第15話 調薬する火曜日 2


「それでは、ヤクサ様は初心者ということですので、呪い師様の口頭での指導のみ許可をいたします。材料のほうは、お持ちでない場合工面いたしましょう。期限は本日早朝5時から明朝の5時まで。監視係として、当方の使い魔コヨリを残します」


 平坦な声で述べたアキナイさんは続けて小太りの男をみた。


「いかがでしょう、烏合うごう様。この試しに残れば、またとない人材の発見。外れれば貴方の子飼いを薦められる、損はないかと存じますが」

「ふうむ……富士野が出張ってきたことも気になるところだ。鍋師殿、この試し、乗りましょう。ですが、私は出来ないことを祈るばかりですな」


 ちらりと小太りの男と目が合ってしまった。こちらから逸らすのは悔しいのでじっと見つめると、男は柔和な顔なのに冷めた目でこちらを見て、背中を見せた。


「ではまた明日、お伺いします」


 アキナイさんが頭を下げて、かちりと換気扇のスイッチを引っ張った。

 あっという間に、換気扇に吸い込まれるように二人の姿は消えていった。臭いは後引いたが、やがてするすると収まっていった。


 二人の姿が消えたのを確認して、ナヨはまず富士野の頭をお玉で叩いた。

 ぱこん。

 軽い音をさせた頭をさすって、富士野は少しむくれた様に頬を膨らませた。


「なんですかもう。助けてあげたじゃないですかー」

「お前のは余計なことを助長したんだ。第一、お前とあれの相性は最悪だ」

「向こうが勝手に嫌って勝手に思い込んでいるだけですよ。そろそろちょっかいがうざったくなってきたので、丁度いい機会と思いまして」


 お玉を持ったまま腕を組んだナヨは、苛立たしげに指をとんとんとさせた。

 俺は、二人がいなくなったのをいいことに台所のほうへと顔をのぞかせた。富士野にぺこりと頭を下げておく。マスクはありがたかった。臭いが今は引いたので、マスクをスウェットのポケットにしまう。


「ヤクサ、お前も簡単にやるなんて言うな。お前がやらなくても、他にやりかたはあった」


 ナヨがじろりと見下ろしてきた。険のある視線にたじろきそうになったが、富士野が「まあまあ」と援護をしてくれた。


「それって、呪い師があれの子飼いを弟子としてとった後で、隠し弟子として八草君を保護することでしょう? 面倒くさい面倒くさいという割りに手をかけちゃうんですね?」


 笑顔の富士野と対照的に、ナヨはしかめっ面だ。


「最初から目をかけて保護を買って出るくらいなら、とっとと弟子と認めて公表してしまえばいいんですよ」

「それが出来たら苦労しない。俺とは勝手が違う。素養はあっても、帰る家がある。出来るなら、ヤクサは普通でいたいだろう」


 そう言うナヨは、珍しく憤っていた。傍によって立つと、ナヨは指をとんとんとさせるのをやめた。


「3年。あの時、あの薬が作動していたら、ヤクサは保護の代償で力をなくすはずだった」

「純粋に呪い師を待ち続けた八草君は、力がなくならず俺に見つかった。結果として再会して、弟子候補になった、と。よかったです、力があって。なくなっちゃったら育てる楽しみってのもないってものです」


 まとめてくれた富士野にはありがたいが、最後は余計だった。

 富士野は今はこうして俺の使い魔のポジションに収まっているけれど、最初は俺を食べようとした奴だ。それに昨日は俺に向けたある言葉を話せなくする行為をした。むせかえるくらいの花の匂いも時折鼻に突く。

 だから、いい面ばかりじゃないだろう、まだ狙っているのではないか、そう思って聞いてみる。


「……それはあの、もしかして食用的な」

「はい。他に何が?」


 ためしに確認してみたら案の定だ。


「そもそも力があるものって、栄養がたっぷりで魅力的なんですよ。人間だけじゃなくてその他色々にも。だから、力が簡単になくならなかった八草君はご馳走なわけです。鼻もすこぶるいいから珍味として特にね。フェアリー系男子の俺ですら釣られちゃう一品ですよ! 誇ってください」


