座頭の石

とおのかげふみ

水茶屋

石《いし》と弦《つる》

江戸時代。

男と女が歩いている。

そこは、鬱蒼うっそうとした山道。

名も無い道。


徳川家康が生きていた頃より国作りの一環として推し進めた道作り。

江戸時代に完成した主要基幹路として整備された五街道。

そのひとつに、江戸と京都を結ぶ中仙道なかせんどうがある。


季節は冬雪ふゆせつも解け、春から夏へと向かう時期。

中仙道から外れた脇街道わきかいどうを二人の男女は歩いている。


男は茶色の着物に、股引ももひき脚絆きゃはんを着け、雨避け代わりの道中合羽どうちゅうかっぱを羽織っている。

手拭いを巻いた首から頭陀袋ずたぶくろを下げ、帯には腰差しの煙草タバコ網袋あみぶくろたすき掛けして、手に杖を持っている。

網袋には、尺八しゃくはちや小物が詰められていて、小さめの菅笠すげがさを引っかけ、杖は突くのではなく、左右に振りながら歩く。

男の名をいしという。


その後ろを歩く小柄な女性は、顔立ちは十四、五歳の娘のように見えるが、体つきはそれよりはもっと大人の成熟した女性のように見える。

淡い藍色の小袖こそでに上張りを羽織り、細長い手には手甲てこう、膝下には脚絆を着け、下げ髪をたばね団子にして巻上まきあげている。 

手には、杖と巾着袋きんちゃくぶくろを持ち、右足の爪先つまさきを少し引きずっているように見える。

女の名はつるという。


石と弦は、理由わけあって江戸へと旅をしている。

人目を気にする旅のため、関所せきしょの取り調べが厳しい五街道を避け、名も無い脇街道を歩いている。


幕府の手で整備されてない脇街道は、悪路や難所も多く、木々が鬱蒼としていて薄暗く、勾配がきつく滑りやすい。

二人が歩くこの道の両側には竹林が茂り空を覆い尽くす、今にも獣が飛び出してきそうな不気味な雰囲気の漂う山の道。


「いっさん、昨晩のひどい雨が嘘みたい上がって、今は晴れてるみたいですね」


竹林の隙間から覗く空を眺めていた弦が、石に話す。


「そうかい?まだちょっと肌寒い気がするが、お天道様は出てるかい?」


「ええ、お日様といっさんの大好きな青空が見えます」


石がよく青空かどうかを聞くので、弦は石が青空が好きだと勘違いしているが、石はそんなロマンチストでもない。


ただ、雲が多いといつ雨が降ってくるか分からないし、雨の日に外に居ると目が見えない石は泥濘ぬかるむ地面に足を取られたり、激しい雨音に音がかき消されてしまうと、耳が頼りの石はまわりの状況が分からなくなる。

だから、当分雨が降りそうにない、よく晴れた空かどうか気にしてるだけだ。


「晴れてんならいいや」


...「なんですか?投げやりですね」


弦は不服そうだ。


....そんなことねえけどなぁ...


