第9話 出会いが待ってた日曜日 1
日曜日。
ナヨのところへ行く用事もなく、のんびりと布団の中にいた俺を起こしたのは携帯からのコール音だった。
布団から手を伸ばして携帯を手にとって耳に当てた。
「……はい、八草です」
「八草? はよー。お前寝てた?」
笑い声が聞こえる。
「いいじゃんか、日曜だし……なに、トモ男」
電話の相手は友人のトモ男だ。
電話でも快活な声でトモ男は話しかけてくる。
「なあ八草、今日暇だったら昼から遊ばねー?」
「昼から?」
片手で目元を擦って起き上がる。時計を探してみると今は10時を過ぎていた。
「んー、分かった。いいよ」
「それじゃ、12時に
「りょーかい」
携帯を切ってのっそりと起き上がる。伸びをするとぽきぽきと骨の鳴る音がした。
古井戸はここらじゃ待ち合わせに使われる地元民に有名な場所で、昔の史跡を保護ついでに観光地にするべく作られた公園だ。近くにはバス停と小さな駅もあり、交通の便もいい。
俺の家からだと歩いて大体15分くらいの場所なので、今からのんびり準備しても間に合う。
あくびをかんで、浴室へ向かう。部屋に置いていた、ナヨから貰った小袋のせいか体から虫除けの匂いがぷんぷんとしたからだ。
小袋は一旦部屋へ置いておいて、出かけるときにもって行けばいいだろう。
目覚ましついでにシャワーを済ましてキッチンへ顔を出してみるが、母さんと父さんは夕べの帰りが遅かったせいもあってか、まだ寝ているようだ。
こういうことは良くあることなので、タオルを肩にかけて冷蔵庫の残り物を取り出す。昨日の残りの魚の干物があった。あとは同じく残り物の野菜スープを温めて、片手までお茶碗にご飯を盛り付ける。
リビングのテーブルに運んで四脚ある椅子の1つに腰をかけて手を合わせる。
「いただきます」
昨日の夢見は一昨日に比べるとましだったのもあって、今日は幾分かすっきりだ。
富士野の顔は綺麗で眼福ではあるが、されたことを思うと一緒の場所にいるのはなかなかに居心地が悪い。ナヨのお守り万々歳だ。多分出てこなかったのはあの厄除けのおかげだ。
一息ついて目を開けて、息を呑んだ。
「おや、八草君今からご飯なんですか?遅起きさんですねー」
にこにことした富士野がいた。向かいの椅子に座っている。
何故だ。
思わず瞬きして、目をつぶって頭を振ってもう一回見る。
やっぱりいる。
「なんで……?」
小さくこぼれた声に、富士野はにこやかに答えた。
「呼ばれたような気がして、来ちゃいました」
「え、でも、さっきまで」
動揺して上手く言葉が出てこない。それでも富士野は俺の言いたいことが分かったらしい。
「だって俺は八草君の使い魔ですからね、一応。本当は昨日会いに行こうかと思ったんですけど、邪魔が入りまして……今日君が匂いを消してくれたおかげで来れましたよ」
富士野の説明に、俺は頭を抱えた。
やっぱりナヨの厄除けは、富士野対策だった。それを大丈夫だろうと身から離したばかりに、富士野はここへ来れたのだ。
まずい。ここには父さんと母さんがいる。二人は無関係だ。
うろたえる俺を見て富士野はまた先回りするかのような言葉をくれた。
「ああ、心配しなくて結構ですよ。ご両親が起きたらすぐ分かりますから」
俺は優秀なんです。と自慢げに言う富士野だが、正直うさんくさい。
「本当に?」
訝しげに言ってみれば、富士野は大仰に頷いた。
「俺の目玉を置きましたからね。ばれる前に退散するくらいわけないです。勝手に帰れますし」
厳密な主従契約みたいなものではないし、富士野は結構好き勝手できるのだろう。納得しかけて、聞き逃せない言葉があることに気づいて驚いて聞き返す。
「め、目玉!?」
富士野をまじまじと見るが、相変わらずの綺麗な顔には、きちんと深緑色のビー玉のような瞳が二つある。
「んー、そうですね、曲がりなりにも契約しましたし教えましょうか」
富士野はそう言うと、おもむろに自分の目に向かって指を伸ばした。
おい、嘘だろ、ちょっと。
目を離そうとしたけど、あまりの光景に目が逸らせない。
富士野は自分で自分の目をえぐりだした。それもポンッと音がするくらい簡単に。しかも笑顔で。
ドン引きだ。
取り出した目玉はつるりとしていて、血だらけでないことにホッとする。そういえばこいつは人外だった。そう思うと目玉は、やっぱりビー玉みたいに作り物めいて見えた。
