ep.4.石《いし》と 鬼造《オニゾウ》
煙草の煙がゆらゆら上り、助五郎の顔をかすめて空へと消えていく。
不思議なことに、弦や由、妙の方向へ煙は流れていかない。
助五郎は、顔に当たりそうな煙を手で
「ご主人、あんたの煙草の
自分が石から離れればいいだけの話だが、助五郎にそんな考えはない。
どうやら煙草の煙は、助五郎を追い払う虫除けにならなかったようだ。
石は素知らぬ顔で煙草をくゆらせている。
ヌッと、助五郎の背後から身の丈 六尺〔約182㎝〕の巨漢の大男が現れた。
熊のようなその男は、腰掛けに座る石の前で中腰になり、顔をズッ!前に出し石を睨みつける。
普通の人間なら、この男に睨まれただけで恐怖で震えあがってしまうだろう。
「お前の煙草が迷惑なんじゃ、わかんねぇかあ-、あぁ!!」
巨漢の男の名は、
横目でチラっと弦を見て、石に視線を戻す。
鬼造がいつ爆発してもおかしくない状況なのに、石はまだ煙草を吸い続けたままだ。
(このままでは、鬼造に石さんが殺されるかもしれない)
鬼造を止めることが出来るのは助五郎だけ、足取りは重いがお願いするしかないと足を踏み出す由の腕を、弦が掴み引き留める。
由は、弦を振り返った。
弦は右手で由の腕を掴み、左手を妙を抱くように回して、目線は石に向けている。
その弦の目には、なんの怖れもない。
鬼造が痺れを切らして、石のキセルを奪い取ろうと手を伸ばす。
石は口に咥えたキセルから手を離すと、その手で伸びてきた鬼造の手を掴み、かるく引く。
ドスン!
引かれた鬼造はバランスを崩して、地面に両膝をつく。
そして、勢いで両手も地面についた鬼造。
四つん這いの形になった鬼造の首元を、自然な動作で片手に持っていた杖で、石が押えた。
すると、鬼造の動きがぴたりと止まる。
ただ、しばらくすると鬼造は顔を真っ赤にして、額からダラダラと大量の汗をかき始めた。
巨大な岩を乗せられて身動きできなくなった孫悟空のように、鬼造はからだを起こすことが出来なくなっていた。
(なんじゃこれは?)
今日まで己の力に絶対的な自信を持ってきた鬼造。
自分が誰かに、力で負け押さえつけられているなど認めらるはずがない。
しかも相手は小太りのただの中年オヤジだ。
羨む所があるとすれば、若い女を連れてることぐらい。
しかも、夫婦だという・・
さっきまで鬼造は、腰掛けに座る器量の良い女を見ながら思っていた。
(後でこのオヤジから女を
その後の事まで夢想していた。
大八車の周りを囲む男達の集団から出て来たのも、煙草の煙を口実にこのオヤジを脅して言いなりにする。
ただそれだけの理由。
すんなり女房を差し出せば、顔を2発ほど平手打ち食らわして済ます。
それでも大怪我だろうが、知ったことか! と自分がこんな姿になるなど考えもしなかった。
‥それがなんだ、眼中になかった中年オヤジの前で、両膝両手をついて、首を抑えつけられて、ただただ
(なんで俺の体はうごかんのじゃ⁉)
恥ずかしさと焦りが体を駆け巡り、さらに汗が噴き出してくる。
(汚ねえなぁ、こいつは風呂で垢をおとしてんのかね..)
地面に滴り落ちる鬼造のぬるぬるしたヘドロのような汗の臭いに、人一倍においに敏感な石は閉口する。
一方、鬼増は藻掻き続け、さらに汗を地面を濡らしていく。
(なんでじゃ、なんで跳ね返せないんじゃ!!)
喧嘩なら4,5人同時は当たり前、掴んだだけで相手の腕をへし折ったこともある怪力を助五郎に買われた鬼造は、かつて江戸で将来を有望された力士だった。
当時負けなしの連勝続け、大関も夢ではなかった。
そんなある日の稽古場で、師匠に「天狗になってる」と、みなの前で叱責されたことを根に持ち、師匠が
その愛妾を寝取った後、寝床でその女性に自分の犯罪を話してしまったことでバレ、
鬼造は、いま石の足下で大量の脂汗をかき、からだを押し潰されないよう必死に耐えている。
鬼造には、その事実が耐えられない。
石は杖の下の鬼造の
この場にいるほとんどの者が、いま目の前で起きていることを正確には理解できない。
ただ、その目の前で呑気に煙草を吸っている中年男の薄気味悪さは、みなが少しづつ感じ始めていた。
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