座頭の石

とおのかげふみ

ep.1.石《いし》と弦《つる》

戦国時代を制し天下人となった徳川家康。

その家康を祖として開かれた徳川幕府が統治していた江戸時代の日本。

その日本の主要基幹路として整備された五街道のひとつに江戸と京都を結ぶ中仙道なかせんどうがある。


季節は冬が終わり雪も解けた春から夏へと向かう時期。

中仙道から外れた脇街道わきかいどうを男と女が歩いている。


男は首から頭陀袋ずたぶくろを下げて腰差しの煙草、網袋あみぶくろを背中にたすき掛けにしている。 

網袋には小さめの菅笠すげがさを引っかけ、片手に持った杖を左右に小さく振りながら歩く。

男の名はいし


後ろを歩く女性は下げ髪を束ね団子にして巻き上げ、小袖こそでの着物に上張りを羽織っている。 

手に杖と巾着袋きんちゃくぶくろを持ち、右の爪先つまさきを少し引きずるようにして歩く。

名をつるという。


石と弦は、理由わけあって江戸へ二人旅をしている。

人目を気にする旅の為、関所せきしょの取り調べが厳しい五街道を避けて、名も無い脇街道を歩いている。


幕府の手で整備されてない道は悪路で難所も多く、歩く道も勾配がきつい。

両側には竹林が茂り薄暗く、いまにも獣が出てきそうな山道。


「いっさん、昨晩のひどい雨が嘘みたいですよ」


弦はいつも、い【し】を言わない、何度言っても聞かないので言うのをあきらめた。


「昨日は稲光いなびかりと真っ黒な雲が空を隠していたのに、今日はとても晴れやかです。」


弦は竹林の隙間から見た、雲が取り払われた空の様子を説明した。


石には空は見えない。

空だけではなく、目の前の全ての出来事を見ることはできない。

だが弦には、石の目が見えない事は当たり前のことなので《見えない》事への配慮はない。


石は、弦と出会う前から盲目だった。

生まれつきではないが、石にとっては人生で目が見えない時間のほうが長くなっている。

見上げても何も見えないが、見えていた頃の記憶で空の青い色は頭に描けた。


鼻をスンとすると、昨日の雨の湿っぽい匂いした。

今日はもう雨が降ることはないだろうと思った。


杖を頼りに、足下を探り探り行く。

この歩き方が当たり前になり、前はどんな風に歩いていたか?


(もう忘れてしまったな)

と石は思った。


色やかたちはおぼろげな記憶だが、代わりに草木の匂いや風は以前より強く感じるから不思議なものだ。


坂道は続き、石は前を弦はその後を歩く。

坂道を歩くときは互いに何を言わなくても、そうするようになっていた。

傾斜がきつくなると、石は手に持っていた杖を後ろへ伸ばし、弦が華奢な手で掴む。


杖の端と端を握り、石が弦を引っ張りながら坂を上る。


弦は生まれつき右足の力が弱く、ゆるい勾配の坂道で転倒することもある。 

石は地面を強く踏みしめて弦を引っ張りながら坂道を進む。


ふもとを流れる木曽川を吹き抜ける風が、足元から吹いてくるのを感じる。


(登り道がやっと終わったか)

石は後ろを振り向いた。


「疲れた。 少し休もう」

背後の弦に声をかける。


玉のような汗をかいて、荒い息づかいをしている弦は、道端の一里塚いちりづかと掘られた岩の台座にへたり込んだ。

石はそのかたわらに立つ。


「いっさん、ここまだ座れますよ」


岩の上で場所を開けようした体がぐらつき、転げそうになった弦を目が見えているかのように石が支える。


「お前だけ座ってろ、..あしは立ってる方が楽なんだ。」


怒ったように石は言う。

両手で軽々と弦の身体を持ち上げ、台座の上に座り直させる。

風は緩やかに吹いて、少し冷たい春風が汗をかいた体には心地良い。


石は小さな頃、盲人会である《座》に預けられ育った。

親のことも知らず、自分がどこでいつ生まれたのかも定かではない。

ただ薄い記憶に母と過ごした思い出があるだけ。


見た目は四十~五十くらいの年齢で、背は人並み手足は太く体は強靱である。

中年腹の肥満気味で、よく弦に


「お酒の飲み過ぎです」

と小言を言われている。


弦は二十二歳になったはずだが、小柄で童顔のため見た目は、年よりも幼く見られる。

たまに十四、五に見られることがあり、「もうすぐ成人おとなといっても、まだまだ子供なのにもう落ち着いていて偉いねぇ」と子供扱いされて菓子を貰ったりしている。


本人としては年齢などどちらでも良いようで、適当に相手に話を合わせる。


「あとで、バレたらどうするつもりだ?」


と聞いたら、


「気が小さいですね。」


として言われてしまった。


石は(ちょっと怖い..)と思うことがある。


二人に血の繋がりはない。

もともとそれほどの知り合いでもなく、互いに《江戸に向かう》目的があったから連れ立って旅をはじめた。

それが旅を続けている間に、お互いの関係に変化が生じている。


しばらく休んでいると体の汗がひいてきた、じっとしていたら風邪をひきそうだ。


「そろそろ行くか?」 


「そうしましょうか」


立ち上がろうとしてふらつく弦を、石が支える。


弦が立ち上がるのを待つ間に、下り坂から吹いてくる風に石は顔を向けた。


「関所が...」


石に釣られて同じ方向を見た弦には、遠くに関所が見えたようだ。


「あれ...往来手形おうらいてがたは、どこにあったかしら・・・あった!」 


関所を通る為、役人に見せる手形を探す弦。


行李こうり〔小さな荷物入れ〕ではなく、着物のたもとに仕舞っていたことを思い出した。

袂に手を入れて手形を取り出す。

一応間違いないか、開いてみる。


その手形には、この者たち夫婦と記載されている。

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