魔術師であること

 予定の時間に見送りに来ない友人を探して、チャムはシェリの私室を訪ねた。昨夜のことは彼ですら気まずく思う状況で、この先、王宮でミオに会いませんようにと願うくらいには最悪である。

「シェリ、僕もう……なにつくってるの」

 彼女の私室はそれなりに広く、一番奥に実験道具が置かれている。チャムが天井から下がった布を捲ると、彼女は実験用のローブを着て乳棒でなにかをかき混ぜていた。

「酔い覚ましがいるんだって」

「あ、あー。それオトーサンじゃない? 僕、結構飲ませたからなぁ」

 そうなんだ、と答えるシェリはチャムの方を見ない。集中しているのだ。作業が終わるころには忘れているだろう。

 いつものことなので特段気を悪くもしない彼は、「じゃあ僕は行くね。なにかあったら伝書してよ」と、あっさりその場を離れた。

 そうやって好きなことをしているうちに元気になればいい。でも結婚したら簡単に会えなくなるなぁ。まぁ仕方ないか。

 チャムは世話になった使用人に手を振って、都へと馬車に乗りこんだ。




 「できた」乳鉢につくった酔い覚ましを、シェリは見下ろした。

『君は二日酔いになったことがないのか』『それはもうひどいことになる』『絶望するほどつらい』『そういうときに飲むんだ、少しは人を思い遣れ』

 口うるさい師の声がこだましてかなしみは深くなったが、そのおかげで仕上げの詠唱は力まずに済んだ。ブリュ草の爽やかな香りが鼻を掠めるいい薬になっている。

 試験管は埃をかぶっていたので、就寝用の杯を出して薬を注ぐ。

「あれ? 誰に頼まれたんだっけ」

 シェリは杯を片手に廊下に出た。だが人気がない。

 そのときまさに使用人たちはチャムの見送りに出ており、出払っていた。「誰もいないのー?」声を出しても応えはなく、調理場に置いて来ようとしたとき、ちょうど父が部屋から現れた。


