ちゃんと話は聞くべき
細く長い、石造りの地下道をふたりは進んだ。
ミオが指に灯した魔力の光が頼りで、肌寒い廊下では繋いだミオの手はひどく温かかった。
シェリが手汗を心配し始めたころ——およそ三
そこは扉もないように見えたが、足を踏み入れると念入りな侵入禁止の魔術がかけられていた。
手を繋いでいなければ炎か雷で体は真っ黒にいたとわかり、シェリは「うへぇ」と声を漏らした。ミオが足を止め、指を振った。かすかな灯りもなくなった。
「ここは火を置けない。それに魔力に影響するものもある、暗いが我慢してくれ」
彼の髪が顔を掠め、シェリはギョッとした。暗くて距離感がわからなかったのだ。
「え、このまま進むんですか。全然見えない」
「俺は慣れてるから問題ない。君がそのまま着いてくれば……いや、不安なら抱きあげる。その方が楽じゃないか?」
「いいいいいいええ! 何言ってるんですか、お断りします!」
「何度かやってるだろう。……まぁ、それなら気をつけなさい。用があるのは一番奥だ」
ミオは言葉通り、ゆっくりではあるものの迷いなく蛇行したり迂回したりした。
目の慣れてくるとシェリは、少しずつ辺りの様子が見えるようになった。
——天井はドーム型で高い吹き抜けになっている。大きな窓がいくつもあるようで、朝の近づく薄青の空を真四角に切り取っている。
一体ここはどこなのか。シェリはぼんやりと考えたが、すぐに別の刺激で思考は遮断した。つんと刺すようなよく知る薬草の匂いがした。
「え、いまミダクダ草の……ってかこの辺、色んな草の匂いがします」
「そうだ。手前の方にはすぐに手に入る素材や薬草を置いているし、もう少し行くと貴重なものになっていく。魔道具もあるからぶつからないように」
見えないのにそれは無茶な!
そうは思ったもののシェリの好奇心はむくむく膨らんでいき、彼女は周囲が気になって仕方ない。
そっか。素材置き場ってここだったんだ。
いつもどこからか目が飛び出るほど高価な素材をひょいと持ってくるので、どこに隠しているのかと思っていた彼女は、膝を打ちたい気分だった。
「随分貯めこんでるじゃないですかぁ! えぇなんか匂いが変わった、あぁ待ってください見たいぃ」
「君がそうやって楽しくなるのはわかっていた。『ここに住みます!』とか言い出す可能性があると思って、いままで黙っていた」
「ちょっとくらい住んだっていいじゃないですか! 独り占めはずるい!」
「いや俺がコツコツ貯めた素材だぞ。君との稼ぎで買ったものもあるが」
「ほらぁわたしにも見る権利が」ある、とシェリはミオの手を強く引いた。悪気は毛頭ない。しかし引っ張られたミオがふらつき、なにかにぶつかってしまった。
ガシャン——! 「うわっ」「ぎゃあ……冷たっ」なにか液体が撒き散らされ、彼女の足元にかかった。
「大丈夫か!」
「うえぇ、なにか足に……痛くは、ないみたいですけどぉ」
「危険物は全部魔術で封入しているから、割れることはないが……なんの薬かは明るい場所でなければわからんな」
ハァァァァと大きなため息をつき、ミオはシェリの肩に手を置いた。「驚いたぞ」また髪が頬をくすぐった。液体のほのかな甘い香りに混じってミオの匂いがした。まるで抱きしめられそうな近さに胸をざわめかせつつ、彼女は素直に「すみません」と謝った。
「いや、いまので整理する必要性を感じられた。体調に変わりは?」
頬をミオの手が撫でた、尻尾も足の辺りを。
「たぶん、大丈夫……です」
なんかすごく、近いよ!
