第7話
叶香が蒼白になって息を呑む。諒はそれを横目に、心底苛立たしげに舌打ちした。
電話向こうの郁は、苦笑まじりに諒に問いかけた。
『やっぱり僕って〈浮幽霊〉でいいんだね?」
「自覚無かったのかよ」
『いやぁ、何せ自分の体を置いてけぼりにしてふらふらするのなんて初めてだからさ』
「そんなもん人生で何度もあってたまるか。っつーか携帯通じて話すなんて小技使う前に自分の体に戻れよ」
諒は郁に怒っているようだった。足元の枯れ草を怒りをぶつけるように踏み荒らす。
対する郁はどこまでも呑気な風情だった。
『戻り方がわからなくってさぁ。そもそも、気付いたらここにいたんだよね。いろいろ試して瞬間移動っぽいことはできるようになったし、ふわふわ漂うのもお手の物だけど、気を抜くとここに戻ってきちゃうからお手上げで』
「気合いが足りねぇんだよ、気合いが」
『幽霊って、そんな精神論的なものなんだ?』
「精神だけあるようなもんなんだからそうだろ」
『そうかなぁ……。ところで諒、叶香へのフォローもちゃんとしようよ。叶香が精神的に参ってたの、わかってたんだろう?』
「大体がてめーのせいじゃねぇか。お前がアホで間抜けで大馬鹿野郎なのが原因だろ」
『散々な言われようだけど、あれは不可抗力だよ』
郁の弁明を、諒は鼻で笑い飛ばした。
「人助けしようとして自分が頭打って意識不明になってりゃ世話ねーだろうが」
『そういう予定じゃなかったんだって』
「予定たてて意識不明になるやつがいるか。っつーかそれにしてもタイミング悪すぎんだよてめーは」
『それに関しては返す言葉がないなぁ』
肩を竦めるような気配がした。合わせて蛍のような光が明滅する。
叶香はただ、呆然と二人の会話を聞くしかできなかった。
「よりによって叶香と電話で話してる時に人庇って階段から落ちるとか、狙ってんのかてめー」
『狙ってるわけないじゃないか。僕もまずったなぁって思ったよ。だからこうして叶香に干渉を試みたわけだし』
「それで、なんでやることが電話繋げてこいつ振り回すことなんだよ」
『振り回すなんて人聞きの悪い。第一に、携帯への拒否感の払拭。第二に、叶香を心配してる人と会わせることで、内にこもった状態から脱させる。一石二鳥で、理にかなってるだろう?』
「……それが目的でンな回りくどい真似したのかよ」
『うん、そうだよ。ちゃんと諒が気付いて、追いかけてくることも織り込み済みだったしね』
郁の言葉に、諒は何かに気づいたように目をぎらつかせる。
「……。っつーことはあれか。てめー、意識不明からここまでの間、俺らのプライバシー侵害しまくってたな? じゃねーといくら連絡とってたって、叶香の交友関係だの、おれが今どの程度〈見える〉かだの、わかるわけねぇもんな。くっそタイミングよく満也とかと鉢合わせさせられねぇもんな」
『否定はしないよ』
「少しは悪びれろよ、タチ悪ィなほんと」
『諒は相変わらず僕に手厳しいよね』
「叶香がてめーに甘いからな。ちょうどいいだろ」
そこで、諒は少し声を低めた。叶香には聞こえない声量で郁に問いかける。
「……さっきの叶香の取り乱し様、俺が来なきゃ、現実、認められないままだったんじゃねぇの」
『諒が来るって信じてたからね。もしそうなってもなんとかなるかなって』
「つまり適当ってことじゃねーか。そういう行動の仕方止めろよ、いい歳なんだから」
『二歳しか違わないのに、年寄り扱いしないでほしいなぁ』
「二歳も違やぁジジィだろ。てめーのノリもジジくせぇし」
『ほんと、言いたい放題だなぁ。まぁいいけどさ。……諒、ちょっと叶香に代わってくれる?』
「あァ?」
