ep.3. 弦《つる》と由《よし》

「女ひとりの商売だと、足元見られたり、舐められたりすることがあるから、気弱になることもあったけどね。まあ、少しは慣れたかな?」


由の表情は明るい。


「でもね、楽しいの。自分でいろんなことを決めれるし、上手くいかない事もあるけど、考えたことが上手くいくと本当にうれしいわ。」


弦は、笑顔で返す。


「女の人で自分の店を持つなんてすごい事ですよ。」


「そう、ありがとう。 じゃあサービスしようかな。」


くすくすと笑い合う二人。

「ほうき」と言ってあやとりの紐を操って、出来たほうきの形を見せてくる妙に、弦が「上手ね」と答える。

両手を出して小さな手で編んだ箒を、受け取ろうとしてみる。


箒を慎重に受け取って自分の手に合うように広げていく。

紐を器用に動かして別の形に変えていく。

その弦の指先を、妙は不思議そうに見ていた。


弦は指先であやとりの紐を操りながら、ぽつりとつぶやいた。


「わたしには、・・きっとできない。」


《なに言ってるの? あなたにだって出来るわ》


由はそう言おうとして思いとどまった。

単純にこれは、商売の話ではない。

藻掻いて足掻いて、何度も希望を棄てないようにと生きてみても、その希望の全てをことごとく打ち砕かれていくと、希望を持つという心は失われていく。

かつての自分がそうだったように・・・。


まだ若いが弦の人生もそうだったのかもしれない。

そうと思うと、由には軽々しく口にすることができなかった。


その間、弦に背を向け気配を消していた石は、気付かれないように、こそこそと煙草入れから煙管キセルと火種を取り出して音が極力ならないよう、こそっと火をつけようとしている。 


カチッ・・・。 (-"-)・・・石は背中で、弦の無言の圧を感じた。


煙草を味わっていると、遠くからゴロゴロと音が聞こえてくる。

石には聞こえているが、二人には聞こえていないようだ。  


その音が次第に大きくなって、ようやく弦と由も誰かが町からやってくるのに気付いた。

その時には、わらで覆った大八車だいはちぐるまとその回りを取り囲む十数人のふつうの町人には見えない男達が、子毛山道を降って来るのが見えた。


「みんなあの辺りで、大八車くるまを止めとくれ」


甲高い男の声に、「へい」と大八車を囲む男達が相槌あいづちを打ち、大八車は水茶屋のちょうど前で止まった。


腹にさらしを巻き、麻の着物をたくし上げた尻からげ〔着物の裾を捲り帯に挟んだ格好〕の男達。

目つきは鋭く、何人かは脇差しわきざし〔短刀〕を差している者もいる。


見ただけで与太者とわかるような風体ふうていの男達のなかに、文金風ぶんきんふうの〔当時流行していた〕髪型に長羽織姿の立派な身なりをした男がいる。


「しばらくぶりだねぇ… 由さん、店は繁盛してるかい?」


男は甲高い声で由に笑顔で話しかけながら、水茶屋に近寄って来る。


「多の屋さん、・・・おかげ様で」


さっきまで明るく元気だった由の表情は一気に暗くなり、声も小さく感じられる。


「そうかい?そりゃ良かった。 わたしもずっと心配してたんだよ」 


多の屋助五郎は、満面の笑みでうれしそうだ。


「おいで妙ちゃん、良いものあげよう」 


妙がおずおずと近づくと助五郎は小さな手を掴み、懐から貝独楽ベイゴマを取り出して妙の手に力強く握らせた。

コマを強く握らされた妙は、痛くて顔をしかめ、不安そうな顔で母親を振りかえっている。


「あれ、気に入らなかったのかい?女の子は人形の方が良かったの、かな」


助五郎の妙を見る目は、不気味だ。

愛憎が入り混じった複雑な顔に、死んだ魚の目。

笑顔ではあるが、本当はなにを思っているのかわからない。


由が、妙と助五郎の間に入るようにして、頭を下げ礼を言う。

助五郎は、由の言葉を無視するように何も言わず、ただ妙を見ている。

そして店の前の腰掛けに座る二人に視線を移すと、妙と遊んでいた若い女に声をかけた。


「娘さん、どちらからおいでになった?」


弦は、由と助五郎の様子から不穏いやなものを感じた。

ただその素振りは見せないように、助五郎を見上げると片手で、妙を自分の近くに自然に引き寄せながら答えた。


「西国〔近畿以西の地方特に九州〕から京を通って参りました。」


「へぇ、西国とはかなり遠くからだね。・・何処へ行くつもりなんだい?」


助五郎は嗤いを浮かべ、弦のからだを上から下へ舐めるようにじっとりと見ている。


(その目は解る・・、昔に嫌というほど見た女を値踏みする愚かな奴たわけものの目だ..)


殺意を感じるほどイラッとしたが、それでも表情には一切あらわさない。

にこっと微笑んで、返答する。


「下諏訪まで参ろうかと思っております。」


そして作り笑顔を絶やさぬまま、少し離れたところに座る石に顔を向ける。


「そこにいる、わたしに背を向けて煙草を吸っている男が夫なのですが、夫が少々足の不自由なわたしの為にと、湯治とうじ旅を計画してくれましたので、いま一緒に旅をしているところです」


顔を向けた先には、我関せずと背を向けて座る石が、煙草をぷかりとくゆらせている。


「・・おっと...?」 


‥多の屋は呆気に取られている。

助五郎の目には、これから女としての華が咲く十四、五歳に見えた弦。

近くに座る太々ふてぶてしい態度の中年男は、娘の荷物持ちをしてる下男げなんなのだと思っていた。

使用人の分際で主人の前で煙草を一服する態度に、後でこっぴどく説教してやろうと考えていた。


いまも不遜な態度でキセルをくわえ、バカみたいに煙草の煙を吐き出している。

助五郎は、石の頭上から頭髪の少ない頭を穴が開くほどじっと睨んだ。


(なんだなんだ? なんであしを睨んでいる)


目は見えなくても、照り付ける日差しと同じで頭皮に痛いほど助五郎の視線を感じる石は、なぜこの男に恨まれるのかよくわからない。

その石の耳に、ヒィーという無機物の声のようなかすかな音が聞こえてくる。


「姉さん、沸いてるよ」


石がポツリと言った。


「?」


なんの話かわからない由。

周りの者たちも何のことかわからない。


その数秒後、店の奥でお茶を沸かしていた薬缶やかんのふたが、カタカタと小さな音を立てた。

中からお茶が溢れ出している。

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