取り出された眼孔は、すぐに新たな眼球ができていた。水が染み出るようにあっという間に。
「これを近くに置きましたので」
「いつの間に……というか、見つかったら大騒ぎになる!」
「大丈夫ですよー。消そうと思ったら、すぐ消せます」
ほら、と富士野の手にあったビー玉眼球は塵みたいにさらさらと崩れて消えた。そこにさっきまで目玉ありましたよ、って言われても全く分からない。
目まぐるしい出来事に頭が追いつかない。
富士野の手をじーっと見てると、富士野は手を戻してずいっと上半身を寄せてきた。
「ところで八草君! ハライドの眷属を使い魔にしたんですね? あの呪い師と同じ」
「あ……はい」
「おめでとうございます。でも、さびしいです。八草君は気の多い人ですよ全く」
むーとして言う富士野だが、何故俺がそう言われなければならないのだ。
「物を処分するくらいなら、俺だって出来るんですよ? ハイスペックですよ? 呪い師が何を言ったか分からないですけど、八草君のお手伝いとか弟子修行の手伝いもばっちりまかせてくださいね」
そんなに手伝いがしたいのか。
人差し指を上げて自分のセールスをし始めた富士野に押されて、小さく頷く。
それに満足したのか、富士野はまたにこりと笑って姿勢を戻した。
「ご飯の邪魔をしちゃいましたね。しっかり食べてください、体は資本ですよ」
「はあ」
そうは言うが、先ほどのショッキングな出来事を見た後だ。食が進むわけがない。思い出しかけて、体を屈める。うえっと声が漏れる。それを富士野は気にした風でもなく見てくる。
富士野はいつまでいるのだろう。
ふとナヨの言葉を思い出した。
使い魔を返すときは手を合わせて願えばいい、と。
テーブルの下で手を合わせてそっと拝んでみる。屈んでいてよく見えないはずだが、とにかく、お帰り願いたい。
富士野に対する不信感や危機感はあるが、そこまで嫌いなわけではない。今の富士野への意識を例えるとするなら、知らないから怖いに近い。知れば多少は和らぐかもしれないけれど、今一対一でこうして話すのはまだ遠慮したいところだ。
なので、ひとまず、お帰りください。
むーんと目を閉じて念じてみてから、そっと開ける。
「……なんで」
変わらず目の前には、麗しい姿の男がいる。
「生憎ですけど、ちょっと今日は離れないほうが賢い選択だと思いますよ?」
富士野は食卓に並んだ干物の頭をぽりぽり食べながら、頭をちょっと傾げて見せた。俺の朝食がいつの間にか減っている。前は菜食主義と言っておきながら、メインのおかずを食うとはなんて勝手な。
「富士野、さんは、俺の使い魔? なんでしょ?」
「ええ、君の使い魔ですけど、ちゃーんとした契約じゃないからそんなの俺の知ったこっちゃないですね! 気分によりけりです! それより、今日出かけるんですか?」
逃避に走りそうになる思考を正して、どうにか声に出して聞くと、いい笑顔で俺の気分によります! という回答が返って言葉に詰まる。
「八草君?」
「え、あ、はい」
富士野が繰り返し聞いてきた質問に頷く。
そうだ、トモ男。これからトモ男と遊びに行くのだった。
「ふうん……そうだ、俺もついていっていいですか?」
「な、なんで?」
「まあまあ。そうですね、設定としてはアパートに越してきた新しい住人で、意気投合してぜひ一緒に遊びたいというので連れてきた、でどうでしょう?」
どうでしょう、じゃない。
首を振って、拒否の意思を示す。
何故大した仲じゃないのに、俺の遊びについて来るのだ。
「だから何でついて来るんですか。俺の友達と遊ぶだけだし、富士野さん関係ないじゃないですか」
「関係なくはないんですよー。だって八草君と契約しちゃった以上、今後顔を合わせることもあるでしょうし……ほら、さっき俺の言ったこと聞いてました? 今日は離れないほうがいいと思いますって」
「なんで!?」
富士野は俺がつっかかっても、全然なんとも感じないように笑顔を崩さない。
「八草君、呪い師が厄除けを渡したのは、単に俺を遠ざけるためだけじゃないんですよ。君は君が思うより丁重に扱われていますよ?」
「わけ、分かんないんですけど」
「そうですねー。多分、君の友達とあったら分かるかもですよ、ワケ」
これ以上は言わない、とでも言うかのように、綺麗に口元を引き結んでにっこり。
富士野はすっとリビングにある時計を指差した。
「ほら、早く食べないと遅刻しちゃいますよ」