「あー、青空で、良かった」


「なんですか?嘘くさい」


怒った顔で、弦が少し前を歩く石を見る。

なんて言やぁいいんだ...と思いながら石は、顔をうえに向けた。


木々の隙間から差し込む陽の光の温かさを感じて、少し嬉しそうになる石の顔。

それを見ていると、弦も釣られて嬉しくなり機嫌も直ったようだ。


弦はいつも、い【≪《し》≫】を言わない、何度言っても聞かないので石は訂正するをあきらめた。


「ふわふわしてる綿雲わたぐもが、青空を西から東にゆっくり流れてる。大きいのと小さいのが二つ並んで、まるで親子みたい」


弦は歩きながら、竹林の隙間から見える空の様子を説明している。

石の目が見えない事は、弦にとって当たり前のことなので《石が見ることが出来ない》事への配慮はない。

天気やまわりの景色、色、動物、様々なものを石の目に代わり、言葉で説明してくれる。


石は、弦と出会う前から盲目だった。

生まれつきではないが、石にとって目が見えない時間のほうが長い。

見上げても何も見えないが、見えていた頃の記憶で、空の青い色は頭に描けた。


鼻をスンとすると、昨日の雨の湿っぽい匂いしていたが、弦が説明する空の様子から、今日はもう雨が降ることはないだろうと思った。


足下を杖を頼りに、探り探りく。


この歩き方が当たり前になり、前はどんな風に歩いていたか、もう忘れちまったなぁ...と石は思う。

色やかたちはおぼろげな記憶だが、代わりに草木の匂いや風は以前より強く感じるから不思議なものだ。


坂道の勾配がきつくなり、石と弦は前後になって、石は前を弦はその後ろを歩く。

坂道の傾斜が急になるときは、互いに何を言わなくても、そうするようになっている。

石は手に持っていた杖を後ろへ伸ばし、弦がその杖を掴む。


杖の端と端を握り、石が弦を引っ張るようにして坂を上る。


弦は生まれつき右足の力が弱く、普段でもよく転倒することもある。 

厳しい勾配では両手をついて、動物のように這わないと歩けないこともある。

石は地面を強く踏みしめ、弦を引っ張りながら進む。


ふもとを流れる木曽川を吹き抜ける風が、足元から吹いてくるのを感じる。


登りがやっと終わったな...


石は顔を弦に向けた。


「疲れたろ。 休もうぜ」


弦がうなづく。


玉のような汗をかいて、荒い息づかいをしている弦は、道端みちはた一里塚いちりづかと掘られた岩の台座の上にへたり込んだ。

石はそのかたわらに立つ。


「いっさん、...ここ座れますよ」


場所を開けようとして、ふらふらと立ちあがる弦の体がぐらつき倒れそうになったのを、まるで見えているかのように石がしっかりと支える。


「何やってんだ、馬鹿。お前だけ、そこで休んでりゃ良いんだよ」


「バカってなんですか?せっかく座らせてあげようと思ったのに」


石に体を寄せ、腕にしがみつきながら、弦は文句を言う。


「わかったから、座ってろ。あしは立ってるほうが楽なんだから、これでいいんだ」


頬を膨らませている、弦の体を軽々と持ち上げ、台座の上に座り直させる。


風は緩やかに吹いて、少し冷たい風が汗をかいた体には心地良い。

足下で、弦が手拭いを取り出す。

来る途中の小川で、冷たい水を竹筒に入れていたので、それで手拭いを濡らし固く絞ると、石の手に握らせる。


石は、「要らねぇ」と拒否したが無理やり握らされ、結局、顔と首回りの汗を拭った。

ひんやりとした、手ぬぐいが気持ち良く、着物を脱いで体中にかいた汗を拭き取りたい気になる。


空を仰ぐ、目が見えていた頃の残像をまぶたの裏に思い浮かべる。


石は幼い頃に、人に預けられた。

その家は、三味線を人に教える妻と盲人で按摩業を営む夫の老夫婦が暮らしており、子が居なかった夫婦は、一晩の宿を借りに来た瞽女ごぜから抱えていた子供のことを頼まれ、引き受けたのだという。

