ep.6.定吉《さだよし》と助五郎《スケゴロウ》
ソの河の現場では、土台が組み上がり、
その作業の中心に定吉がいて、ソの郷の職人達に的確な指示をしている。
気安く声をかける仲間が多い定吉は、強いリーダーシップでまわりを引っ張るタイプではなく、職人仲間の話を聞きながらながら仕事を進めるタイプのリーダーだ。
(雨が降る前には、橋桁を掛けておきたい..)
いま定吉は、その思いで現場の長として指示を出している。
「定吉さん、頑張ってくれてるねぇ」
と甲高い声が聞こえる。
「多の屋の旦那!」
橋の中間で、指示を出していた定吉は、めったに現場に来ることのない助五郎が現れたことに驚いた。
あわてて橋から降りて、助五郎のところへ走る。
周りの職人たちも何事かと、定吉を見ている。
「どうかしましたか? 多の屋の旦那」
助五郎は笑顔で応えた。
「いや、これをね、皆に精を付けてもらおうと持ってきたんだよ」
そう言うと、後ろの大八車を振り返り、かぶせていた藁を取り払うように言った。
大八車には飯や酒が積んであり、橋梁造りの作業をしていた男達も手を止め遠くから見守っている。
「みんな、一息ついとくれ、飯もあるし、酒もあるよ。」
助五郎は、まわりに職人達に聞こえるように声を上げた。
定吉は、大八車の荷物を見て渋い顔をしている。
「どうした?なにかマズいことでもあったのかい?」
眉間にしわ寄せ黙っている定吉の顔を見て助五郎が尋ねた。
「旦那、作業は順調ですが、決して早いわけではありません。いまは、ともかく雨が降る前に、橋桁を架けてしまいたいんです。」
定吉の返事に、助五郎の顔が
「飯くらい良いだろうさ、みんな頑張ってるんだし、ねぇ」
助五郎は穏やかに話しているが、内心は穏やかじゃない。
「でも、さっき休んだばかりで・・」
笑顔は消え険しい表情になった助五郎。
せっかくの自分の好意を
「私のやったことが迷惑だったってことか?」
「いや、そういうことじゃありませんが、ただ...」
定吉は慌てて否定するが、助五郎は大八車を振り上げた拳で叩き、声を張り上げた。
「いいじゃねえか、作業が遅れてるわけじゃないだろ、もう今日は休みにしろ!明日、また明日その橋桁をやれ!」
怒りを隠さない助五郎、現場を勝手に休みにしろと言われても、定吉にはこれ以上強くは言いかえせない。
仕方なく仲間を振り返り、今日の作業はここまでと伝える。
職人達はそれぞれの作業をやめ、道具を片付けて仕事終いをすると、わらわらと大八車に集まってきた。
みなが助五郎にお礼を言いながら、笑顔で食い物や酒を運んでいく。
一気に落ち込んだ気持ちを察した、何人かの仲間に慰められて、定吉も次第に落ち着いてきた。
(今日は、普段より早めに行けるな)
気持ちを切り替えた定吉は、大八車からの荷下ろしを手伝っている。
職人達に感謝され、助五郎の気分も多少持ち直している。
(お
そうでなければ意味が無い。
いずれソの郷が子毛の宿場町の分村となれば、町代の助五郎の権限は今よりも、もっと大きくなる。
(子毛が、五街道の宿場町なみにデカくなれば、ゆくゆくは、俺が
娼婦だった女性から生まれた助五郎。
だが、幸か不幸か助五郎は成長すると
物心つけば、金を稼げないことで、《穀潰し》《生むんじゃなかった》と母親から罵られる毎日。
助五郎は、14歳になると大人なみの躰と生来の凶暴さを武器に、暴力と盗みで稼ぐようになった。
母親はどんな汚い稼ぎ方だろうが、助五郎が金さえ持って帰れば褒めてくれる。
母親の喜ぶ姿、褒められた喜び、助五郎は死に物狂いで金を稼いだ。
だが、その金は全て母親の阿片[薬物]に消えていき、いつまでたっても貧しく裕福な暮らしにはならない。
助五郎の心に母親に対するドス黒い感情が広がっていく。
(いつか殺してやろうと思っていたあの女は、、16の時にアヘンの中毒で死んだ。 急に俺は自由になった)
それからヤクザ稼業にどっぷり浸かり生きてきたが、なんのツテもない若造が、暴力だけで一家を作り
助五郎の目に、さらに上をいく悪党たちがしのぎを削る世界が見え、阿呆らしくなって、
そこで、たまたま出会った子毛の問屋の娘を
山の中の全国など知られるはずもない田舎の宿場町で、わずかな子分を抱え、一家を構えた後は、この
(俺にも運が巡ってきた)
空になった大八車を、男達に引かせ子毛に戻ろうとする助五郎。
定吉は、橋梁の現場から子毛山道まで後をついて行き、助五郎たちの姿が見えなくなるまで見送った。
助五郎に、
「見送らなくてもいいのに、定吉さんは律儀だねぇ...」
と言われたが、理由は他にある。
定吉は、助五郎が自分を軽く見ることを決して許さない、筋金入りのヤクザだと分かっていたからだった。
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