第8話 復習する土曜日 2
「天理に基づき希う。我が真名、八草香。召喚に応じ、必要なときに与える万物を受け入れよ。願い受けるならば名乗りを乞う」
ぶよぶよを見つめながら言うと、ぶよぶよは身を震わせた。
《
名乗ってくれた。
どきどきする気持ちを抑えて、右手の人差し指を向ける。
気の利いた名前でも付けて上げれるといいんだが、緊張でなかなか浮かんでこない。
ナヨの視線に更に緊張する。何か。何か。
こいつ、丸くてぶよぶよしてて、丸くて……丸い。丸しか出てこない。
ぐるぐる考えても仕方ない。腹をくくって丸といおう!
「命名! マルー!」
しまった、力みすぎて言葉尻が伸びた。
焦りながら相手を見るが、表情はぶよぶよの球体だからわかるわけがない。静かに待っていると、ぶよぶよが震える。
《是。我が名、これよりマルーとし、八草香に応じる》
オッケーのようだ。ほっと一息ついて手を下ろす。
ぶよぶよはまた身を震わせると、徐々に若芽の新緑色へ染まっていった。淡い緑のグラデーションがちょっと綺麗だ。
俺の使い魔となったぶよぶよ、もといマルーの色が染まりきるとナヨが口を開いた。
「終わったようだな。声がちゃんと聞こえてたようで安心した」
「うん、頭に響いてきた」
「向いてないやつは、ぜんぜん聞こえないらしいからな。ま、弟子候補にとろうと俺が思うくらいだから、大抵は大丈夫だ」
ぽん、と労わるようにおいた手が暖かい。
「使い魔を戻したいときは、手を合わせて願えばいい。なれたら適当にしてても出来るようになる」
なるほど。
早速俺は手を合わせてマルーを拝むようにしてみた。
お帰りください、っと。
マルーは身をふるりと揺らすと、ゆっくりと消えていった。
「よし」
ナヨもぱんっと手を打ってタベルを返した。
「呼び出しはさっきと同じだ。ただ、お前の場合、あの男とも歪に結ばれたから、あれを頭から振り払いながら呼ぶこと。じゃないと、来るからな」
何をだ。
まさか、富士野のことか。
「使い魔は、基本的に一人の術者にのみつく。相手がいる場合、上書きはできず、術者がなくなっていなければできない」
「それって俺が死ぬまで一緒ってこと?」
「使い魔から契約辞退を申し込まれるか、それか破棄をこちらから申し込むかしない限りはそうなる。どちらも了承することが必要だ」
そういえば富士野は、自分から辞退することはないと言っていたような。俺から破棄を願い出てもだめなのだろうか。
俺の考えが分かったのか、ナヨは残念なものを見る目で言ってきた。
「ヤクサ、不死身のとは歪な契約だ。どうにかできるのは、力づくでやったあれが執り行わないとまず無理だろう」
やっぱり無理なようだ。残念だ。
どちらともなく息をついてしまう。ナヨは随分と富士野を嫌がる。富士野はナヨの客だといっていたし、事実薬も貰っていた。それでもただの客とするには随分と互いを知っているような気がした。
聞いてもいいものなのだろうか。
というより、そもそも、俺はナヨのことを詳しく知らない。
その考えに行き着くと、さらに気落ちした。
ナヨとはブランクはあったが5歳からの付き合いで、年の離れた友人のようなものだと俺は思っている。今は師弟らしい関係だけど。
考えれば、ナヨの名前も、年齢も、不明なままだ。あの頃と違ってちょっと知れたのはナヨの仕事のことだ。
職業はこれ! と断言はできないけど、鍋で煮詰めたり煎じた薬などを主に売買しているようだ。ここ3日間、俺がミミズのような謎言語の書き取り練習をしている横で発送したり注文をしていた。
「あのさ、ナヨ」
富士野とは何かあったのか。聞こうとしたところで、間抜けな音がさえぎった。
ぷぃいいい。
聞こえた音の場所は台所から。
ナヨがおもむろに立ち上がる。
あの音はナヨの家にあるヤカンの音だ。他に漏れずこのヤカンも不可思議な代物で、簡単に説明するとお湯も沸かせる電話だ。
小さい頃にはじめて見たその光景は、幼心ながらに衝撃的だったからかよくよく覚えている。
見た目はごく普通の笛つきヤカン。笛を開閉するレバーが取ってのところについているタイプのやつ。
ナヨがレバーをカチカチと開閉させてると、ヤカンの注ぎ口から声が聞こえるのである。ヤカン相手に話しているナヨを見て、昔はよく驚いたものだ。
記憶と同じようにナヨはカチカチとレバーを動かすと、注ぎ口からこもった声が聞こえてきた。
部屋からだとよく聞こえないが、若干ナヨがイラついているのは分かった。
「舐めてんのか。事前に定数を示しただろう。こっちも都合がある」
若干どころじゃなかった。ヤカンの前に仁王立ちになっているナヨが腕を組んでヤカンを睨んでいる。こっそりと台所のほうへ近づいて耳をしのばせる。
「……こちらもこちらの事情がありまして、
