第13話 道具呼び出す月曜日 3


 また瞬間、場所が変わる。

 人の気配がして、戻ってきたのだと分かる。あたりからは部活に励む生徒の声や音、下校する生徒や通行人がぱらぱらと通っていた。

 皆一様にちらちらこちらを見たのは、唐突に人が現れたからだろうかと思えば、そういうわけではないようで、見る人々はぽうっと富士野を眺めていたりする。

 ああ、そういえばこいつは滅多に見ない類のイケメン様だった。隣に立つ火釜さんもそれなりの美人であるから、相乗効果で余計目立っていた。

 ちょっと可愛い女生徒が富士野に見惚れているのを見て、こいつさっき消し炭になりかけてましたよって言いたくなったが堪える。

 ぎゅっと握った手のひらに感触が帰ってきて手元を見れば、手にはさっきのジョウロが握られていた。この道具、消えないものなのだろうか。

 そう思いながら、富士野と火釜さんへ声をかけようとして、鼻をくすぐるあの臭いが濃くなったことに気づいた。

 嫌な感じの臭い。

 冷蔵庫の中から発掘した、腐りかけた肉の、臭い。


「八草君、ちょっと」


 富士野が急に腕をとって校門から歩き始めた。後ろからヒールを鳴らした火釜さんが追ってくる。


「何よ、急にどうしたのよっ」

「火釜、貴方、最近妙な奴と会ったでしょう」

「妙? 富士野とヤクサ以外はあった覚えはないけれど……あら? ヤクサの友達とは会ったわね」


 トモ男のことか。

 しかしその答えは富士野の求めた答えとは違ったようで、盛大に嫌そうな顔をしていた。


「では、呪い師の弟子を探すとか吹聴しながら聞きまくった結果、つけられたのでしょうね」

「吹聴してないわよ! ちょっと、あたりに聞いてただけじゃないのよ……わ、悪かったわよ!」

「八草君」


 富士野は振り返らずに、真面目な声で俺を呼ぶ。


「俺も呪い師もね、結構有名なほうなんですよ。だから、ちょっと普通じゃないものとも知り合いは多いんです。友好かはともかくですが……呪い師からもらったお守りは持っていますね」


 お守りというと、あの小袋か。小袋ならば今日も鞄の中に入れている。けれど、今気づくと、小袋からの虫除けの臭いは弱くなっていた。


「えーと、うん……なんか弱まってる? みたいだけど」

「……そうでしょうね、嗅ぎつけられたくらいですから。家がばれるのはまずいです。近くの人気がない場所へ向かいます。火釜、貴方は呪い師を呼んできなさい。場所は」


 富士野が歩きながら指を空で指した。空にくるくると砂のような粒子が舞って羽根の突いた小さな目玉が出てきた。


「これが案内します。なるべく急いだほうがいいでしょう。怖い目にあいたくなければ」

「……分かったわ。その、ヤクサ、悪かったわ。富士野がいるから大丈夫だとは思うけど、ごめんなさい」


 しゅんとした火釜さんが軽く頭を下げて、目玉と消えた。


「瞬間移動……?」

「彼女は仮にも魔女の姪ですから。身を隠す道具くらいは持っています。問題は八草君、きみです」


 早足で歩く富士野に小走りで付いて行く。


「八草君は結構度胸があるほうだと信じて、堪えてもらいます」


 富士野が目指したのは、作業中止をしている工事現場だった。

 この工事現場にはビルが建つ予定なのだが、予算が間に合っていないとかで進行がとてもゆっくりなのである。いつ出来るのだろうかと住民の間で色々言われている土地だ。もっぱら現在は肝試しとかでよく使われるスポットとなっている。