 俺の魅力を語ってくれたのはいいのだが、あまり嬉しくない。微妙な顔をしてみせた俺とは逆に、富士野はビー玉のような深緑の目を細めて人差し指を立てた。


「呪い師、八草君。時間が迫ってますよ。手伝い、いるでしょう?」


 ぴっと指差した先には、カチコチと音を立てる柱時計があった。

 時間は5時前。アキナイさんが指定した時刻はもうすぐだった。俺はナヨを見る。


「……ヤクサ、髪か爪か血が出せるか」


 なんだその3択。でも、ナヨは真面目に言っている。俺は、髪をぷつりと一本取って差し出した。


「富士野」

「はいはーい。後でご褒美くださいね」


 ナヨから受け取った富士野は、それを口に入れたあと手で顔を覆った。

 俺の髪の毛を食べたことにもドン引きだが、それ以上に驚くことが起きた。

 ぐずぐずという音を立てた後、パッと富士野が顔を上げると、そこには、富士野の顔はなかった。

 俺の、顔だ。

 顔が俺の、八草香の顔になったと思ったら、今度は髪の色が黒く変わり、最後は縮んでいった。

 数秒後には、そっくりな俺が目の前に立っていた。いつの間にか服も俺と同じものを着ている。


「では、俺はこれから八草君のお家に行って、今日は風邪で一日寝ているということにしておきましょう。ここ1週間ほど八草君の行動はある程度見ていたので、ばっちりですよ」


 嫌なことを俺の顔で、それも笑顔で言わないでほしい。声が富士野の声のままということはまだマシか。


「さて。あとは、声ですねえ」


 喉元に手をやって、指が埋まるくらい強く自分で喉を掴んだ。痛くないのかと思ったが、前に富士野が不死者は痛みに鈍いと言っていたのを思い出す。よって、平気なのだろう。けれど見ているこっちが痛い。


「あー、ああー、あー。どうです?」


 まるで俺の声がそのまましゃがれたような感じだった。これなら風邪だといえば、父さんと母さんは疑わないだろう。


「うん、凄い」


 頷けば、俺の顔をした富士野は嬉しそうに頷いた。


「俺はハイスペックですからね! 任せてください!」

「さっさと行ってこい」


 ナヨは富士野の背を押すように足で追いやる。


「わっ、もう、そんなことして。乱暴者は嫌われますよ? では、また後でお会いしましょうねー」


 蹴りだされた富士野は、手を振ってドアの向こうへ消えた。元は富士野だと分かっていても、俺の姿が蹴られているのを見るのは複雑である。



 富士野が俺の家へ向かった後、ナヨは仕切りなおしというように、俺を見下ろした。


「……こうなった以上は、やってもらおうかヤクサ」

「任せて! と、言いたいところだけど……あのさ、ナヨ」


 ついつい口を突いて言ってしまったものの、俺は重要なことを忘れていた。


「やり方も、何も、全然わかんない。どうしたらいいと思う」


 言ったとたん、ナヨはほらみたことかと言わんばかりに呆れた顔をした。

 ぽこん、と軽く頭をお玉で叩かれる。音の割りに、痛い、地味に痛い。


「考えなしの浅はか者だな、まったく。たまたまお前の能力なら大丈夫なものの……時間がないな。いいか、ヤクサ、よく聞け」


 ナヨは姿勢を正して俺を見る。


「5時になったら、アキナイの記録が始まる。その前に、お前の能力をよく考えろ。道具や材料は家にあるもので足りるし、作り方を説明することもできるだろう。ただし、俺は手は出せないからな」