 つい先ほどより顔色の悪い父の様子に、シェリは目を丸くした。

「もしかして酔い覚ましは、お父さまのですか」

「む?」

 肯定はなかったが、彼女はセドにそれを手渡した。

 ローブ姿で現れた娘に怪訝な顔をした父だが、途端に香った爽やかさについ目を細めた。

「なにか、胸がスッとするな」

「魔力が入ってるのでたぶん十くらいで効いてきますよ」

 「う、む」しばし躊躇ったセドだったが、天秤は好奇心に傾いたらしい、目を瞑って一気に呷った。

「……少し甘くて美味い」

「あは、最初は苦くて飲めないって怒られちゃって……苦いままだと三鈴分で効果出るのに。何度も改良して納得してもらったのがこれで……あ、ごめんなさい」

 シェリはむぐと口を隠した。魔術師の話は厳禁。機嫌を損ねると思った彼女はもう一度「すみません」と謝った。

 父はそんな娘を見つめ、「薬が効くまで話をしよう」と、今しがた閉じたばかりのドアを開けた。


 ――話してなかったことがある。

 半刻前と変わらない位置で座りなおしたシェリに、父は言った。

「お前の母は魔術師だった」

 は? 知らず漏れた礼儀知らずには言及せず、セドは「みなには黙っているよう頼んでいた」と額に手を当てた。

「お母さまが、魔術師? そんな、わたし全然」

「お前が……初めて『薬をつくった』と見せに来た日のことは忘れない。薬草を煎じたはずの液体がおそろしい色をしていた」

 もしかしてピンク……? そうだ。


 頭痛を堪えるように顔をしかめ、セドは俯いた。

「魔力を込めなければそうはならないと、わたしは知っていた。オーリは……お前の母はわたしが不調のときは必ず薬を煎じたものだ」

 「じゃ、じゃあなんでお母さまは、自分で薬をつくれば」そこまで言って、シェリは言葉を飲みこんだ。

 記憶の中に答えがあったからだ。

「魔力を、使い過ぎたのね」

 沈黙は揺るがぬ肯定を示した。父は「きれいな白髪だったろう」と、瞑目した。


 魔術師は体内から湧き上がる魔力を使う。血液や髪をめぐるそれを限界を越えて使い切ったとき、訪れるのは死だ。全身から色が抜け落ち、穏やかに死を待つだけになる。

 母は生まれながら白髪だと思っていたシェリは、体から力が抜け、ソファに背を預けた。

「魔力など持って生まれなければと、何度呪ったか。それが妻が唯一残した娘にも宿っていたと知って……。わたしは向き合うことができなかった」

 そうだろうと肯きたい彼女と、どうしていままで黙っていたのと叫びたい彼女が葛藤した。せめぎ合い削り合って霧散した。そうしてただ、かなしみが胸の中を覆った。


「だから、わたしが魔術師になりたいと言ってから……」

「そうだ。諦めてくれればいいと思っていた。お前を傷つけることになっても、家中の誰もがお前を喪うよりマシだと考えていた」

 いまもそうだ。

 シェリは姿勢を崩したまま、父を見た。まっすぐに。豊かな焦げ茶の前髪にはふた筋、白髪が走っていた。目尻には深い皺が刻まれて。


 その瞬間に、彼女の胸や頭や心にはさまざまなことがめぐった。ふたりの前には、空の杯がいまだブリュ草の香りを放っている。

「……お母さまの髪は、何色?」

「お前の瞳と同じだ。まるで生き写しだよ」

 そうなんだ。

 それ以上の返事はできなかった。


 ――ぽつぽつと母のことを語り合い、数鐘分を過ごすと、セドの体調は回復した。

 そして丁寧に紙を伸ばしてつづられた権利書を、彼はシェリへと返した。押し問答の末、ドアを開けたた父は躊躇ったのち「ありがとう助かった」と目元を赤らめた。

 シェリはつづりを強く抱え、あいまいな返事しかできなかった。



 *



「二十年も黙ってること、ないでしょおぉぉぉ――! お父さまのバカああぁぁぁぁぁ‼」

 頑固ジジイ、みんなうそつき、意地悪! 力いっぱい魔術使ってやるぅ――――!


 いまシェリは、筋力増強で走ってたどり着いた山で、自身に物理攻撃結界、防音魔術を重ねがけして山頂から悪態を叫んでいた。完全に違反状態だがそうでもしないと気が狂いそうだったのだ。

 父や家の者たちの気持ちは察するにあまりあった。もうシェリも子どもではない、理屈はわかった。だが今日まで苦しく思ってきた自分の気持ちの行き場がない。

 どうしてさっさと話してくれなかったのか!

 知った上で選択する道もあったはずだ、魔術師になることをおそれた可能性もあったはずだ。

 わたしへの心配は建前で、自分たちのかなしみから目を逸らしてただけじゃないか!

「わたしが、どんな思いで、薬つくってたのか、わかれよおおぉぉぉぉ――!」


 最後は声が枯れた。

 シェリはどさっと乱暴に岩の上に寝転び、ついでに頭をぶつけた。痛いようと頭を抱えて丸まり、そのままただの呼吸を繰り返した。

 そうして、小さな小さな土虫が動かぬ彼女の指に這い上がったとき。

「ごめんなさいお父さま……ちがう、わたし……薬つくるの、たのしいんだよぉ。もっと実験したい、素材を削って粉にしたいよぉ……混ぜてどろどろにしたい」

 酔い止めだって簡単につくれる、熱だって怪我だって。白髪の染粉だってきっとつくれるよ。つくらせてよ、魔力なんて全然減らないから。そんなことで死なないなら。

 次から次へと本音が沸き上がった。ときおり悪態と共に口からはみ出ては、ぽろりと涙も出した。


 だが結局は、父のかなしみに抗うすべはない。

 そう結論が出ると、彼女は自分にかけた術を解いた。

 使い過ぎない方がいいことは、事実そうなのだ。学生になって初めに覚えるのは、自分の魔力の限界を知ることである。枯渇を知れば無茶をしようと思う者はいなくなる、便利な力を畏れ制限する。