理由は分からない。それ以上のことは、育ててくれた養父母は話そうとしなかった。


石は子供の頃から、家で弾く養母の三味線を聞き覚え、養父から按摩を手取り足取りで教わった。

養父は、盲人の互助組織である《当道座》に属し勾当こうとうの位にあった。

盲目である石のこれからのことを思い、養父は自分と同じく当道座に入るよう手配してくれ、座頭ざとうという階級を与えられた。


養父母が亡くなり、《あること》から、石はその土地から逃げるように畿内きないへと出た。

学もなくツテもない、盲人には世間は冷たく、辛酸を舐め泥をすすりながら生きて現在いまがある。


親のこともろくに知らない、どこでいつ生まれたのか、本当の名前さえ分からない。

石は、養父がつけた呼び名だ。

名前というよりも、呼びやすいように便宜上つけたのだろう。


父は生きているのか、母が何処にいるのかわからない。

死んでいるかもしれない。

生きているなら、例え捨てられたとしても、一度、逢ってみたいと思うが、それよりも今は一つだけ確かめておきたい事がある。

・・それが江戸へと向かう理由だ...。


石の見た目は四十半しじゅうなかば、背は人並み、手足が太く強靱な体で、一晩くらい寝なくてもケロっとしている。

腹だけはぽっこりした中年腹で、弦に「お酒の飲み過ぎです」といつも小言を言われている。


弦は二十四歳になったはずだが、童顔で十四、五に見られるような幼い顔立ちをしている。

体つきは年相応なので、そのアンバランスさのせいで変な色気があるらしく、たまに男が言い寄ってくる。

そういうことを感じない人からは、「まだまだ子供なのにしっかりしてるね」と褒められ、甘菓子を貰ったりしている。


本人としてはどう見えようが、どちらでも良いらしく、言い寄るおかしな男には厳しく、甘菓子をくれる優しい人には子供のように素直に、会話を合わせその都度使い分けている。


「お前、後でバレたらどうするつもりなんだ?」


側に居て、その会話を聞きながらヒヤヒヤしている石が聞いたら、


「気が小さいですね」


と一言だけ言われた。


二人に血の繋がりはない。

知り合ったのは、弦が十二歳の時。

舞妓まいことなる前の仕込み期間を置屋で手伝いをして過ごしていた頃。

石は、その界隈を縄張りとする八九三ヤクザ棄八すてはち一家に世話になっている渡世人とせいにん

芸妓げいぎの送り迎えなどが主な仕事で、たまに喧嘩に駆り出されたりしたが、相手の恨みを買うのが面倒で、適当にけむに巻いて過ごしていた。


見習い期間の娘には何の興味もなく、石には弦との話した記憶はないが、弦はお姉さんにあたる芸妓のボディガードのようなことをしていた盲目の男が珍しく、よく見ていたそうだ。


二人が出会って四年後の弦が芸妓になっていた十六歳の年。

棄八一家の抗争に巻き込まれて町自体が大きく消失する事件のなかで、二人はこの地を捨てる決意をして連れ立って旅に出た。

それから八年が過ぎた。


旅を続けている間に、お互いの関係も変化してしていく。

男と女といっても、親子くらい年の離れた二人の関係には、数年はなんの変化もなかった。

だが、成人を迎えた男と女の長い二人旅。お互いしか頼るものないふたりには強い絆が生まれ、相手を嫌いでもなければ、自然に結ばれることもあるだろう。


石には、若い弦の将来がこれで良いのかと、自問自答する時もあるが、弦にはそんな後悔のようなものは無いようだ。

うじうじしてる自分が、情けないと思う時もある。


しばらく休んでいると体の汗がひいてきた、じっとしていたら風邪をひきそうだ。


「そろそろ行くか?」 


「そうしましょうか」


石の差し出す手を支えに弦が立ち上がる。

降り坂から吹いてくる風に石は顔を向けた。


「関所が...」


石につられて同じ方向を向いた弦の目に、関所が見えたようだ。


「あれ...往来手形おうらいてがたは、どこにあったかな?・・・」


関所を通るため、役人に見せる手形を探す弦。

肩にかけていた行李こうりを下ろし、中を探っている様子。


大事なもんはちゃんと仕舞う場所を決めとけよ...と石は思ったが口にはしないで、しばらく待つ。


「あった!」 


行李こうりではなく、着物のたもとに仕舞っていたことを思い出し、自分の袂に手を入れて取り出す。


一応間違いないか、開いてみる。


その手形には、この者たち夫婦と記載されていた。

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