第6話 契約結んだ金曜日


「八草ー、明日遊びに行かね?」


 クラスの友人、友塚朋久ともつかともひさ、通称トモが声をかけてきた。

 トモ男は高校に入って出来た友人で、明るくて気のいい奴だ。顔は平均的の中肉中背の見た目だが、中身の良さかよく人の中心にいる。席で隣になってから良く話すようになり、すっかり仲が良くなったのだった。

 ちなみにトモ男と呼ぶようになったのは、トモ男には朋子ともこという双子の妹が別クラスにいることからである。トモ子さんは普通に可愛い。しかしもう彼氏がいて、よく一緒に登下校している。う、羨ましくなんぞない……!

 昨日も仲良く手をつないで歩いているのをトモ男と目撃したことを思い出して、若干心がへこんだ。

 それはともかく、トモ男の遊びの誘いだが、ナヨとのことがある。


「ああ……うーん、微妙。また後で連絡する」


 承諾しかけた言葉を飲み込んで首を振る。


「今日も用事か?」

「ちょっとね。明日もなんかあるかもしんないし」

「ふーん、どんな用事だ?」

「習い事」


 みたいなものだ!

 心の中で付け足して言うと、トモ男は納得したように頷いた。


「へー。新学期に新しいことはじめようって感じ?」


 うまい具合に考えてくれたようだ。ほっとして返事をする。


「そういうこと。じゃあまたメール入れる」


 うん、そういうことにさせてもらおう。荷物を持って立ち上がる。今日は6限までだったので16時40分。急いで帰れば17時前に家に着く。


「おー、またな」


 手を振るトモ男に手を振りかえして、さっさと教室を後にした。




 教室を後にしたのはいいのだが、とんでもないものを発見した。

 校門前でもたれ掛かっているやたら等身が高い男。

 下校する生徒や高校前を通りかかる人の注目を集めながら、腕を組みぼーっと空を仰いでいた。

 ふわりと男の方向から、花のような甘い香りが漂ってくる。少しむせ返りそうになるこの匂いは、つい先日嗅いだことがある。

 ナヨの元へ向かおうと急いでいたので、つい気づくのが遅れてしまった。

 校門をくぐったあたりで、声をかけられた。


「やあ、八草君!」


 パッと花咲く笑みを浮かべた男は、作り物めいた麗しい顔をこちらへ向けた。そして名を呼んできた。ザッと他の人の視線が俺へと集中してぞっとする。


「人違いです!」


 咄嗟に叫んで走り去る。

 走るのはそれほど苦手ではない。足を回して家へと走る。家のアパートまであと半分の距離。住宅地の角を曲がればあとは真っ直ぐだ。

 息を切らしながら更に足に力を入れようとして、失敗した。

 肩にかけていたスクールバックを引っ張られて、後ろへよろける。


「待って待って! ちょっと待ってください。逃げなくてもいいでしょう?」


 振り返れば、ビー玉みたいな水色の目が不満そうに俺を見る。


「……富士野、さん」


 富士野太郎。

 人違いだと思い込みたかったが、無駄のようだ。

 富士野は自分の栗色の髪を指で少し遊ばせて息をついた。

 しかし嫌味なくらい綺麗な男である。本人曰く作った顔らしいが、その他のパーツ一つ一つ見ても整っている。格好も適当な白のシャツとカーキのチノパンだというのに雑誌からそのまま飛び出したかのように見えた。イケメン補正半端ねえ。