「俺の能力って」


 回復と促進。回復は分かるけれど、促進がいまひとつ掴めていない。

 火釜さんみたいに燃焼という分かりやすい能力ならまだしも、はっきりしない。補助系の何かだとは思うが。


「幸福薬は作成に、半年は軽くかかる。至難と言われるのは材料をそろえること、数ヶ月は鍋をかき回し続けねばならないことからだ」


 それじゃあ、間に合わない。期限は明朝5時だ。

 俺の情けない顔を見て、ナヨは「だから」と続ける。


「失敗して材料が足りなければ、使い魔を通してアキナイが用意する。それに、良く考えろといっただろう。出来ないと思うな、必ず出来る」

「そんな自信どこから出てくるの」

「俺は何故お前が分からないか理解できないがな。促進の意味はなんだ」


 意味って。

 ナヨに言われて、考える。

 促進は、物事を進める、促す、早める……そこまで考えて、ぴんときた。

 俺の能力ならば、数ヶ月を早めることが可能なのではないか。


「薬の時間を早送りすればできる……時間短縮!」


 俺の答えに、ナヨは頷いた。


「ただし力を使うと疲れる。お前は使い慣れていないから、すぐにばてるだろう。その場合の回復方法は、お前も分かるはずだ」


 この答えはすぐ分かった。俺のもう1つの能力は回復。もちろん、ばてているのに自分へ能力を使うことは……回復することは出来ない。

 けれど、俺は俺を回復する手段がある。

 判別の木の実を使う。

 俺の適正を調べたときに出来た木の実。これが出来たとき、ナヨが言っていた。

 人に与えれば、回復を手助けするだろう、と。

 ナヨと目が合えば、ナヨは唇に弧を浮かべた。


「さあ時間だ。準備を始めるぞ、俺の弟子候補」

「了解、師匠!」


 ナヨの言葉に、俺は力強く返した。





《記録を、始めます》


 アキナイさんが呼び出していた使い魔、コヨリが突如俺の近くに現れた。

 時刻はきっかり5時。

 コヨリという使い魔を改めて見る。やはり、喩えるなら巻物に近いかもしれない。ひらりひらりと浮かぶ物体は、開けた方を俺のほうに向けてついて回る。

 ナヨは、コヨリの言葉が聞こえたと同時に、台所のあちこちからぽいぽいと材料を取り出した。

 瓶詰めに入った、へどろみたいなもの。同じく瓶詰めに入った、乾燥した木の実らしきもの。2つの四角い調味料箱に入った、黄色の粉末と白の大粒の結晶。一升瓶に入った茶色の液体。束ねた枯れ草。使い古した鍋。お玉。すり鉢とすり棒。計量スプーンに計量カップ。隅の方には、俺の判別の木の実が入った瓶が置いてある。

 広いとはいえない台所の調理台は、あっという間に埋まってしまった。

 そうして次々と出した後ナヨは、事務的な口調で指差した。


「この瓶を鍋に半量。カップで400だ。火はまだつけるな」

「はい」


 一升瓶を取って計量カップで計ってから鍋へ。透き通った出汁みたいな茶色い液体だ。匂いは甘ったるかった。


「すり鉢で木の実を2つ潰す。しっかり粉末になるまでだ。このとき、旧式言語で、砕く、鮮やか、と念じること。呪い師が作る薬は、旧式言語がないと成り立たない」


 なるほど。だからナヨはあれほどミミズ文字を覚えろといっていたのか。


「はい」


 納得しながら、すり鉢を手にとって瓶詰めから木の実を二つ取り出した。色褪せた橙の実は、干し柿に似ている。

 旧式言語は、片言とはいえ、富士野の勉強もあってそれなりに出来てきている、と思う。砕く、鮮やか、は覚えている。

 脳内でミミズ文字を並ばせながら、丹念に潰す。


「白い結晶を大匙山盛り2杯。同じすり鉢に入れて擂り混ぜながら、混合と念じる。しっかり潰せ」


 計量スプーンで白い結晶を取り出して、すり鉢に移す。氷砂糖みたいで、綺麗だが、ぷんと薄荷の匂いがした。

 薄いオレンジ色となった粉末を見て、ナヨは鍋を指差す。


「鍋の中に入れて、火をかけろ。中火で沸騰しそうになったら弱火に変える。お玉で左方向へ混ぜながら、溶ける、と念じる」

「あ、と、はい」


 粉末を入れて、火にかける。左方向へ回しながら念じるのも忘れずに。


「粘り気がでたら、コケ泥を入れる。緑の瓶詰め、それだ。大匙3杯」


 ナヨの言うとおり、どろりとした茶色い液体は、正直綺麗とはいえないが、匂いは甘ったるいものから程よい甘さの匂いに変わっていった。菓子屋に入るとする匂いに近い。

 へどろみたいなのを3杯いれる。


「いれたら、右方向へ回す。同じく、溶ける、と念じる。色が黒に変わったら、お玉でなく枯れ草束で右方向に回す」


 ぐるぐると今度は念じながら右に回し続けると、茶色が灰色に変わり黒になった。すかさず枯れ草の束に変える。


「色が透明度を持った黒色の液体になるまで、混ぜ続ける。ずっとだ。休んでもいいが、10分以上鍋を離れると失敗する」


 それは至難だ。きっとこの段階が長く鍋を回し続ける段階なのだろう。ナヨを伺うと、意味ありげに隅に置かれた俺の実をみた。

 なるほど、今か。自分の道具を念じて呼び出しを計る。

 来い、俺の道具。

 銀色をした俺の家のジョウロを思い浮かべつつ、ミミズ文字でジョウロと頭のうちで唱える。

 枯れ草を回す腕とは反対の開いた手に、ふっと重さを感じる。

 銀色の小さめのジョウロが手元に出てきた。よし、順調かも。

 ジョウロと鍋を比べながら、ジョウロの注ぎ口を鍋に近づける。

 鍋の中の時間、早まれ、早まれ。

 むむむと鍋とにらめっこしながら、ひたすら回す。次第に粘度が薄れてもとの液体に近づいてきたところで、頭がちかちかした。

 あ、これが力をつかってばてるということなのか。

 思いながら両方の手をとめて、俺の木の実をとろうとしたところで、俺の手が落ちた。

 あれ、なんで。

 思うように力が入らない。もう一度、伸ばそうとした手はあがることなく、ナヨを見ようとして俺はくらりと座り込んだ。

 視界が明滅する。


「あ」


 視界が暗転する前に見たナヨの顔は、僅かに眉をしかめて口をぱくぱく動かしていた。

 なんだろ。

 お、そ、す、ぎ。遅すぎだ。

 ちょっとは、心配してくれてもいいんじゃないだろうか。わずかに落胆しながら俺は意識を落としたのだった。


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