10・私、勘違いしてた

私、勘違いしてた

 彼は優しい。彼は私に優しい。

 月並みな言い方だけど、優先席やソファー席を譲ってくれたり重たい荷物を持ってくれたり常に先導してくれたり、私を思いやってくれる動きを総括して「優しい」。

 女性あしらいが上手かと思いきや経験はそれほど多くないみたいで、ならば天性のナイト気質なのかなと羨望の眼差しを向けたこともあった。


 しかし、彼は優しくない。彼は私以外に優しくない。

 店員さんにタメ口だし舌打ちしたりするし、ちょっとしたことでクレームを入れるし低所得者と見た相手はあからさまに見下す。

 お恥ずかしい限りだが、私はそれに気付くのに時間が掛かった。デート中は魔法にかかったみたいに、苦情を言う彼を勇敢な男性だと思っていた。「ん?」と引っ掛かるチャンスがあっても、悪者退治して来たみたいな彼に肩を抱かれれば「お疲れさま」ってな気分になっていた。

 だんだんと、じわじわと、彼に連れられた私も周りを見下すようになっていた。

 彼は高収入で、車も持ち物もハイブランドで揃えている。そこに仲間入りした自分も「選ばれし人間」だと思い込んで…偉そうに振る舞うことがあったみたいだ。

 自覚が無かったのが本当に今では信じられない。目を覚させてくれたのは友人だった。


 友人とその彼氏さんと喫茶店で会った時のことだ。

 私たちより後にオーダーを取った席に、先にコーヒーが届けられたことに私は腹が立ってしまった。

 そして近くを通った店員さんを呼び付けて、「どうして私よりあっちが先に来るの」と言い放った。

 こちらは女性陣がケーキセットを、向こうはコーヒー単品を頼んでいたので順当な順番だったろう。

 けれど、私はそれが分からなかった。むしろケチを付けられて気分が高揚している節があった。


 「申し訳ございません」と謝って厨房へ戻る店員さんの背中をふふんと眺めていると、友人が

「あんた、何してんの?」

と心底侮蔑の目で私を見ていた。

「え、だって、先に頼んだのはこっちなんだよ?」

「私たちがケーキ頼んでるんだから提供時間に差は出るでしょうよ」

「でも、こっちを先に作り始めるでしょう?」

 カウンターの向こうにはサイフォンが数台並んでいて、コポコポと常に新しいコーヒーが生成されている。

 ケーキはおそらく作り置きだし、そこまで時間が掛かるとは思えなかった。

「皿を用意して、冷蔵庫からケーキ出して、って工程が増えれば手間も時間も掛かるよ。コーヒーとケーキを揃えて届けてくれようと工夫してくれてるよ。そんなに喉渇いてんの?」

「…ううん、渇いてない」

「でしょ?しかもあんたが引き留めたからさらに提供時間延びてるよ…あ、ありがとうございます」

 席には先ほどの店員さんがトレイいっぱいに私たちのオーダー品を載せて到着した。

「……」

 若い女性の店員さんは私と目が合うとペコリと会釈だけして、会計口へと歩いて行く。


 友人はコーヒーに砂糖を入れて、

「あんた、あの男と付き合い出してからおかしいよ」

とクルクル混ぜた。

「……おかしい?」

「自覚無い?クレーマー気質になったと言うかさ、損得に敏感と言うか…さっきのだって、別に気にするようなことじゃないでしょ。1時間待たされるとかなら苦情言うけどさ」

「損得…」

「あんたの彼氏の影響じゃない?あの人、時間とお金にシビアなんでしょ?前に言ってたもんね」

 確かに、経営者である彼はコストパフォーマンスとかタイムパフォーマンスとかをいつも気にしている。

 そして待たされると時間を無駄にされたと感じて攻撃的になる。恫喝などではなくあくまでやんわりと、「高給取りな僕の時間が浪費された訳ですが保障して頂けるのですか」みたいな嫌味で皮肉っぽい言い方で相手を責める。