時間はさ11時半になろうとしていた。
正午を知らせる音楽が響く。
最近は少し季節はずれになってきた『さくら』が流れている。
それを聞きながら待ち合わせの古井戸前公園へ向かう。無論一人で……と言いたいところだったけど、生憎一人ではない。
背後からくる花の匂い。
そう、結局富士野はついてきた。今、俺の後ろを富士野は歩いている。
来るな、行くの問答をしているうちに、トモ男から少し遅れるとの連絡電話が来て富士野が電話を奪って自ら話しだしてしまったのだ。
ちなみに富士野の設定は、さっき富士野が言っていたとおりの、アパートに来た新たな住人で俺の新しい友人というもの。トモ男はあっさりそれを信じ、「えーじゃー一緒に来いよ!」とまで言ってのけた。トモ男の懐の深さに涙がにじんだ。
ちらりと背後を見る。
王子様のような麗しい顔は虚空をぼうっと見ているだけなのに、絵になっている。服装も小じゃれたものではない長袖Tシャツとチノパンで、はからずも似た格好になったが自分と富士野では、大きな隔たりを感じてならない。
会話をするでもなく黙々と歩く。
古井戸公園と書いた札が飾られている塀が見える。待ち合わせに使う人もちらほらいて、予想通りといえばいいのか、後ろを歩く富士野に視線が注がれる。
自分が見られているわけじゃないけれど、一緒に歩く分、視線が集まって非常に肩身が狭く感じる。ああ、だから一緒に行くのはイヤだったんだ。
「おーい八草!」
古井戸前に入ったところで、公園の中から走ってくるトモ男が見えた。
トモ男は俺を見た後、後ろのほうにいた富士野を見つけてぽかんとした顔をした。
「おおっふ……おい、八草、この人が富士野さん?」
奇妙な声を上げてトモ男が俺を見る。俺が重々しく頷いたのを見てから、まじまじと富士野を見つめた。
富士野はトモ男を見返して、愛想よくトモ男に挨拶した。
「ええ、はじめまして。今日は急にすいません。まだここに慣れてなくて、どうしても八草君に無理をいってしまったんです」
「や、いやいや、いいっすよー。八草の友達なんでしょ、富士野さん」
「はい、もう、阿吽の呼吸の仲といっても過言じゃないですね」
いや、過言だろ。
心のうちでつっこむが、それに対してトモ男は軽く笑っている。
「まっ、馬が合うのはあるんじゃないっすかね。俺と八草もそんな感じだったし。けど、富士野さん外人さんじゃないんですか? ハーフ? 英語話せます?」
「はい、そんなところです。とはいっても、あまり流暢には喋れませんよ」
初対面の相手にあれこれ聞けるトモ男のコミュニケーション能力に感心するが、あっさりとこの場になじんで見せた富士野にも驚いた。
黙って様子を見ていた俺に、トモ男は富士野との会話を切り上げて俺に話を振ってきた。
「八草、時間ずらして悪かったなー。ちょっとさっき人助けしててさー。そのこがちょっと可愛くってさ、これは出会いのチャンスじゃねって親切にしてたんだよ」
「それはいいんだけど、あのなあ、それ助けた人に言うなよ」
正直なのはいいのだが、欲望に素直過ぎる。呆れて言うと、トモ男は頭をかいて笑った。
「いやー、だっていい感じに可愛かったんだよー」
「へえ、どんな人でした?」
富士野の言葉に、トモ男は目をぱちくりしてにやにやした。
「おっ、富士野さんみたいなイケメンでも気になりますかねえ……」
「生物学上男ですから」
「あはは、そっすねえー。俺らよりちょっと上くらいの年かな。こう、ぱっつんとした肩くらいの髪で。赤みがかった茶色だけどすっげえつやっつやでさ、目は綺麗なアーモンド形! 色白で凄い美女じゃないけど手に届きそうな加減で、すげえいい感じ」
すげえすげえと連呼して、やや興奮した様子でトモ男が言う。
「へー」
そこまでトモ男が褒めると、ちょっと気になる。相槌を打って富士野の反応はどうだろうと見るが、富士野は考えるように腕を組み唇を触っている。
「富士野さん?」
どうしたんだろうと思って声をかけて、はっとした。
富士野の花の匂いのほかに、何か、嗅いだことのない匂いがした。
焚き火したときの匂い。いい匂いか悪い臭いか判断に迷うような。
これを富士野に伝えるべきか。
俺がきょろりと目を動かしてから富士野へ戻すと、富士野はそっと頷いた。
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