「何も取って食いやしませんよ。失礼しちゃいますよ、もう」


 ははは、と乾いた笑いがこぼれてしまう。

 上手く笑えないのは、富士野が不死者であり、人を喰う恐れがあるからだ。しかも前に会った時には、指一本でいいからと迫られたのである。警戒もする。


「貴方のお師匠からもきつく言われましたし、薬もいただいたのでしばらくは何もしません」

「はあ」


 ぷりぷりと頬を膨らませた富士野に曖昧に返すことしか出来ない。


「この間はほら、怖がらせちゃったでしょう。だからこうしてイメージ回復するためにお話しようと思いまして」

「はあ」

「八草君はあの偏屈呪い師の弟子になる方です。いつか私の薬を貴方にお願いすることもあるかもしれない。なら! 仲良くなったにこしたはないはずです」

「……はあ」


 相槌を打てば、にこりと富士野が笑う。

 弟子というより、弟子候補なんだが。候補とナヨは言うが、他にも弟子がいるのだろうか。なんだか複雑な気分になった。


「とりあえずは、お話しながら呪い師の家まで行きましょう」

「え?」


 ナヨの家まで着いてくるのか。思わず出た声に、富士野は片方だけ眉を器用に上げた。


「おや、今日も行くんでしょう?」

「ああ、はい、行くんですけど……富士野、さんも用事ですか」

「呪い師に暫く出禁をくらったので抗議しに行きます」


 むんっと胸を張る仕草をした富士野にがくっと力が抜けそうになる。

 いやいや、ナヨに言われて抗議しにいくのは逆効果だ。昔俺もナヨに怒られて出禁を食らったことがあったが、それを無視していったら更にこっぴどく叱られたのを身をもって覚えている。