 内側から死が広がっていく感覚を、母はどう受け止めたのだろう。父は、どうやって乗り越えてきたのか。娘を、どんな目で見ていていたのか。


「……虫か」

 件の土虫が手をくすぐるので、彼女はそっと起き上がった。そしてほんの思いつきで魔力を放った。詠唱もイメージもせず、ただ『変われ』と念じて。

 果たして土虫は手のひらほどのシュバラウスになった。「ふふ失敗。でもかわいい」彼女は手乗りシュバラウスを岩に立たせてやった。戸惑ったようにきょろきょろと周囲をうかがい、それはどこかへいなくなった。小さいだけあって速かった。

「なんだ、簡単だ。……なんだっけ、変異術?」

 目をごしごしと擦って、シェリはそれに没頭した。


 土虫を、岩を。シュバラウスに、ラビリスに。知っているものになら、なんでもできた。人間はさすがに魔術師倫理に反する気がしてやめた。

 そこで初めてチャムとミオが必死に隠そうとした意味を理解した。確かに危険な術だ。

「ふふ、誰にも言えないけどわたしこれ得意かも。ミオ師が知ったら……」

 ピンクのスライムを木の枝に戻して、シェリは唇を噛んだ。



 変異術、楽しいかも。

 シェリは夕食後の私室でさまざまなものの形を変えて遊んでいた。危険性は承知したので柔らかくて小さなものを攻撃性のないものに。

 実際手を動かしていないと泣いたりわめいたりしたくなるのだ。それにまだ、堂々と薬をつくる実験をする胆力もない。

 新しい魔術に夢中になる子どものように、次から次へと物を変異させては戻す。

 寂しさがそうさせると自覚してはいた。


 そして彼女はいくつも術をかけるうち、コツのようなものを掴み始めていた。

 すべての生き物は個体差はあれど魔力を持っている。それを行使できるほど量を保有していることが魔術師の素質となるが、彼らの術が人体や魔生物に作用するとき、魔術師と対象の魔力は混ざり合う。ミオがシュバラウスになったとき、シェリの魔力が彼を覆ったのと同じようにだ。


「粒子の性質がまったく異なると混ざり方に少し引っかかりがある……」

 じいっと視ると変異した物体の魔粒子は、本来の粒子とは――例えば術で縫いぐるみになったものと、元から縫いぐるみだったもの――まったく違うもののようだった。

「じゃあミオ師がシュバちゃんになったときって、ミオ師の粒子はどこにいってたんだろ……あー、めっちゃ魔力を持つ個体に術かけてみたい、でもそんなの危険魔術師認定過ぎるうぅぅ……」

 それに小岩をシュバラウスにしたときはぐいっと魔力が引っ張られた感覚があったなぁ。元の性質が違い過ぎたからかなぁ。


 朝方までの恋煩いからくる憂鬱は横に置き、シェリは部屋をうろうろと歩き回った。チャムが見たなら、「やっぱ研究好きなんだね」と呆れたかもしれない。

 就寝用の果実酒を喉を鳴らして飲みつつ、彼女は疑問点の洗い出しを完了した。おおよそは実験と考察を繰り返せば明らかにできそうだと、満足の表情を浮かべる。

「面白いなぁ変異術。そうだ、このクッションをもっと大きくして抱き枕に……………え。待ってよ。それ、もしかして」

 変幻術じゃないの――⁉

 シェリは慌てて部屋の奥へと駆けこんだ。ミオから借りた本は置いてきたが、学生のときの教科書なら並べてある。バァンと音を立てて教科書を机に出し、ほとんど新品のごとき目次を開いた。『変幻術』の頁を探す。


『変幻術は、魔力を用い術対象の表層の粒子だけに作用し、姿形を変化させるものである。』

 彼女はぎこちなく狭い実験机の上で視線を動かした。純粋なガラスでできた乳棒に指を向けた。

 ぐにゃり、橙色の細やかな魔力がガラスをまるでスライムのように変形した。

 ふた鈴もかからず、そこにはシュバラウスのガラス細工が彼女を見上げていた。尻尾やツンと尖らせたたてがみの先は青い、彼女の見慣れた姿に。

「……なんでいまさら、できちゃうの」

 試験は明日。

 明日まであと三刻の、月の隠れた夜のことだった。

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