新たな一週間
第4話 水に浮かべた水曜日
本日俺こと
ちなみにテイク2。
学校帰りの格好そのままでお隣のチャイムを鳴らしたところ、お隣さんに「印鑑と三色ボールペンだけもって出直して来い」と見下ろされたのである。
お隣さんに住んでいるナヨという人物は、名称不明、年齢不詳、職業不定。
一見どころかどう見ても謎が残る人物で、男か女かも怪しい。声は男なので、男だと思う。多分。のど仏があった様な気もする。多分。
名前は見かけから判断して俺が勝手につけさせていただいた。
ナヨの見た目はひょろりとした背丈に猫っ毛を後ろで一つくくり。何よりなよなよとした女顔が特徴的だ。薄い下がり眉にちょっとした垂れ目の細面。ナヨの名前はなよっとしていることが由来だ。我ながらに的を射ていると思う。
年齢は多分20から30歳だと思う。見た目的に。小皺がないけど態度が泰然としているからどうにも判断が付かない。本人に聞いてもはぐらかすばかりで一向に判明しない。
そして俺と初めて会ったときが5歳の頃くらい。大よそ10年来の付き合いだけど、全く老けていないのが最大の謎だ。
日によって口にする職業が違うが、一番よく聞いて一番しっくりくるのは呪い師とか魔法使いとかそういう怪しい職業だ。
俺の中ではナヨは呪い師である。日がな鍋をブツブツ呟いてカラカラ煮てたり、よく分からない草や実をすり潰してたり、生き物のような何かを干している。
そんな怪しさ爆発の呪い師であるナヨに、俺はつい昨日弟子入りした。弟子とはいっても弟子候補、だけど。
ピンポン。
チャイムを押して仕切りなおす。
キイと金属のドアが少し開いてナヨの顔が見えた。
「ペンと印鑑は?」
聞かれたので、どやっと両手に握ったペンと印鑑を見せるとナヨの顔が引っ込んでドアが開いた。
今日のナヨも昨日見たような細身のズボンとだるっとしたシャツに汚れが散ったクリーム色のエプロン。似たような服ばかり着ているから、着たきりスズメに見える。
「お邪魔しまーす」
滑り込むように入って靴を脱ぐ。ナヨが体を引いたので一歩先へ進む。後ろでナヨがドアを閉めた。
「おお……」
部屋は以前見たようにごちゃごちゃとしていた。しかし驚きなのは、つい昨日まで行方不明にナヨはなっていたはずで、一度すっからかんになっていた部屋はいつぞや見た雑然とした部屋に戻っていた。
玄関の段差を越えてすぐ傍にはコンロ。コンロの上にはヤカンと金属鍋。水切り台にはまな板とすり鉢。上の棚には調味料ではない何かの小瓶だらけ。すいっと水切り台の先を見ると、メモ用紙が札のようにぶら下がっている冷蔵庫とオーブンレンジ。
さらにきょろりと見回す。仕切りの布がキッチンと部屋の間に垂れている。
それをくぐって部屋へ進めば、木製の年季の入ったちゃぶ台に座布団。少し大きめの柱時計と食器と乾燥した瓶詰めが並ぶ棚。部屋の隅っこには申し訳程度のクローゼットがちょこんとある。
窓際には新聞紙の上に何かの実や葉っぱや生肉っぽい何かが並べてあった。乾燥でもさせているのか。窓の外を見ればロープが張っており、洗濯物の変わりに生き物のような何かや木の枝が干してあった。
しかし勝手知ったる他人の部屋。
俺はちゃぶだいの周りに投げてあった座布団を敷いて座った。ちゃぶだいの上にはA4サイズの用紙が数枚おいてある。何の紙か掴もうとしたら、ぽこんと頭から軽い音がした。
「勝手に触るんじゃない」
ナヨにお玉で殴られた。さっと紙から手を離して正座をすると、ナヨは鼻を鳴らしてちゃぶ台の向かいに座った。しかし右手には愛用のお玉が握られたままだ。
ナヨは結構ぽこぽこ叩く。そんなに痛くはないがナヨにお玉で殴られるのは小さい頃からなのですっかり苦手になってしまった。
「さてヤクサ。お前ももう16だ。故に書面での手続きを行う」
「何の書類?」
「俺の弟子、もしくは弟子候補であるという書類だ」
ふーんと思って紙面を見たが、日本語じゃない。というか英語ですらない。多分何かの言語だとは思うけれど、ミミズがのたくった様な文字がモールス信号のように線と点をつけて並んでいた。分からん。
「読めない」
正直に言うと、ナヨは頷いた。
「まあ、当然だろうな。今は読めなくていい、要点だけ教えるから一番下に名前書いとけ。ここ」
謎言語で書かれた紙を一枚俺の前へ置いて、下の少し空いたスペースを指差した。
言われるとおりに三色ボールペンを取り出して記入する。
「隣に印鑑」
朱肉を差し出されたので、朱肉につけてポンと押す。
「うん。次はこれだ」
一枚目の紙面をチェックして、ナヨは続けてもう一枚俺の前へおいた。やはりこれも謎言語である。
「青色にして、
トントンとまた下のスペースを指差されたので、言われるがまま青ペンで記入。