 だからといって俺が優しく富士野へ教えてやる義理もない。だって信用できないし。


「何の気も構えず、自分のことを知っている人と話せるってのは貴重なものなのです。俺も呪い師も普通と一括りは難しいですからね」

「でも、人から声をかけられるんじゃないですか?」


 富士野の容姿ならば放っておいてもあちこちから声をかけられるだろう。それくらいのレベルだ。


「そりゃ声はかけられますけどね、言ったではないですか、俺のことを知っている人は限られているんです」


 歩きながら身振り手振りで富士野が話す。


「だからね、俺は嬉しいんですよ。安心して話せる人が出来るかもしれないことはね。えーと……八草香やくさきょう君」

八草香やくさかおり、です。ていうか、フルネームで呼ばないでくださいよ」


 香という名前はまるきり女性名のように聞こえるから、あまり好きではない。せめてカオリと読まずにコウとかカオルにしておけばまだ良かったのに。

 訂正した俺の言葉に、富士野はうっそりと微笑んだ。


「失礼、八草香君でしたね。ですが、いい名前じゃないですか。俺なんて富士野太郎ですよ。名前を言うと皆にぜんぜんイメージわかない! と言われます」

「ああ、まあ、そうでしょうね」


 外国人のような容姿でその名前だと、少々驚かれるだろう。


「でしょう?」

「うーん、確かに富士野さんだと……」


 富士野に似合う名前はなんだろう。ふっと考えてみる。

 そういえば今日ライティングの授業で出てきた英名があったな。確か……そうだ、Alexanderだ。


「アレクサンダー」


 うん。どこぞの大王様みたいな名前だが、富士野の容姿なら名前負けしそうにない感じだ。授業で出てきたのは犬の名前だったがな。


「命名するなら、富士野アレクサンダー太郎! とか」


 ぴしっと人差し指を向けて言うと、富士野は目をぱちくりさせてから微笑んだ。


「へえ。富士野アレクサンダー太郎、か」

「これなら名前聞かれても、ハーフっぽくて、それっぽい感じになると思う」

「うん……八草君には感謝しきれないな」


 にこにこと富士野は至極嬉しそうだ。小さく俺の言った名前を繰り返して、目を閉じる。ふわりと一段強い匂いがして、鼻がむずむずした。


「ええっ、たかが名前言ってみただけなのに?」


 ぱちりと富士野は目を開けてこっちを見た。

 あれ、水色だったはずなのに。なんで、濃い緑になったんだ。


「ふふふ、知らないは怖いですねえ」


 上機嫌に言って富士野は足取り軽く足を運ぶ。今にもスキップしそうなんだが、どうしたんだ富士野。


 歩くこと数分で目的地、ナヨの家の前に俺たちは立っていた。

 ここまで富士野も着いてきてしまったが、ナヨの反応が今から少し怖い。


「押さないんですか?」


 首を傾げる富士野が代わりにチャイムを押したと同時にドアを開けた。

 やはり鍵はかけていないようで、あっさり開いたドアから、玄関に向かってくるナヨが見えた。


「ナヨ」


 声をかけた途端、ナヨは足早に玄関まで来ると、先に入った富士野の頭をお玉で殴った。

 ぱっこん。

 えらいいい音がして、富士野は声鳴き悲鳴を上げて両手で頭を抱えてしゃがみこんだ。振りかぶってたもんな、そりゃ痛かろう。

 痛がる様子の富士野を見てから、恐る恐るナヨへと視線を移す。

 ナヨは仁王立ちして俺を見下ろしていた。


「ヤクサ。変なものを拾ってくるんじゃない」


 富士野は捨て猫か何かか。


「拾ってきたというかついてきたというか……ナヨに抗議しに行くんだって息巻いてて」

「抗議?」


 胡乱げに富士野を見るナヨに、富士野は顔を上げて口を開いた。


「そうですよ! そりゃちょっとはこっちも悪かったかもしれないですけど、勝手にどっか行く呪い師も悪いんですよ! それに変なものじゃありません、富士野アレクサンダー太郎という立派な名前があるのですよ」


 いや、その名前は俺が勝手につけたやつだろう。


「名前……? おい、ヤクサ」


 訝しげに顔をしかめたナヨは、どやっと言う富士野を見て、俺を見てわずかに顔色を悪くした。


「来い」


 ナヨは俺の頭を鷲掴み、きびすを返す。俺は慌てて靴を脱いで中へついていった。


「え、何、何ナヨ」


 もつれながら部屋に上がりこむと、手が頭から離れ代わりにお玉が振り下ろされた。

 ぱこん。

 痛い。

 お玉の威力じゃない。上から硬くて厚い物体で殴られたかのような威力だ。

 くしくも富士野と同じように殴られたところを両手で押さえながら蹲る。


「お前、名をやったな。それも上書きして」

「名前……?」


 じろりとナヨが睨む。怒っている。何故。


「いいじゃないですか、名前くらい」


 ナヨに睨まれたのを助けてくれたのは富士野であった。

 玄関からひょっこりと現れて、俺の隣に正座をした。


「おい、不死身の。くらいで済ませるものじゃないと分かっているだろう」

「もちろん」


 上機嫌で富士野は答える。


「呪い師、お前がまだ教えてないと分かった上で、とも付け足して置こう」


 どういうことだろう。

 二人のやり取りをうろたえながら見るしか出来ない俺は、とりあえず居住まいを正してみた。

 富士野は俺を見ると、安心させるかのようににこりと笑った。


「安心してください八草君。青い顔をしないで。なあに、死ぬようなことじゃありません。ただ、俺が貴方の支配下になったくらいのことですよ」

「いいかヤクサ。この脳足りん男に会った時に教えればよかったが、もう遅い。呪い師やそれに連なるものは、使い魔を得る事が出来る」


 ナヨは忌々しそうに舌打ちをしてから、俺に説明してくれた。


「つまり、富士野さんが俺の使い魔になったということ?」

「中古だがな」

「中古とは失礼な! 俺はお得ですよ八草君!」


 むっとして言い張る富士野の頭をまたもやお玉で叩いて黙らせると、ナヨは説明を続けた。


「使い魔というのは、本来なら相互の了承を得てからなるものだ。簡単に例えると雇用主と従業員みたいなものだな。たとえば」


 ナヨが手を合わせて両手を打つ。

 ぽふん、と間の抜けたような音を立てて、丸いぶよぶよしたマーブル模様の物体が宙に浮かびあがった。


「こいつはタベル。主に失敗した薬や古い材料を処分してもらっている。こいつの対価は食べることだ。タベルも食べられるものがあればそれでいい、という経緯で俺の使い魔になっている」


 窓の前で乾燥させていた、茶色い植物の束を掴んでぶよぶよに投げると、ぶよぶよは束を飲み込んで満足そうにうごめいた。

 ナヨがもう一度両手を打つと、またまたぽふんと音を立ててタベルは消えていった。


「それで相互の了承だが、それは主に名前付けで行われる。互いに真名を名乗り、術者側は対象へ名を指差して名付け、相手が了承すると完了する。対価は名前付けの前に取り決められるものだが……まあ、してないだろうな」