 私も最初はそれに違和感を感じていたはずなのに、いつからか麻痺してしまっていた。そして「言ってやった」なんて変な優越感までも共有するようになってしまっていた。


「あ、あ…」

カアァと、頬が熱くなるのを感じる。

「目ぇ覚めた?もうどれくらい付き合ってる?」

「…半年、くらい……あの、私、ヤバい?」

「うん。あんたは平均的なOLなのに、やたら上から物を語るようになってたよ。こんなこと言いたくないけどさ、彼氏との付き合い考えた方が良いんじゃない?たぶんその人、周りからも嫌われてるでしょ」

「それは分かんない…ビジネス関係の友達とは何度か会ったけど」

「ヒルズみたいなとこで?あは、お互いがお互いの金ヅルなんだよ、コネ作りってやつ。連んで商機を探しては、出し抜いたりするんだよ。SNSにお金の写真載せたりさ、真っ当に稼いでるんなら好きにすれば良いけどさ、私は稼ぎを人に誇示する人種は苦手だなぁ」

「う、うちの彼はそんなこと…」

 でも似たようなことはしてる、高収入マウントってそういうことだ。

 口篭ったのが私の答えだった。

「まぁ、あんたが好きで付き合うんならそれで良いよ。でも、今日みたいな態度を続けるんだったら私はあんたと遊ぶの辞めようかなって思ってる」

「えっ」


 友人は彼氏さんと頷き合い、コーヒーカップに口を付ける。

「な、なんで…やだ、」

「あの男と付き合い出して、あんたの株は落ちてるよ。もし、私の結婚式で私や親族相手にマウントとるようなスピーチされちゃ堪んないもん。だから、改心しないならスピーチと式への参加を断ろうと思って今日呼んだの」

「……やだ、ゆっこ、」

 友人ことゆっこの肩を彼氏さんは抱いて、

「ごめんね、『友達がどんどん傲慢になっていて辛い』って、ゆっこも悩んでたんだよ。貴女が変わらないなら、僕らの式には出てもらいたくないし今後の付き合いも辞めて欲しいと思ってる。マリッジブルー以外に、ゆっこに負担を掛けるようなことして欲しくないんだ」

と私に告げた。


「……」

 震えるゆっこの瞳から、ぱたと涙が落ちる。そして私がおしぼりに手を掛けるより先に、彼氏さんは指でそれを拭った。

「(優しい)」

 優しい人だ、私は彼に初めて抱いたその気持ちを思い出した。私に優しくて、嬉しかったあの気持ち。大切にされている実感と、きゅんきゅんする胸の痛み。

「ゆっこ、ごめん、泣かないで」

「…どう、自分で省みることができる?」

「あの、私…彼氏と付き合って、自分も偉くなったように勘違いしてた。なんでだろ…やだ、みっともないことしてた」

 付き合いの長いゆっこは、私の表情から本音だと察したようだった。

「みっともないよ、あんたはただの会社員、高収入な恋人がいるだけの一般人だよ。あんたが偉い訳じゃない。そんで、恋人だって偉い訳じゃないからね」

「うん、うん…」

「自分の行動さえ変わるなら、男と交際続けるのは好きにすれば良いよ。それこそ、私がどうこうできるもんじゃないし」

ゆっこは彼氏さんに軽く目配せして手にちょんと触り、抱かれた肩から大きな手を離してもらう。


「前にダブルデートした時、彼氏さんの態度は同じ男の僕から見ても横柄に感じたよ。大雑把とかそういう男らしさではなくて、尊大って言うのかな、要は偉そうだった」

彼氏さんはコーヒーを飲んで、沈黙状態のテーブルに意見を落とした。

「貴女には当然優しくて、でもゆっこにはやんわり、僕には明らかなマウント行為があった。収入をひけらかして、正直友人にはなりたくないタイプだったよ。常にタメ口だし、逆張りと穿った見方で世の中を斜めに見てる。貴女は大事にされてるから分からないみたいだけど、少しずつ洗脳されていったんだろうね…彼も、ビジネスに狂わされてるのかもしれないけど」