サッと取り上げてナヨはそれも確認すると、さらにもう一枚置いた。
「これが最後だ。今度は赤色でこう書け」
ちゃぶ台にその辺に散らばっていた広告用紙を一枚のせてナヨが謎言語を書いた。やっぱりミミズがのたうち回ったかのような文字で、苦しそうなミミズが見えた気がした。
「ちょっとよく見せて……こう?」
ナヨから広告を取って、書かれたミミズを見ながら三枚目の紙に書き込んだ。文字を書いたというより絵を描いたような感じだ。俺の書いたものも負けず劣らず苦しそうなミミズである。
ナヨにはそう映らなかったようで、眉を寄せられた。
「へったくそだなあ。まあ、読めなくはない、こんなもんか」
三枚目の紙を取り上げて、ナヨは俺が記入した紙を纏めて持つと立ち上がる。
「それをどうすんの?」
「送信する」
「ファックス? 郵便? どこに送るの?」
「いや、すぐそこだ。お前も使い方覚えてもらうから、見ておくといい」
立ち上がったナヨは紙をもったままキッチンの方に行った。俺もそれについてキッチンに向かうが、ナヨはキッチンの向かいにある浴室トイレのドアを向いていた。
「いいかヤクサ。このドアを1、2、1でノックする」
ナヨがお玉を持ってないほうの手で、コンコココンとリズムよく叩く。
少しの間を置いてドアを開けると、ドアの先に浴室トイレはなかった。
ちょっと古びた様式便座と狭い風呂があったはずの場所は、近代的なタイル張りの小さな部屋になっていた。クリーム色がちょっと落ち着く。ナヨ、クリーム色がすきなのだろうか。服もその色が多いし。
その中にぽつんと白い台座があって、台座の上に白く大きな平たい杯のようなものが鎮座していた。
「すげえ」
驚きに声をこぼしている間に、ナヨはさっさと中に入って手招きしてくる。
我に返って俺も恐る恐る中に入ると、後ろのドアが閉じた。
ナヨは台座の前に立って、紙を三枚とも杯の中に入れた。杯の中には綺麗な水が張ってあって、紙を入れた表紙に紙を中心に波紋が沸く。
「送り先、
杯を覗き込んでナヨが言うと、杯の中に異変が起きた。
ぽこぽこと小さく泡がたって紙が沈む。水の中に入った紙はやがて薄らいで消え去った。
ナヨは俺のほうを向くと杯を指差した。
「商売道具の一つで『送り皿』という。大体人間の子供サイズくらいまでなら送れる。重さ制限は30キロまで。この中に物を置いて、送り先、番号、宛名を言う。間違っても宛名まで言った後で手や足や頭を突っ込むなよ。千切れて一緒に送られるからな」
「絶対しない」
五体満足のままでいたいので即答で宣言しておく。
「これからヤクサにも郵送を任せることがある。今のやり方を覚えているように」
「わかった」
不思議な道具にテンションのあがった俺は軽く請け負って頷く。
「今日はここまで。明日はまた違うことを覚えてもらう」
「え、まだここにいるよ。まだ……ええと夕方の6時だし、もうちょっといてもいい?」
左手に巻いた安いデジタル腕時計を見る。6時10分くらいで、ナヨの家に来てから1時間もいない。
「そうか。なら夕飯の時間になるまで文字の練習をするか」
ナヨが踵を返してドアを開ける。ごちゃっとしたキッチンがお出迎えだ。部屋へ足を踏み入れると、ぱたんとドアが後ろで勝手に閉じた。閉じるときのみ自動なのだろうか。
ちょっと気になったので、何もノックをせずにドアを開けてみた。
普通の便器と狭い浴室があるだけであった。
今度はさっきナヨに教えてもらったとおり1、2、1のリズムでドアをノックして開ける。すると今度はさっきまでいた不可思議空間があった。
凄いファンタジー。
じーんとしていると、ぱこんとまた頭から軽い音がした。ご想像に違わず、ナヨのお玉だ。振り返ると、呆れた顔のナヨがいた。
「遊ぶ暇があるなら覚える時間を増やすぞ」
そう言うとナヨは部屋のちゃぶ台のほうまで歩き、どこからともなく算数ドリルみたいな薄いノートを取り出して置いた。そして手招きされる。
「書き取りドリルだ。時間までやっておくといい。俺は鍋見てくる」
「えええ、ボールペンで?」
言いながら座ってペンを構える。
「ちょうど持ってきてただろう。それを使え」
「えー」
ドリルを見ると、さっき見た謎言語。ミミズがあちらこちらでのたくった紙面に顔が渋くなりそうだ。
しかし文句を言ってもナヨは聞く耳がないようで、既にキッチンで鍋の火をつけてお玉で回していた。
そうして、弟子候補入り初日は謎言語と大半を過ごして終わるのだった。もう暫く見たくない。ついでにミミズも見たくない。
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