由《よし》と妙《たえ》

「よく出来たね」


「凄く上手」


由と弦に褒められて、はにかむ妙。


「私が受けとってもいい?」


「うん」


弦が妙の小さな手に合わせるように両手を伸ばし、箒の形をそのまま受け取る。


「つるさんは、江戸に何か用事でも?」


「ええ、人を訪ねに行くつもりです」


「へぇそうなの。知らない土地でも、知り合いがいると心強いわね」


弦は、受け取った紐を自分の手に合うように広げながら、器用に動かして別の形に変えていく。

妙は、迷いなく動く弦の指先を不思議そうに見ている。


「あたしも江戸には長くいたけど、...」


由は、記憶のなかの思い出を手繰たぐり寄せようとしているようだ。


... どのようなお仕事をされていたのですか?..


弦はその質問を心に留めた。

由からは、自分と同じ香りがした。

僅かな化粧の匂いのことではない。

お互いの人生の境遇が似通ってる気がするという話だ。


弦は、自分の手の中のあやとりをじっとのぞき込んでいる妙を見て、ぽつりとつぶやいた。


「わたしにも、...子供ができるかな?」


「できるでしょ、でも子供は天からの授かりものだから、いつ来るのかは分からないけどね」


妙は、自分が望んで身籠もった子供ではない。


江戸にいたときの最後の置き土産として授かった命。

ソの郷に来て自分の居場所を見つけた今は、自分の命よりもかけがえのない、この世に私が生まれてきた証である。


「あんた、まだ悲観する歳じゃないでしょ、若いんだし、そんなこと言ったら駄目だよ」


弦は由を見上げた。


「でも、わたしもう二十四ですよ。年増って世間では言われてます」


「何言ってんの?あたしは、三十二、あたしなんて大年増だから。でも、誰にもそんなこと言わせないよ」


と由が胸を張る。

くすくす.と弦は笑いだした。


「私も、年増って思うのはやめます」


「当たり前でしょ」


くすくす.笑うふたりを不思議そうに妙が見つめている。



石は、もうすっかり元気になって由と話している弦に背を向け、遠ざかるように、腰掛けから背を丸めて離れると、静かに店のかげに入り座り込んだ。


そして、帯から煙草入れを取り、こそこそと煙管キセルと火種を取り出して音が極力ならないよう、火をつけようとする。 


..カチッカチッ・・・。 (-"-)・・・なかなか火が点かねぇな...


焦るとさらに火が点かない。


カチッ...ポゥ... ようやく火が点いて安堵する。

キセルの煙が、店の蔭から、薄い煙幕のように流れていく。


弦は横目で石のすることを見ていたが、隠れたあたりから煙が流れるのを見てカチン!ときた。


「そんなところで座ってないで、ちゃんと腰掛けに座られたらどうですか!」


急に弦が大きな声を出したので、妙が目を丸くして弦を見つめている。


妙が驚いたのに気付いて、「ごめんね」と、弦が妙の体を寄せ頭を撫でる。


店の蔭では、バタバタ音がして慌てているのが分かった。

間があり、石が何食わぬ顔で店の陰から出てくる。

あまりにもすっとぼけた石の様子に、由が口を覆って笑っている。


石は煙草がバレないように、手の中にキセルを隠しながら腰掛けに座る。


... 手品じゃあるまいし..


石の手元から、煙が高く上っている。


...ばかじゃないの?


弦たちに背を向けて、煙草を隠そうと体を丸め腰掛けに座る石を見て、弦はこれ以上もなく呆れていた。



遠くからゴロゴロと音が聞こえてくる。

大きな車を引いてくる音のようだ。

石は煙草をくゆらせながら、十数人は居そうな男たちの足音と会話に耳を澄ませていた。


その会話からは普通の町人にはとても思えない、明らかに粗悪な連中のような気がする。

町の破落戸ごろつきか地元の八九三ヤクザ者か。


... 面倒なことにならなきゃいいけどな..


石から寄っていくことはないが、厄介事が向こうから近づいて来ることは多い。

まだ町にも入ってないのに、こんなところでモメ事は起こしたくはない。


.. 取り合えず、大人しくしておくか...


ゴトン、ゴトン!と石で跳ねる車輪の音が、男達の会話の声がはっきり聞こえて、その時には弦と由にも、水茶屋に向かってくる十数人の集団が見えた。

わらで覆った大八車だいはちぐるまとその回りを取り囲む十数人の輩。

どう見ても普通の町人には見えない男達。


水茶屋あそこで、大八車くるまを止めてくれ」


甲高い男の声がした。

男の指示に、「へい」と大八車を囲む男達が相槌あいづちを打ち、車は言われた通り水茶屋のちょうど目の前で止まる。


車の周りを囲むのは、腹にさらしを巻き、麻の着物をたくし上げた尻からげ(着物の裾を捲り帯に挟んだ格好)の男達。

目つきはみな鋭く、その内の何人かは脇差しわきざしを差している。


一瞥しただけで与太者よたものとわかる風体ふうていの男達のなかに、文金風ぶんきんふうの当時流行していた髪型に長羽織ながばおり姿の、なかなか立派な身なりをした男がいた。


