ep.5.石《いし》と 鬼造《オニゾウ》その2
「鬼造」
鷹のような鋭い目、長身で細身の男が大八車の周囲の男たちの輪から抜け出し、鬼造の名を呼んだ。
「いい加減にしろ」
静かな声、石と鬼造のどちらに言ったかはわからないが、男は二人に向かって歩きながら脇差しの長ドスに手をかける。
「
「右馬!そのオヤジを潰してしまえや」
「オイ右馬!
大八車の近くにいる男達から声がする。
「ちっ」
右馬と呼ばれた長身の男が舌打ちする。
抜きかけた長ドスは仕舞い、しゃあねぇな…と言って胸の前で平手と拳をバチンとぶつける。
「やろうや。オヤジ。」
近づいて来る右馬との距離を、耳で測りながら、
(誰がオヤジだ。おまえみたいな息子は知らねえよ。)
心で愚痴りながら、鬼造を抑えつけていたスルっと杖を離して、石は杖の下で四つん這いで必死に喘いでいる鬼造を開放した。
やっと杖の圧力から解放された鬼造は、四つん這いのまま肩と背中を大きく上下させて荒い息を吐く。
「このクソが!‥。」
消え入りそうな声、わずかに怯えが入る殺気の籠もった目で石を睨む。
それが負け犬の遠吠えだとは鬼造にもわかっている。
今日まで自分に殺されかけた男達の泣き顔が目に浮かぶ。
石は腰掛から落ちるように、地面に両膝をついた。
「いやぁ、、なんか申し訳ねぇなあ...」
両膝に両手を置き、頭をかしげる石。
「あしの杖が勝手に、兄さんにとんだ迷惑をかけたようで、おかしいなぁ?」
急に言い訳をはじめた石は、杖のせいにしている。
呆気にとられてた周囲の男達。
殺伐としたケンカをやる気だった右馬も、拍子抜けしたようだ。
(ふざけるな、このやろう!、杖がとはなんだ!?)
鬼造だけは、さらにカッ!となり怒りが赤を通り越し、錆びた赤鉄のようになった顔で石を睨んでいる。
石は鬼造の
「あしは目が見えねぇから、そのせいでなにか御迷惑をかけたのなら済まねぇなぁと思っております。・ただそちらのほうにも落ち度はあったように思いますので、お偉い旦那さまも、お若い兄さんも刃傷沙汰になるような野暮なことは御控え願います。」
地べたで正座し、頭を下げ飄々と話す。
「ただの
一番近くにいる鬼造は、俯いた石の
石に、謝罪などという気持ちは欠片もない。
鬼増は唸った。
「コイツ…ふざけやがって、なにが申し訳ねぇじゃ、このクソヤロウ!」
「糞はてめぇだろ?」
鬼造にだけ聞こえる小さな声で石はボソッとささやくと、じゃあこれで
さすがにこれ以上煙草を吸うのはバカすぎるのでキセルは仕舞ったが、足を組み、脛をコリコリと搔きながら呑気に
(コイツ・・・目暗なのか?)
周囲の男達のだれもが、信じられないという顔で石を見ている。
「御主人、お名前を窺っても?」
「・・御主人とはあしのことですかい? そんなむず痒い呼び方はよして下さいよ旦那。」
「お名前は?」
「名乗るほどのものでは御座いませんので、ご勘弁を。」
石は断り、心の中で呟いた。
(この多の屋ってのは死人の匂いがするな。面倒は御免だから、さっさと何処かに行ってくれよ。)
騒ぎを大きくしたのは石だが、(ほっといてくれ)といまは願っている。
(町人のふりをしてるが、
助五郎に霊のようにまとわりつく腐臭の臭い、五感だけではない自分の六番目の直観を石は信じてる。
頭の中では激しく警報が鳴り、騒々しい。
(やべぇなぁ‥面倒な事になっちまったよ。( ノД`))
変な意固地で、鬼造を
「わたしは、子毛で手広く
助五郎は引き下がる気がない。
石の名を聞くまで帰るつもりはないかもしれない。
もうそうなると我慢比べだ。
「屋号もないただの旅の者です、無礼はわかってますがね。ご勘弁願いますよ。」
石もすでに意固地になって、譲る気がない。
石が名乗らないためにおきた終わらない言葉の往復に、大八車を囲み様子を伺っていた男達がイライラし殺気立ってきた。
それを察する助五郎は、大八車のまわりの男達に指示を出す。
「みんな、大八(大八車)の酒や食べ物が
道の真ん中で、石と助五郎のやり取りを聞いていた右馬、まだ地面に座り込んでいる鬼造。
この二人にも指図する。
「鬼造!!いつまでそこで油うってるつもりだ、早く手伝いなさい。右馬も大八の前に立って、みなを先導するんだよ。」
そして目線はまた、石に戻す。
「私どもの店は、聞けば由さんが教えてくれますよ。
助五郎の声音が甲高い音から、ドスの効いた低く冷たい音に変わる。
「それでも分からないであれば、使いの者を寄越すよ。《是非》立ち寄って貰いたいね。」
念押しするその言葉は、脅しだと聞いたもの全てが理解していた。
(もう逃げられそうにもないな。)
石もそれを感じた。
冷静に考えても、
.疲れている弦を連れて、いますぐ逃げる事はできない。
.自分も休みたい。
.路銀〔旅の資金〕が乏しいので稼ぎたい。
・・・ああ無理だ!!
頭でそろばんを弾き、これからの旅の資金の計算をしてみる。
(1両ほどあればなんとかなるから、
腹は決まった。
「そこまで仰られるのなら、旦那のお手を
「いつ来られるかな?」
助五郎はさらに突っ込んでくる。
(しつけぇなぁ、行くってんだろ)
と思いながら答える。
「今晩か、明日には必ず参ります。」
「…そりゃ良かった、お待ちしてますよ。」
凍てつく感情のない目でじっと石を見ていた助五郎は、ようやく納得したようで、上辺だけ明るく嬉しそうに返事をした。
その後、助五郎と一行は去って行ったが、散々コケにされた鬼造は石を睨みつけたまま横向きで、大八車と一緒に動いていく姿は滑稽でしかなく、由はその光景から目を背け、弦は笑いをこらえるのに必死だった。
やがて一行は大八車引いていき、街道から見えなくなった。
大八車と男達が向かう先は、ソの河に突きあたる。
そこではソの郷の職人達が集まって、幕府の認可を受けて藩より預かった大仕事、ソの河に橋をかけるという
助五郎の姿が見えなくなって、弦は肩をふるわせ声を上げて笑い出した。
あのほとんどの者が感じた一触即発の緊張した直後なのに、弦は笑い泣きしている。
何を笑い出したのか見えない石だけはぎょっとして、二人のいるほうに顔を向けた。
(変わった女だ...)
石は先程から考えていたことを切り出した。
「姉さん、ちょいと話があるんだが...」
由は石を振り向いた。
「わたしに?」
「そう、あんたに頼みがあるんだ。」
石は今度はほんとうに申し訳なさそうにしていた。
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