「もうすぐだから大人しくしていなさい」
こくこくと肯いたシェリは「よし」と微笑んだような声を聞いた。離れるときにちらりと青いガラス玉が光ったのを見た。
再び手を引かれ、シェリは今度こそ大人しく歩いた。
――「ここだ」とミオが立ち止まったのは、入り口から最も遠い一角だった。そこはやはり術が施してあり、さらに隠し部屋が造られていた。
「はぁ。……厳重ですね」
ようやく狭い場所に入り、シェリは安堵の息をついた。続いた感想も当然で、隠し部屋をいくつも経由してたどり着いたのはやはり大きな窓のない小部屋。ミオが窓を細く開けると、冷えた清浄な風が入りこんだ。同時に壁のランプが勝手に点いた。
かなり強固な結界が張りめぐらされており、窓が開いていても、外からの侵入はほとんど不可能と思われた。
彼はそこでようやく手を離し、床の隅に置かれた金庫からいくつかの書類を取り出した。
「なんですか、その紙」
シェリは首を傾げた。
「これは君が俺のところに来てから開発した、薬の個人生成登録書……つまり権利書だ」
人が五人も入れば窮屈になりそうな部屋には、椅子もソファもない。ふたりは立ったまま見つめ合った。
「権利、書?」
「そうだ。弟子のうちは預かっていようと思っていた。君は少し危なっかしいからな」
「ま、待ってください……わたしの、開発した薬? どういう……あー! もしかしてときどき魔力署名しろって言われてたアレ⁉︎」
ミオは口を曲げると「やっぱりろくに聞いてなかったな」と目を細めた。
「俺は初めて書かせるときに説明したぞ」
久しぶりの叱り口調に彼女は首をすくめ——肩を戻した。そしてハッとなにかに気づいた。おそるおそる両手を組んだ、祈るような形で。
「あの、もしかして、その。わたしの作った薬が……誰かのためになってるってこと、ですか……?」
ミオは彼女をじっと見つめ、次いで何枚かの書類に目を落とした。
「結構な人数を救っているはずだ。魔術師の回復薬と、流行風邪の臨時薬は味が不味くても需要があるからな。しかも君のは原価が圧倒的に安い。もう流通しているはずだ。その他にも署名しただろう?」
「わかって、ませんでした……」
シェリの両目からは涙がこぼれた。それは止めどなく、まろい頬に幾つも筋をつくった。
「よかったぁ……」
「君は、実験と製薬にしか興味がないと思っていたが。違ったんだな」
かすかに目を瞠ったミオが言った。
うわぁぁぁん! 両手で顔を覆い、シェリは本格的に声を上げた。
「う、嬉しい……よかっ、よかった。わたしの薬、よかった……!」
目蓋には母の最後が映っていた。救えなかった母の姿は白くて細くて目を灼くような悲しみをも呼び覚ましたが、いまは夢の中ではなかった。カサリ。紙の擦れる音と同時、ミオが彼女を抱きしめた。額もまつ毛も柔らかなガウンに受け止められた。
「嬉しいのに、どうして泣く」
「うっうぅ、わたし、なんの役にも立たないと……思ってたから……」
「まさか、そういうことを気にするタイプだったとは」
すまなかった、認識を改めよう。わたしも、すみませんでしたぁ。
すすり泣くシェリの巻毛を撫でるミオは、「話の続きだが」と低く言った。
「この権利書は君のものだ。例えばもし、今年の試験に落ちてもどこかの研究所に持っていけば融通してくれると思う」
ゆうずう? ミオのガウンに鼻水をつけ、シェリはぐずぐずと顔を上げた。
「どこの研究所にするかは俺に相談しなさい。評判のよくないところもある。もしくは……」
急に途切れた声に、シェリは涙がつきっぱなしのまつ毛をしばたいた。
ミオは眉を寄せていた。
「どうしたんですか?」
「……もしくは、これを売って好きな場所で暮らしてもいいだろう。小ぢんまりした家なら五年は実験だけしても生活できる額だ」
「五年⁉︎」
驚きで完全に彼女の涙は止まった。
しかしミオはそのまま、彼女の髪から手を離さずひと撫でする。そして躊躇うようにそっと言葉を継いだ。
「あとは……まだ出ていかずに、しばらく一緒に依頼を受けてくれてもいい」
それ、本当?
シェリは泣いて熱のこもった目蓋でミオの瞳を見つめ返した。
あぁこれはドボズルギャーの囁きだと、彼女は青に溺れそうになる。創世の悪魔は、甘露を差し出して人を堕落に陥れた。
もしこれをお父さまに見せたら、もう少し猶予をくれるかもしれない。
これを売れば、住むところに困らずにまた試験に挑戦できるかもしれない。
いま「ミオ師と働きたい」と言えば——。
シェリの心は揺れた。
いままで通り、ミオの側にいて自分がつくりたい薬をつくって、一緒に朝ごはんを食べてもいいの?
彼女は彼の仕立てのいいガウンを掴んだ。ふたりの顔が近づいた。
側にいていいの?
「わたしずっと、ミオ師の弟子でいたいです」
しかしその瞬間、どこまでも優しかったミオの視線は歪み、彼女から逸らされた。密着していた体が離れ、ふたりの間にあった熱は風が拭っていった。
「俺は……。いや、そうだな君が望むなら」
あ、これダメなやつだ。
シェリにはわかった。長い前髪が彼の目を隠しても、耳も尻尾も「いやだ」と伝えていた。
彼女は「えへへ」と笑った。
「ありがとうございますミオ師。わたし、あはは、混乱してて……。もうちょっとだけ、えっと試験まで色々考えてみます」
すみませんでした、なんかわかってなくて。空いた隙間は、頭を下げるのにちょうどよかった。
窓は朝を知らせていた。
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