跳ね上がった声は叶香にも届いて、叶香は肩を震わせる。
それを見た諒の目つきがさらに鋭くなった。
『凄まないでもらいたいな。ちょっと話すだけだよ』
「別にいいけどよ、てめー、自分の体に戻る気はあるんだろうな?」
『もちろん。意識がないだけで、体は健康そのものにまで回復したらしいのに、戻らない理由がないだろう?』
「だったらさっさと戻れよ」
『それはそうなんだけど。多分、僕が戻れないのって、叶香のことが気にかかりすぎてるからなんじゃないかなぁって思うからさ。うまくいけば、もうすぐ戻れるよ。ダメだったら、諒がなんとかしてくれるって信じてるし』
「おい、俺はちょっと〈見える〉とか〈わかる〉だけで、霊を祓うだのなんだの、そういう特殊能力とは無縁だっつーの」
わかってんのか、と諒が言えば、郁は軽やかに答えた。当たり前の真理を告げるように。
『うん、知ってる。でも僕がこのままでいることが叶香に与える影響とか考えたら、きっとなんとかしてくれるだろう?』
「……ックッソ、てめー、体に戻ったら覚えてろよ」
『一発くらいは殴られる覚悟をしておくよ。グーはご遠慮願うけど』
「だったら、グーで殴る準備しといてやるよ」
『ひどいなぁ』
「ハッ、言ってろ」
そうして、諒は呆然と縮こまっていた叶香に携帯を向けた。
「ほらよ、叶香。……ったく、ンな死にそーな顔してんじゃねぇよ。郁のヤロー、中身も外側もピンピンしてんじゃねーか。お前の方がよっぽど死にそうだっての」
『そうだよ、叶香。ちょっと中身と外身が分離しちゃっただけで、僕は元気だよ? ちょっとショッキングかなぁって音声聴かせちゃったのは悪かったけど、叶香が気に病む要素はどこにもないんだから』
言われて、叶香はやっと感情を思い出したように唇を震わせた。
みるみるうちに瞳に涙が浮かぶ。
「……っ、だ、って。私と話ししてなかったら、もっと早く、落ちてくる人に気付いて、庇ったとしても怪我しなかったかもって……」
『あはは、ないない。俺の鈍さは筋金入りだからねぇ。早めに気付いたって、どうせうっかり頭打つくらいしてたよ』
「何回も、何回も思い出すの……郁の叫び声も、携帯が落ちていく音も、……郁が落ちた、音も」
繰り返し、繰り返し。何度も思い出した。何度も後悔した。
そう伝えれば、郁は弱った声で謝罪してきた。
『うん、それは本当に申し訳なかったなぁって。まさかあんなことになるとは』
「たくさんの人の、悲鳴も、ざわめく声も、救急車の音も……ずっと、聞いてたの……」
『……ごめんね、怖かったよね』
「……うん、怖かった。二度と、郁の声、聴けないんじゃないかと思って。夏に会うって約束も、果たせないんじゃないかと、思って」
事故が起こる直前、夏にそっちに行くよと郁が言った。楽しみに待ってると叶香は答えた。
その約束が果たされないんじゃないかと思って、怖かった。
『すぐに安心させてあげられなくて、ごめんね。この通り僕はピンピンしてるし、体も怪我が治って健康そのものになったらしいから、大丈夫だよ。夏にはちゃんと、体ごと会いに来るから、ね?』
「でも郁、体に戻れないんでしょう……?」
『まぁそれはね、どうにかなると思うんだよね。だから、ほら、安心して?』
「……でも……」
叶香は諒と違って、超常現象に縁なく過ごしてきた。
安心して、と言われても、そう簡単にどうにかできるものなのかという疑念がぬぐえない。
『まぁ、そう言っても難しいよねぇ。……叶香には、僕が蛍みたいに見えるんだったよね?』
蛍のような光が、ふわふわと叶香の前を舞った。
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