低姿勢な声が聞こえた。きっとこの声の主は顔を青くしているのだろう。そう思わせる情けない声音だ。
「もういい。話にならん。明日話をつけにいくから、首を洗って待っていろと伝えろ。今ある分は作って持っていく」
「は、はいいい」
ブツッという音がしてヤカンからの声は聞こえなくなった。
ふっとナヨがこちらを見る。
「ヤクサ、そういう訳で明日は留守にする。今日の昼からも作業するから来なくていい。お前はその間、旧式言語の勉強でもしていろ」
「うえっ、またそれしなきゃ駄目?」
「お前が問題なく使用できるようになるまでは続ける」
当然とばかり言うナヨに頭を抱えそうになった。
3日経ったが、依然として謎言語は文字に見えず、ミミズにしか見えない。何回かナヨに訴えてみたが、返ってくる言葉はいつも「気づくと理解できるようになっている」だ。
ドリル形式のミミズの書き写しもナヨの家へ来るたびにチェックされている。正直に言うと、勉強は苦手だ。言葉で説明されるより、体験したほうが断然好きだ。
「さて、今から依頼品を作るか」
「何か手伝うことある?」
未だに薬や品物を作る手伝いをナヨはさせてくれない。まあたった3日目だからというのも大きいのかもしれない。そんなことを考えながら聞けば、ナヨが鼻で笑った。
「一丁前なことは早く文字を覚えてから言うんだな」
乱暴にぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられる。
「また明後日にでもこい。ちゃんと食事はとれよ」
「その言葉、ナヨに言いたい」
「俺はいいのさ」
かき混ぜた手で、ぽんぽんと軽く撫でられ放される。
「あとこれを忘れずにな」
ぽん、となんでもないようにナヨから手渡されたのは、3日目にして早くもおなじみの謎言語ドリルである。
「明日の分も纏めて渡しておく。さっさと受け取って帰れ」
「……うん」
手にくる重さが憎い。
顔に出そうになるのを抑えて、頷いておく。
「それとこれも。念のため、俺がいない間は身に着けていろ」
さらにドリルの上に置かれた小袋。マッチ棒くらいの大きさの小袋からはぷん、と今日ナヨの家から漂う虫除けのような香りがした。
「本当にどうしようもないときは、使い魔を呼べ」
「え、急になんで?」
「あの件があってから、生憎お前に対する信用は減ったんでな」
そう言うナヨの言葉は冷たい。やらかした側としては耳が痛い。
「ほら、行った行った」
しっしと追い払われる仕草をされる。
そうして新たな謎言語ドリルを手にして、俺は一旦自宅へと戻るのだった。
ナヨへ促され家へ戻ると、昼食の準備をしているのか、匂いが鼻をくすぐった。
靴を脱いで一旦自分の部屋に荷物を置きにいく。
実はこのアパート、本当は2LDKの結構な広さがある。玄関を抜ければ廊下があり、キッチンはリビングのすぐ傍にある。
なのに、ナヨの部屋はどうみても1Kで玄関を開けるとすぐキッチンと手狭だ。自宅とナヨの家を比べるたびに、あそこは違う場所につながっているのだと毎回思う。
荷物を置いてリビングに向かう。
ちょうど昼ごはんの盛り付けをしているところのようで、母さんが俺を見て顔をしかめた。
「やだあんた、なんか虫除け臭いわよ。どこ行ってたの」
ナヨの部屋にいたせいだろうか。自分の体を嗅いでみると、確かに虫除けの匂いがついていた。部屋に匂いつき小袋を置いていたけど、部屋も臭くなるだろうか。ちょっと心配になってきた。
「えっと、友達のとこに」
考えながら母さんに返事をする。
「ふうん? まあいいわ、ご飯ができたから食べてしまいなさい。この後母さん、パートに出てくるから」
「ん、分かった。父さんは?」
「遅くなるみたい。私も準夜勤だから帰りは遅いわ。明日はしっかり自分で起きるのよ」
母さんは病院看護のパートをしている。子供のころは心細く思うこともないことはなかったが、今はもう慣れてしまった。ナヨがいたから、寂しい幼少期ではなかったし。
「夕飯は冷蔵庫に作り置きしているから」
「了解」
ご飯を盛られた茶碗を受け取って食卓に並べる。今日は魚が安かったのか、3、4匹の魚の干物が焼いて大皿に乗せられていた。付け合せはお新香と朝ごはんの味噌汁の残り。
手を合わせて口に運びながら考える。
ということは、だ。今夜は自室でゆっくりとナヨの課題が出来そうだ。
課題のことを考えて、少しげんなりしたがやらないと後が怖い。
仕事に出る母さんを見送ってから、俺は嫌々虫除け臭くなった自室でドリルを開き粛々とこなした。
その日の夜は、ミミズ言語の夢は見たものの富士野は出なかった。
厄除けか、厄除け効果のせいなのか。
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