 まだ沈んだままの富士野をぐりぐりとお玉で押さえつけて、ナヨは息をつく。


「これがなんだか、お前は知っているか?」


 これ。富士野をナヨがぞんざいに指さした。


「富士野さん? 富士野さんは、不死者だって言ってたけど」


 答えると、ナヨは微妙な顔をした。


「不死者というより、まあ、確かにそのたぐいではあるが……人形だよ」

「人形?」


 だが、富士野は、前に腕を取って見せた。それは間違いなく人間のものだったように思う。人形というと球体関節みたいなものがあるのではないか。


「命を持った木偶人形が、人間を真似るために人間を食べ、人間の肉をつけた。どのくらい生きたか知らないが、燃やそうが窒息させようがバラそうが死なない……不死者の種族では間違いないだろうな」

「食べ……」

「最近は薬を飲むことを覚えたから、心配は少ないといってもいい。だがな、対価が何かを決めてないのが問題だ」

「決めてないと、どのくらいまずいの?」


 恐る恐る聞くと、ナヨは重々しく返した。


「使い魔の解放が難しい。双方の同意で解放できればいいが、これは恐らく簡単にはいかないだろう。俺が新たに使い魔としようとしても、こいつは応じないだろうし……お前、多分死ぬまでこいつに付きまとわれるぞ」

「げっ」


 年をとった先まで富士野が周りをうろちょろしているのを想像して気分が悪くなる。


「酷いなあ。そこまで嫌がらなくて、もっ……」


 うつぶせになったままの富士野が、抗議の声を上げるが、再びナヨに沈められた。容赦ないな、ナヨ。


「名付けも、お前にとってはなんでもない行為と思ったんだろう。だがな、呪いや魔術に通ずるやつにとっては、名前というものは重い。真名は簡単には教えてはいけない。名前も簡単に与えてはならない。お前の今の力は平均的なものに毛が生える程度だが、これのせいで契約は無理やり上塗りされた」


 これ、と富士野をナヨは叩く。


「こんな脳足りん男でも、それなりの力がある。だから本来の厳格な儀式を行い、相互の了承を得、対価を求めるべきところをすっ飛ばして進めたんだろう」

「つまり」

「お前がこいつに似合うだろうなーと甘っちょろく考えて言った名前に、これは飛びついて無理やり使い魔になった、ということだ。これの目はな」


 ナヨが富士野の頭を持ち上げた。ゴキっと音がしたが、おい、まさか。

 かくりと折れ曲がった首を持ち上げて、ナヨは俺のほうへと富士野の頭を突き出した。思わず仰け反る。


「相手の影響を受けて色を変えた。確か前は、違う色だっただろう。今の色は、前の色にお前の力の色を加えた色だよ」


 ほら、とナヨは富士野の頭を揺らす。勇気を出して富士野の顔を覗く。

 かくりと曲がった首は気持ちが悪かったが、富士野の顔は変わらず綺麗である。なんでもないように俺を見る富士野の目を見返す。

 深い濃い緑は、確かに水色と若芽の色を合わせたら出来そうな色だった。


「俺は八草君が気に入ったんですよ。だから俺から降りることはない、って思ってくださいね」


 えへ。

 はにかんで笑う富士野にいらっとくる。

 思わず己の手を握ってナヨを見る。

 ナヨは無言のまま顎でしゃくった。


「食らえ!」

「えっ、なに、ちょ、八草君」


 俺渾身の目潰しに、ナヨはいたく満足そうに頷いた。




 その後、ナヨにこれでもかと使い魔についてのご高説と、弟子候補たるものという説教と、罰としての謎言語特訓を終える頃には、すっかり日も暮れていた。富士野は横で楽しそうに見ていた。おのれ、富士野。

 その富士野は、家へ帰るとき、何を思ったか後から付いてきた。


「これからいっぱいお話しましょうねー」

「俺、家帰るんですけど」

「お邪魔してもいいですか?」

「無理です」

「えーまたまたー」


 またまたじゃない。

 呑気に笑った富士野をさっさと追い返し、八つ当たりのように晩飯を掻き込み、風呂に入って布団へもぐった。トモ男の明日の予定の催促メールが来たので、ナヨの機嫌を考えて遠慮の返事を打って目を閉じる。


 夢にはみみずが空を泳ぐ世界で、みみずと戯れる富士野が出てきた。悪夢である。



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