ep.3. 弦《つる》と由《よし》
「女ひとりの商売だと、仕入れで足元見られたり男に舐められたりすることがあるから、気弱になることもあったけど。独り身じゃ寂しかろうってしつこく言い寄られた時は..頭にきて蹴飛ばしてやったけどね。まあ慣れていくしかないわね。」
由は明るく話しているが、他に頼る者がいない暮らしは苦労もあるのだろう。
「でもね、気楽なの。自分でいろんなことを決めれるし、商売の事も考えて上手くいかない事もあるけど、上手くいくと本当にうれしいわ。」
弦は笑って返す。
「女の人で自分の店を持つなんてすごい事ですよ。」
「ほうき。」とあやとりを見せてくる妙に、「とても上手ね」と答える弦。
「
「そう、ありがとう。」
褒められてうれしそうに由が笑顔になる。
「わたしには、そんな夢はなかったな。」
妙の小さな指に合わせながら、あやとりを受け取ることに集中していた弦がポロッと本音を漏らした。
かなり集中していたので、なんと言ったのかを自分で気付いてないようだった。
由は一瞬押し黙って、妙と遊ぶ弦を見た。
自分にもいろいろあったように、この女性の人生にもいろいろあったのだろう。
そう思い、何も言わず聞こえないふりをする。
弦は妙の手と手の間の小さな箒を慎重に受け取り、ゆっくりと自分の手に合うように広げると、今度は指先を器用に動かして別の形に変えていく。
その弦の指先を、妙は不思議そうに見ていた。
弦に背を向けた石は気配を消して、静かに
カチッ・・・
・・・背中から、無言の圧を感じた。
石が煙草を味わっていると、道の向こう方から、ゴロゴロと音が聞こえてくる。
石は、はっきり聞こえているが二人にはまだ聞こえていない様子だ。
その音が次第に大きくなって、弦と由も気付いた。
その時には、
「みんなあの辺りで、
甲高い男の声に、「へい」と大八車を囲む男達が
腹にさらしを巻き、麻の着物をたくし上げた尻からげ〔着物の裾を捲り帯に挟んだ格好〕の男達。
目つきは鋭く、何人かは
普通の町人には見えない
「しばらくぶりだね。 由さん繁盛してるかい?」
男は甲高い声で由に笑顔で話しかけながら、水茶屋に近寄って来る。
「多の屋さん、・・・おかげ様で」
さっきまで明るく元気だった由の表情は一気に暗くなり、声も小さく感じられる。
「そうかい?そりゃ良かった。 わたしも心配してたんだよ。」
多の屋助五郎は、満面の笑みでうれしそうだ。
「おいで妙ちゃん、良いものあげよう。」
妙がおずおずと近づくと助五郎は小さな手を掴み、懐から
コマを強く握らされた妙は、痛くて顔をしかめ、不安そうな顔で母親を振りかえっている。
「あれ、気に入らなかったのかい?女の子は人形の方が良かったの、かな」
助五郎の妙を見る目は、顔に張り付いた笑顔とは正反対の死んだ魚の目のように様に不気味だ。
由が、妙と助五郎の間に入るようにして、頭を下げ礼を言う。
その態度に助五郎の機嫌も、すこしは良くなったようだ。
そして店の前の腰掛けに座る二人に視線を移し、妙と遊んでいた若い女に声をかける。
「娘さん、どちらからおいでになった?」
弦は、由と助五郎の様子から
その間に片手で、妙を自分の近くに引き寄せている。
「西国〔近畿以西の地方特に九州〕から京を通って参りました。」
「へぇ、西国とはかなり遠くからだね。・・何処へ行くつもりなんだい?」
助五郎は嗤いを浮かべ、弦のからだを上から下へ舐めるようにじっとりと見ている。
(その目は解る・・、むかしに嫌というほど
こころでは
にこっと助五郎を見上げながら微笑んで、
「下諏訪まで参ろうかと思っております。」
と返事し、そして作り笑顔を絶やさぬままに、
「そこにいる、わたしに背を向けて煙草を吸っているのが夫なのですが、その夫が足が少々不自由なわたしの為にと、
顔を石の背中に向け、
「・・おっと...?」
‥多の屋の目には、これから女としての華が咲く十四、五歳に見えた弦。
この娘が旅をしているのだろうことくらいは推測できたが、その隣に座る
後で、こっぴどく説教してやろうと考えていたその男が夫?だとは…考えも及ばなかった。
いまも太々しい態度でキセルをくわえ、バカみたいに煙草の煙を吐き出している。
若くもなく男前でもない。女を囲うような〔愛人をつくる〕金も…ないはずだ。
なんでこんな男に、器量の良い若い女がくっついているのかわからない。
助五郎は、石の頭上から頭髪の少ない頭を穴が開くほどじっと睨んでる。
(なんの恨みがある? あんたには関係ないだろう…)
目は見えなくても痛いほど助五郎の視線を感じている石には、なぜこの男に恨まれるのかよくわからない。
その石の耳に、ヒィーという無機物の声のようなかすかな音が聞こえてくる。
「姉さん、沸いてるよ。」
と、石がポツリと言う。
「?」
なんの話かわからない由。
周りの者たちも何のことかわからない。
数秒後、店の奥でお茶を沸かしていた
中からお茶が溢れ出している。
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