ろにいる若い娘に気付き話しかけた。
やけに大人びているような気もするが‥。
「弦と申します。」
弦は
しっかりとた挨拶と落ち着いた物言いに軽く気圧され、あわてて定吉も頭を下げる。
「今日は、この方たちをお泊めすることにしたので、早めに店を閉めたのよ。」
ハタと気付いた定吉。
(なんだ、盲目のおっさん一人じゃねぇのか? この娘も一緒なら間違いなんかねぇだろう。}
「ああ、その女性の方も‥そうだったのか、じゃあ良かった。 あ!、いや、え―そうだ、この火鉢が積んでる荷車は女性一人で引くのは重てぇし危険だから、
安心したが、まだ慌ててる最中、しどろもどろになりながら、いいわけをしている定吉。
「?…荷車を引いたのは石さんよ、ひとりでここまで引いて来てくれたの。」
何を定吉が慌てているのかわからなかったが、由はおそらく勘違いしているのだろうと思って説明する。
「へ?」
由が訂正すると、信じられないという顔で定吉は石をゆっくり見た。
(そんなことは、どっちでもいいんだがなぁ...)
石は、見えない空を仰いだ。
(荷車を改造したのは定吉。・・ 腕のいい職人なのは確かなようだな。)
荷車の
ただの荷車だが、創意工夫されて手が込んでいる。
定吉は女性一人では危険だと話しているが、安定していて運びやすく造られている。
女性ひとりでも運べない事はないだろうなとは思う。
「いっさん、私はこちらで由さんのご厚意に甘えさせて頂きますから。お出掛けされてもかまいませんよ。」
空を見上げ考え事をしている石に、弦が言葉を投げかけると、「おっ」と石は嬉しそうに声をあげた。
みんなに向かい満面でニコっと笑うと、クルッと背中を向けて、そそくさ荷車を押してきた道を逆に去っていく。
「大丈夫なの?」
石を送り出す弦を振り返り、由が小声でささやく。
「大丈夫ですよ。..あの人はああやって少し自由にして差し上げたほうがいいんです。」
ややさみしそうに、またあきらめたような
遠く離れていく石の背中に向けて呼びかける。
「小さな子供もいますから、子の刻〔深夜0時前後〕前には帰って来てくださいね。」
石は振り返りもせず、背を向けたままひらひらと片手を振っている。
しばらくすると、石の姿は見えなくなった。
「……あの、お二人はどういう関係でしょう?」
おずおずと定吉が尋ねた。
「夫です。」
弦はごく普通に答えた。 彼女の目は、まだ石の姿を追っているようだった。
若い娘のような見た目だが、少しの会話で見た目とは違い大人の落ち着いた女性だとと定吉は思った。
ただ、どう見ても石と弦は二十歳は離れているように見える。
ふたりが夫婦だというのはにわかには信じられないが…。
「なるほど」
どうしてそんな言葉が出て来たのか定吉にもわからない。
(‥なにが?)
という目で弦と由が、定吉を見ている。
二人の目線を感じて、恥ずかしくなり定吉はうつむいた。
視線の先で抱きかかえている妙と、ちょうど目が合う。
「お腹空いた。」
妙が定吉を見上げて言った。
弦と由は、何も言わず黙って家に入って行く。
しばらくしてコトコトと食事の支度をする音が家の中から聞えてきた。
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