「…すみません、失礼なことをして」

「良いよ、僕は二度と会わないだけだから。人の縁って、結構簡単に切れるんだよ。ゆっこだって、貴女に招待状を送らず連絡を断つことだってできたんだ。でもこうして伝える機会を作った。貴女は、彼との今後を考えた方が良いと思うけどね…まぁお任せするよ、所詮は僕からしても他人事だし。僕はゆっこの心を乱す因子を撲滅するのに必死でね」

 ゆっこは「何言ってんの」と彼氏さんを小突いて、

「言いたいことはそれだけだよ、とりあえず式には予定通り出てもらうけど…スピーチ台本は検閲させてもらうし、何かあればすぐに出て行ってもらう」

とイタズラそうに微笑んだ。

「(私、そんな要注意人物に成り下がってたの)」

仲睦まじい友人カップルを対面にして、体が震えて涙が溢れる。

「ご、ごめんなさい、私、そんな…ごめんなさい、」

「良いって、自分の行いは改めれば良いよ。男とどうするかは自分で決めな」

「わ、かれるっ…ほ、本当は思ってたの、店員さんに偉そうで、恥ずかしくて、でも、私もいつの間にか、同じ風にしてた、人より偉くなったつもりになって、ごめんなさいっ…」

 洗脳されたのは自分の責任で、彼には作為は無かったと思う。

 でも私は行いを彼の責任にして、彼ごと過去を捨ててしまいたいと思っていた。

「うんうん、落ち着いて、他の友達もね、心配してたよ」

「ごめん、そっちも、謝るっ…」

「うん、連絡取ってみな」


 ずびずびと鼻を鳴らして目を腫らして、その日は駅までゆっこたちに送ってもらい帰宅した。

 ちなみに喫茶店の会計は私が難癖付けたスタッフさんだったので、

「さっきは気が立っていて失礼をしました。申し訳ございませんでした」

としっかり頭を下げて謝罪した。

 ゆっこも彼氏さんも合わせて礼をしてくれて、本当に済まない気持ちでいっぱいになった。



 そして時は数日後、彼氏とのデートの日。

 私はしっかりと、断固として彼とお別れする決意を持ってこの日に臨んでいる。

「(まず、お茶をして、切り出して、お金を置いて、帰る)」

 彼とのデートは大体外で、互いの自宅がどこか詳細は知らない。彼は私の家に興味を持たなかったし、食事代もホテル代も払ってくれていたからわざわざ自宅に行くという選択肢が無かったのだ。

