はおと

わやこな

第1話



 これは私の厄落としです。


 ですので、本当にあったのかどうかの真偽は、この際どうだっていいのです。

 ただ、気味が悪くなったことを伝えて、私がほっとしたいだけなのです。




 十数年前のことでした。

 祖母が亡くなり、家を継いだ伯父のところへ一家で泊まりに行ったことがありました。

 祖母の居たところはとても自然が豊かで、大変に居心地がよかったのを覚えています。真夏でしたので、うだるような蒸し暑さだったことも、まだ昨日行ったかのように思い出せます。

 だからでしょうか、そのときにあった出来事を、今でも思い出してしまうことがあるのです。


 祖母の家はとても古い木造でしたが、階段だけはしっかりとした造りでした。硬い木でできていて、踏むと軋まずに、トン、トン、と音がします。

 幼心に、楽しくて何回も上ったり下りたりと遊んだものです。

 階段をのぼってすぐ横に、泊まる部屋がありました。

 あれは、深夜二時だったでしょうか。いえ、きっとそうでした。古い柱時計の音が二回聞こえましたから。


 暑さに目が覚め、寝れないでいました。

 すると、物音がするのです。

 下からすぐそばの廊下まで、一定の感覚で音がするのです。

 それはトン、トン、という音ではありませんでした。

 まるで、ビー玉くらいの硬くて小さなものがぶつかってするような音でした。

 下から一つずつ上がってきて近づいて、部屋の前で止まる。

 また下がって遠ざかり、登ってくる。

 それが何度も何度も続くのです。

 暑いのにベッドの中で震えました。確認するのも恐ろしく、掛布を被りながら早く朝になれと思いました。

 音は続きます。

 コツン、カツン、と続いて繰り返しています。

 時間が恐ろしいほど長く感じました。


 朝に目が覚め、どれほどほっとしたことでしょう。明るさのなかでも何かがいるのではと思いながら、下に居る家族の声でやっと安心することができました。

 伯父に夜のことをたずねると笑われました。


「この家には座敷童がいるんだよ」


 そう言うのです。

 今思えば、あれは怖がる子どもを適当に宥めたのでしょう。家族には夢を見たのだと言われました。

 もちろんそれで納得はしませんでした。

 それでも、幾分か気が紛れました。得体の知れないことに名前というラベルがつくと安心する、そんな感覚でしょう。

 ですから、怖がる私に海に行くかと伯父が提案をしてくれたとき、私はすっかり嬉しくなって夜の怖さを追い出しました。


 S県の海岸線沿いにある、T村はご存知でしょうか。

 夏の牛追いがあるあの村です。海が近くて、いいところなのですよ。ええ、本当に。

 地元の者しか行かないような奥まったところ、あそこで伯父と家族だけの貸し切りで泳ぎました。

 綺麗な海でした。

 素潜りをすると青い海中に小魚が群れをなしているのです。

 一人ではしゃいで足のつかないくらいまで潜って、海の世界を眺めました。


 そうしていますと、また音がしました。

 水音ではありません。あの音です。


 カツン、カツン。

 コツン。

 音がするんです。


 海の中で、するんです。

 おかしいでしょう。私は潜って海の中にいたのに、すぐ近くでするのです。

 近くで泳いでいるのは、私を避ける小魚たちばかりで、家族たちは浜辺の近くにいたのですから。

 でもね、したんです。

 ゆっくり、近くで、確かに。

 口は開かなくてもガチガチと歯はなるもので、懸命に堪えました。口を開いたら溺れてしまいかねません。


 怖さから震えて鳴る歯の音に、私はふっと気づきました。

 ああ、これは、あの音は歯の音だと。

 私ではない、誰かの歯の音が耳元でしていたのだと。

 そう気づいた途端、音が止まりました。


 私は振り向きました。

 なにもいません。

 いかにもな幽霊が見えることなく、最初から、まるで私の勘違いだったようでした。

 何かに化かされたような気持ちで、それでも早く安心したい気持ちで私は海から戻りました。


 その日の夜は、無理を言って親の布団に潜り込みました。

 人の鼓動にあの日ほど安心したことはきっとないでしょう。

 音は、聞こえませんでした。




 あれから十数年。

 あの家はもう誰も住んでいません。私も仕事をして家を出るようになり、祖母の家に訪れることもなくなりました。


 ですが、たまに思い返してしまうのです。

 あれは、なんだったのでしょう。

 あれは今、どこにいるのでしょう。


 聞こえてくるのです。

 記憶から、薄気味悪く嫌な気持ちを食んでいるように。


 コツン、カツンと、音がします。


 夢なのでしょうか。本当にあったことだったのでしょうか。それさえ幽かになった今でも。

 遠く離れた祖母の家で聞いたあの音が、ふとした拍子によみがえるのです。




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はおと わやこな @konakko

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