 時間はいつの間にか17時となっていた。

 17時に流れる有線放送から夕焼け小焼けの音楽が流れている。

 臭いは、どんどんとこっちへ向かってくるようで、正直隣にフローラル芳香漂う富士野がいてほっとした。


 鼻が曲がりそうなくらい、嫌な臭いのそれは、猛烈な勢いで現れた。


 四肢で地を蹴る音を響かせ、やってきたのは動物らしきものだった。

 中型犬の成犬ぐらいの大きさで、凄いスピードだったからよく見えない。こちらへ勢い良く突進してくるのを、富士野が小走りで捕まえた。

 富士野のおかげで、飛び込んできた形がよく分かった。犬のようなものだった。

 顔面がケロイド状にただれていて、口だと思われる部位からは泡が吹き出している。

 怖い。心臓がばくばく鳴っている。

 足が竦みそうになるが、富士野の顔を見て少しましになった。

 富士野は捕まえた犬のようなものに、腕を千切られそうなくらい噛み付かれているのに、全く堪えた顔をしていないのだ。


「八草君。大丈夫。まだこいつは小手調べでしょうからね」


 そのまま犬らしきものをもう片手で掴んでひねって回した。

 粘土細工のように犬のようなものの首が回る。

 ぐろい。

 ぐろいと言えば、富士野の腕だ。はっとして富士野の噛まれた腕へ向けて、持っていたジョウロを向けた。


「ああ、大分混乱しちゃいましたか。大丈夫ですよ、気持ちだけで」


 富士野が軽く笑って腕を振る。二回三回振ると、腕は全くの元通りになった。


「富士野さん、この、こいつ」

「そうですね、こいつに向かって力を使ってみてはどうでしょう?」


 どうでしょう、じゃない。会話になっていない。

 富士野の言葉に俺はきっと途方もない顔をしたに違いない。富士野は俺を見て「ふふふ」と笑っている。


「物は使いようと言ったでしょう。ほら、過ぎたるは及ばざるが如し。過ぎた回復は毒になりますからね。怖いなら俺が抑えておきますから」


 富士野はそういって、足で犬らしきものを押さえつけた。

 本当にやっていいのか。

 そろそろとジョウロを向けてみる。

 本当に、大丈夫なのか。抑える富士野を見るが、富士野はガラス細工みたいな目を下の物体に向けている。

 こわごわと念じそうになったとき、鞄からぷんと臭いがした。

 虫除けの、香り。それから、嗅ぎなれた、香りが。


 ナヨ。


 同時にぱこんと音を立てて頭を軽く殴られた。


「お前にはまだ早い」


 向けたジョウロを、手で下げられた。

 ナヨが、横に立っていた。その少し後ろでしゅんとした火釜さんが立っている。


「すすんでやるようなことじゃない。不死身の」

「おや、早かったですね」


 富士野が犬らしきものから足をどけて、こっちを振り返った。


「道具をあつらえたのは大目に見てやろう。コンロ、手を貸せ」

「はっ、はい!!」


 ぴしっと直立不動で応える火釜さん。ナヨの渾名はよくわからないセンスだ。きっと、炎を出すからコンロとつけたのではなかろうか。


「ナヨ」

「お前はもう少し下がっていろ。あとこれ持っとけ」


 ぽいと手の中に、いつぞやナヨが編んでいたミサンガのようなものが渡された。説明を聞こうとしたが、しっしっと手で追いやられたので、大人しく下がる。

 言うとおりにしたほうが正解なのだ。今は。

 ナヨが来たことによる安堵感で一杯だった俺は、一息ついてミサンガを握り締めた。


「不死身の。あといくつ来る」

「今回は小手調べっぽいので、次で最後じゃないですかねえ」


 虚空に視線を向けて富士野が応えると同時に、入り口から今度は飛行物体が来た。


「ほら来た」


 遠めで見るからよくは見えないけれど、こうもりに似ている。恐らくこれも、さっきの犬らしきもののように恐ろしい容貌をしているのだろう。

 こうもりらしきものは飛んでくると、キーキーと甲高い音を発した。

 数体ならまだしも、相当の数だ。

 まず火釜さんが、あのポーチを開いた。

 場所がずれる。


「おい、捕まえておけ」

「人使い荒いですねえ」


 富士野がちょいちょいと指を動かすと、半透明の壁みたいなものがドーム上に広がった。


「あれが……」


 これが富士野が言っていた富士野の力の1つ、構築なのだろう……と考えたところで、富士野の力の名称が言えないことに気づいた。

 ぱくぱくと空気が口からもれるだけ。

 考えられるのは、富士野が何かをしたのだということ。「内緒ですよ」と指を向けられたあの時か。漠然と考えて、やはり富士野は得体が知れないと静かに鳥肌が立った。

 ふと、一際大きく鳴いたこうもりらしきものの音がびりびりと耳に入ってくる。

 ナヨは数歩前に出て、愛用のお玉を向けて、お玉で何かを掬って、投げつける仕草をした。

 その直後だ。

 こうもりがつぎつぎにぱたぱたと地面に落ちていった。


「ああ、オッラ素敵!」


 ポーチを抱えて火釜さんがきらきらした眼差しをナヨに向けているが、ナヨはいったい何をしたんだ。

 ナヨはパンと手を打って、今度はタベルを呼び出した。


「タベル、食べてよし」


 そう言うと、タベルはすいーっとこうもりらしきものの山へ飛んでいって浸透するように包み込んでいった。包み込んだ先からどんどんと消えていっている。


「終わったぞ」


 ナヨが言うと、火釜さんがまたポーチを開閉して場所を戻した。

 あたりがすっかり元通りに、犬らしきものもこうもりらしきものも消えたのを見て、俺はナヨへと近寄った。


「ナヨ、一体何をしたの」

「力を受け取って、苦手なものを付与して返した。お前に分かりやすく言うならカウンターだ」


 俺の前に立つナヨは、若干困った顔をしていた。


「ヤクサ、今後こういうことはないとは言わない……今日は疲れたろう、帰って寝るといい。また明日、落ち着いたら顔を出せ」


 どこか切り離す言い方をしてナヨは背を向けた。


「あ、ナヨ。このミサンガ」

「それは持っておけ。ゆっくり休め」


 ナヨは振り返ることなく言って、そのまま消えた。富士野がそれを見て頬をかいた。


「おや……ちょっとまずったかもしれません。うーん、八草君ちょっと俺も離れます。今日はもう安心して帰って大丈夫ですからね! さびしいでしょうけど、我慢してくださいね」


 俺に手のひらを振ると、さっと塵になって富士野も消えた。俺としては富士野と離れられて、少し安堵した。害はないとは思いたいけれど、信用するに足りない。

 必然的に残ったのは俺と火釜さんだ。

 火釜さんは決まり悪そうに俺のほうを見て、眉を寄せた。


「ねえヤクサ、私オッラに怒られたわ……私、大分考えなしだったわ。会おうとすることに一生懸命で……言い訳ね。ああいうこと、したことないのだものね……ああもう! 私、まだるっこしいの苦手なの! そんな情けない顔しないでよ! また、会えたら仲良くしてあげてもいいわ! って違う、違うのよヤクサ。えっと……そう、気持ちを切り替えてまた話しましょうねってことで……わ、私帰るわ!」


 一気に言いたいことだけ言うと、火釜さんは何故かぷりぷりしながら、消えた。

 手に残されたミサンガと、握られたジョウロを見る。

 ナヨの言うとおり、今日遭ったことは暫く忘れられそうになかった。

 ぼんやりと家路に着きながら帰れば、倒れるようにベッドへ向かった後の記憶がなかった。


 その日は、夢を見なかった。

 見なくてほっとした半分、ちょっとだけ不安になった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る