 なので、もし追い掛けられても家はバレないと思う。

「(…夢でも見てたみたい)」

 ゆっこの彼氏さんはあの日、

「彼、まともな仕事してるのかな。会社名調べたけど自称コンサル経営者ってのがね、なんか」

と彼の雰囲気とも併せて怪しがっていた。

 私は私で「人との繋がりが大切な事業なんだ」としか聞いておらず、企業の立て直しだったり人材派遣に近いことをしているとしか認識していなかった。

 ゆっこはそんな私を「馬鹿じゃん」と笑っていたが、彼氏さんの

「よく調べた方が良いよ。もしも人を騙して得た金で贅沢してるんだったら貴女も寝覚め悪いでしょ」

の言葉にゾッとした。

 そして私なりにインターネットで検索して、SNSで検索して、地域掲示板で検索して…彼の会社が情報商材屋であることが判明した。

 それ自体は悪い仕事ではないのだが、実態が無いものを高額で、しかもネズミ講方式で販売していることが分かり一気に冷めた。

 なるほど人の繋がり、コネクション。売れば売っただけランクアップして位が上がってというやつだ。

 私は勧誘されていないけれど、いずれは会員にならされていたのだろうか。


「お待たせ」

高そうなスーツで、彼が席に着く。

 そう言えば私服って見たことなかったな、休日でも仕事人間ぶりたかったのだろうか。

「あの、今日は話があるの」

「うん?何かな」

コーヒーを注文した彼は、ニコニコと私を見つめる。

 優しい眼差しだけど、今の私には胡散臭く感じる。

「…別れたいの。性格が合わないから」

 突然の申し出に彼は一瞬だけストップして、

「そう、分かった。僕のコーヒーは飲んでくれて良いから」

と早々に席を立った。

 詳しい理由とか掘り下げないんだ、引き留めたいとも思わないんだ。脱力すると共に、半年を無駄にしたなぁと情けなさで涙が滲む。

 去って行く背広を目で追って、でもすぐにコーヒーカップで視界を塞いだ。


 絶対にこれで正解だったはずだ。

 私は彼と一緒にいると人間としてダメになる。友人も失くして人望も何もかもを失くしてしまう。


『♪』


 彼の頼んだコーヒーが席に届いたと同時に、スマートフォンに彼からのメッセージを受信した。


『最後に、僕の何がいけなかったか教えてくれる?今後の糧にするから』


「(丁寧に見せかけて、ぞんざいな感じ…面と向かってだと荒れるから文字にしたのかな)」

 私は『人を見下したり店員さんに偉そうだったりが気になりました。』と返すと、また着信する。


『自分も釣られて偉そうになってたよ?気付いてなかった?今頃同僚にも家族にも友達にも嫌われてるよ?僕なら受け止めてあげられるけど』


「(ムカー)」

 そうやって孤立させて、自分しか拠り所が無いように思わせるのも仲間を増やす手らしい。

 前情報があったので引っ掛からずに済んだ。


 『友人から注意されて踏み止まれました。失礼をした相手にはこれから謝っていきます。もう関わらないで下さい。』と送ったが、それから返事は来なかった。

 それから、というかゆっこに諭された日から私は日頃接する人達に「これまで不愉快な思いをさせてしまっていたらすみませんでした」と謝罪行脚をした。

 「そうなんだ」と友好的な人もいたし、「へぇ、そうですか」と既に修復不可能な人まで様々だった。

 愚かしい、恥ずかしい。これから失った人望を回復するには時間がかかりそうだ。

 母親にも「身の丈に合った生活と恋をしなさいな。影響されやすいんだから悩んでも占いとかに大枚叩いちゃダメよ」と怒られた。

 もうしばらく恋愛はやめておこう、人間関係を再び構築するために今は精進している。


 後で親から聞いて知ったのだが、元彼が捕まったとニュースになっていたらしい。地方新聞の地域欄の端に載っていたそうで、私は新聞を購読していないので気付かなかった。

 特定商取引法違反、で懲役か罰金かになるみたいだ。



 数ヶ月後。

「あの人、捕まったんだって?」

「ぶふ」

ゆっこが高砂に似つかわしくない話題を振ってくるので、私は塩っぱい顔になる。

 本日はゆっこカップルの結婚式、幸せオーラいっぱいの会場に私は無事参加させてもらっている。

「良かったね、別れてて」

「おめでたい日に、そんな話題やめてよぉ……でも、ゆっこには感謝してるよ、言い難いことを本気でぶつけてくれて…本当にありがとう」

「ふふぅ…次はあんたが幸せになりなよね」

「うん!」


 ゆっこの右側で、旦那さんが笑う。

 私もこんな幸せな結婚をいつか…出来たらなぁと改めて思った。



 二次会には旦那さんのお友達も沢山参加しており、旦那さんが「僕のオススメのヤツと話してみてよ。きっと気が合うよ」なんて引き合わせてくれた。

 紹介されたのは謙虚で穏やかでよく笑う素朴な男性で、連絡先を交換してやり取りをするようになった。


 彼の優しさに触れると、私は過去の振る舞いを思い出しては自己嫌悪に襲われる。恥じては省みて、悔いては立ち直って。

 そんな私に「前向きで逞しいね」なんて言ってくれた彼は本当に優しくて…やっぱりたまに涙が出てしまうのだけれど、彼に見合う人間になりたいから、腐らずに生きていきたい。


 彼は私にも、他の人にも優しい。

 でも自身には少し厳しくて、そんな彼を私は尊敬している。

 私も人に優しく、みんなに優しい人間になりたい。




おわり

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