ep.2.由《よし》と妙《たえ》

関所を往来する民衆を取り調べる役人に、往来手形とその下に些少〔適度な金額〕の金を重ね隠して渡す。

若い女と盲人の男の夫婦、どうみても怪しい組み合わせだが、手形は盲人会より出された正式なもの。

年寄りの役人は金を黙って受け取り手形を返す。


お互い面倒なことは避けたい気持ちがある。


それでも、その年寄は一言だけ、


「娘さん、困ったことがあるなら言うんだよ」

と言った。


弦はニコリとして、


「ありがとう御座います。でも心配することは御座いません」

と返した。


年寄りの役人は、若い娘が男に騙され連れられていくのではないかと心配したのかもしれない。

厄介事を見て見ぬふりするだけの役人のなかで良心的だと思うが、こういう役人は今の世では出世はできなかっただろう。


関所を抜けるとまた上り道となり、弦の笑顔は消えて口数が減った。


(今日はかなり歩いたし、上り下りの多い山道を来たから疲れてるだろうな・・)


石は少し後ろを歩いていた弦に寄り添い、黙って弦の手を握った。

他にできることがなかった。

弦は微笑ほほえみを浮かべて石を見あげた、でも石はわからないだろう。


道の上のほうから、甘い匂いがしてくる。

道沿いにちょうど水茶屋みずぢゃやがあり、二人は一休みすることにした。


店の女性に聞くと、ここから2キロも行けば地元で子毛の宿こげのしゅくと呼んでる小さな宿場町があるそうだ。

いま歩いてきた道をこの辺りの人達は、宿の名前から子毛山道こげさんどうと呼んでるらしい。


女性に茶と饅頭を注文して、店の前の腰掛に座りしばらく待つ。

風がとても心地良い。


冷たい岩や湿った土の上でなく、腰掛けで体を休めてすこしは体が楽になった様子の弦。

元気も出てきて、店の女性とたわいのない世間話をしている。


話では、この店には普段何もなく、四隅に立てた柱で支えた屋根の下に腰掛を置いてあるだけだそうだ。

開店に必要な七輪しちりんと調理道具、それらを積んだ荷車を家から引いて来て使うらしい。

荷車には上手く七輪が設置されており、その上に薬缶やかんを置いて茶を作り、饅頭は家で作ったものを運んで売る。


弦は歩き続けで張ってしまった足がいたむらしく、話をしながらしきりに右足をさすっている。 

石は頑丈な体で、これくらいの歩きはまったく平気だったが、ただ一服したいと思っていた。

でも、弦が煙草嫌いなのでいまは我慢している。


腰掛の後ろに屋根の下に引き入れた荷車、その奥に店の女性がいる。

石の耳に草履の音がふたつ聞こえ、ひとつは子供のようだった。


弦は石の横に座り、手ぬぐいをうちわ代わりに扇ぎながら石を横目で見て、


(煙草を吸いたいけど、自分に遠慮してるのだろうな)

と思っていた。


でも、


「吸ってもいいですよ」

とは決して言わない。

あの不快な匂いと、絶対に体に悪い煙、早くやめればいいのにと思う。


汗が首筋から背中まで流れていた。


(気持ち悪い)


弦は扇ぐのをやめ、手ぬぐいで首まわりの汗を拭う。


「どおぞ」


見ると、4、5歳くらいの女の子が弦のそばに居て、濡らした手拭いを差し出している。

手拭いを力一杯しぼったようで、女の子の紅葉もみじのような手が赤くなっている。


この店の子供かな? と思いながら素直に受け取る。


「ありがとう」


冷えた手ぬぐいを自分の膝の上に置いて、女の子の冷たい手を、暖かい自分の両手で包んで感謝を伝える。


女の子は照れて真っ赤になり奥へと逃げてしまった。

入れ替わりに店の女性が、お盆にお茶と饅頭をのせて現れる。

弦は濡れた手拭いを見せ、店の女性にも感謝を伝えた。


女性はひらひら手を振り、


「気にしないで」

と応えた。


とっつきにくそうな見た目とは違い、心持こころもち良さげな女性の名前は、よしと言った。

彼女を追いかけ、また奥から出てきた女の子は、たえ、娘だと話した。

由はひとりで水茶屋の商売をしていて、家を空けた間の娘の面倒を見る人がいない為、妙も連れてきてるらしい。


子毛山道は中仙道から外れてるといっても、京から江戸へと通じている脇街道のひとつ。

あきないをするのには十分なこの場所を、女一人でどうやって手に入れたのだろうと思う。

由が言うには、旅人がぽつぽつと休んで行くので、親子の生活くらいはまかなえているらしい。


このあたりには、地元でソのと呼んでいる大きな河川がある。

水茶屋から子毛の宿へと向かう子毛山道の途中に、横道がありそこを下るとソの河のほとりに出る。

そのほとりには、ソの郷と呼ぶその集落があって、そこに由と妙は暮らしているようだ。


もともとソの郷は、子毛の宿に馴染めなかった余所者よそものの集まりで粗末な家に住み惨めな暮らしをしていた。

その毎日は食うや食わずの生活で、集落の人々はもう誰かから盗むか殺して奪うかしかないギリギリの所まで追い詰められていた。


そんなの悲惨な暮らしを続ける集落に、江戸から流れて来た定吉さだよしという男が住み着く。


彼は腕の良い職人で、自分の技術を生かして無償でソの郷の人々の住む粗末な家々を建て替えていく。

そして、郷の男達を一緒に働かせ仕事を教えたらしい。

やがて郷の住人が雨風の心配なく家に住めるようになった頃には、男達は一人前の職人になっていたそうだ。


(ずいぶん頭が切れる奴だな...定吉ってやつは…。)


石は周囲に気を配りながら、なんとなく由の話を聞き入れている。


次に定吉は子毛の宿へ行って人々から大工仕事を安値で引き受けてくると、郷の者たちを引き連れて仕事をした。

安価なわりに丁寧な仕事ぶりは子毛の宿で評判を呼ぶようになり、助五郎すけごろうの耳に入った。


多の屋は子毛の始まりから住む古い屋号であり、子毛の宿の有力者の一家で問屋業を営み、助五郎は先代の入婿で子毛の町代まちだい〔武士ではない町人の役人〕を務めている。


助五郎のツテを得た定吉は、次に大工仕事に限らない人足生業にんそくなりわい〔今でいう人材派遣業〕を始め、ソの郷は職人と人足の集落として認知され、郷の人々の暮らしは楽になっていった。


いまはソの郷を子毛の分村として認めてもらうため、代官に届け出をする話になっているという。


(政治もできる腕の良い職人。こんな山の中に居るのは勿体ない奴だな、一体なにをやらかしたんだろうか? 大抵は不始末をやらかして故郷に帰れなくなったか、犯罪者で逃亡してるか奴。まあ、そんなところだろうが...。)


石は頭を掻いた。


(あー煙草タバコが吸いてえなぁ)


石のいまの関心事は、どちらかといえば由の話や定吉の事よりも煙草だった。


石と一人分間を開けた腰掛けの端で、弦は、定吉の話を自分の事のように誇らしげに話す由を微笑ましく見ていた。


石と弦の間には、ひとりであやとりをしている妙がちょこんと座っている。 

ひとりあやとりはうまく出来たようで、手と手の間に紐で作られたほうきの形を、由や弦に見てもらおうと、精一杯二人に向かい両手を伸ばしていた。

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