「しばらくぶりだ... 由、元気だったか?」


男は懐かしそうに由に話しかけた。


「旦那さま、・・・お久しぶりでございます」


由は、男に頭を下げた。


「わしはずっと心配してたよ、娘の事もな。知っていたか?」


「... お気遣いいただき有難うございます。ですが、ご心配なさらぬよう、私たちは健やかに過ごしておりますから」


多の屋助五郎は、満面の笑みを浮かべて水茶屋に近寄ってきた。

そして立ち止まり腰を屈めて、懐からなにかを取り出して妙に見せ、手招きをする。


「妙だったかな? おいで、良いものやるから」 


妙は、躊躇ためらいながらおずおずと近づく。

頭を下げていた由が、男の言葉にさっと頭を上げる。

弦が振り返り見た由の顔は、血の気が引いて青ざめているように見えた。


男は妙の手を掴むと、手に持っていた貝独楽ベイゴマを妙の手に握らせた。

大人の男に手を引っ張られ、コマを力強く握らされた妙は顔をしかめた。

泣きそうな顔で母親を振り返ったが、自分よりもっと泣きそうな顔をした母を見て、涙をこらえる。


「あれ、気に入らなかったか?まったく子供はこれだから...」(ちっ、...面倒だな)


小さく舌打ちした、この男の名はの屋助五郎すけごろうという。


助五郎は、薄気味悪い笑みを顔に浮かべると、妙をじっと見つめた。

愛憎が入り混じった表情に、死んだ魚のような目。


由は妙と、助五郎の間に入ると、妙に代わり頭を下げてお礼を言った。

助五郎は、由を無視して、妙をまだ見つめている。

妙は母の後ろで、目に涙を溜め由の顔を見上げていた。自分がなにか悪い事をしたと思ったに違いない。


「由、もういい。わしが悪者みてえだ」


ニコリと笑うと、「次は、もっと高いものをやるからな」と妙に話しかける。

そして、店の前の腰掛けに座る二人の客に視線を移し、さっきまで妙と遊んでいた弦に声をかけた。


「お嬢ちゃん、どっから来たんだ?」


弦は、助五郎に不穏いやなものを感じて、立ちすくむ妙を手元に引き寄せた。

ただその素振りはいつもと変わらずまったく不快な感情を見せない。

助五郎を見上げて、にこやかに答える。


「京から参りました。」


「へぇ、都の娘か。何処へ行くつもりなんだ?」


助五郎は、下卑げびた嗤い顔で弦の全身を舐めるようにじっとりと見る。


.. その目は... 女を道具モノとして扱う野卑やひで傲慢な男の眼だ.. ずっと昔に吐き気がするほどに見た ...


弦は、今日初めて会った助五郎に苛立っていたが、そんなことは助五郎の前で、おくびにも出さない。


そして微笑みながら返答をする。


「できれば、下諏訪までこのまま参ろうかと思っております」


「そりゃ無理だ、お嬢ちゃん。子毛で一晩泊って行けばいい。わしが手配してやろう」


笑顔を能面のように貼り付けた弦は答えた。


「そこにいる私に背を向けて煙草を吸う夫が、一緒に旅をしておりまして。此度は、夫が私の為にと考えてくれた、湯治とうじ旅。夫の計画もありますから、どうぞご心配なく」


助五郎に向けた作り笑顔を絶やさぬまま、きっぱりと断り、少し離れたところに我関せずと背を向けている石に顔を向ける。


.. あ~ぁ、めんどくせぇ事になりそうだ...


会話に入らず、煙草を吹かしていた石は、組んだ足を叩きながら生あくびした。


「・・おっと...?」 


多の屋は呆気に取られ、弦の目線を追って自分に背を向けて腰掛けに座る目の前の娘が夫と呼ぶ男を見た。


助五郎の目に映る女は、顔は十四、五歳、だが体を見れば成熟したおとなの女だと分かった。

子供ではない色気があり、下心も沸く。


その近くに座る太々ふてぶてしい態度の男は、この娘の荷物持ちをしてる下男げなんだと思っていた。

いずれ娘を自分の屋敷に呼ぶつもりだったが、その時には、使用人の分際で主人の前で煙草を一服するような、バカヤロウに、主人に対する態度を教えてやろうと思った。

言葉じゃなく体で。


いまも助五郎じぶんの前で、バカみたいに煙草の煙を、空に吐き出しているバカヤロウ。

助五郎は酒は飲むが、煙草はやらない。


人に聞かれれば、「体に良くねぇからだ」と答える、奉公人や下の者にも、吸うなと厳命している。


助五郎は、石に背後から近づいた。

石の背中にゾワッと鳥肌が立つ。

石のような裏で生きた奴は、人に背後に居られるのが一番嫌になる。


助五郎は必要以上に近づくことなく、一.二歩離れた所に立ち、背後から見下ろすように、頭髪の薄くなった石の後頭部を、無言で睨みつけている。


... このバカは、なんであしの頭をじっと見てんだ?...


見えなくても、照り付ける日差しと同じで後頭部に痛いほどの助五郎の視線を感じて、石はすっと腰掛けの上で尻を滑らすように振り返り、座ったまま、立つ助五郎と向かい合った。


しばらくお互い探り合うように黙っている。

石の耳に、ヒィーという無機物の声のようなかすかな音が聞こえてきた。


「姉さん、茶が沸いてるよ」


石がポツリと言う。


「?」


なんの話だかわからない由は、じっと石を見つめた。

水茶屋の周囲に居ただれもが、何の話だかわからない。


その数十秒後、薬缶やかんがピィ―ーっと大きな金切り音をたてた。

奥でお茶を沸かしていた薬缶やかんの蓋が踊り、カタカタと音を立てはじめ、中からお茶が溢れ出す。


由が慌てて、店の中に戻る。


「姉さん、取っ手が熱いぜ。濡れた手ぬぐいをして握らなきゃ駄目だよ」


石が声をあげて由に注意する。


... さて... なんだか嫌な雰囲気だ、面倒なことになりそうだ。あしが何したってんだ、まったく?...


石は、助五郎を前にして、呑気に心当たりを考えている。

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