8・生理的な嫌悪感には勝てん(2話)

生理的な嫌悪感には勝てん

 私・並木なみき萌映もえみは本日、結婚相談所経由で知り合った男性・ソノダさんとランチデートをすることになっている。

 というか、今はその最中である。

 場所は地元主要駅のそばにあるホテルで、そこの1階のフレンチレストランだ。

 このホテルは結婚式を挙げるチャペルや大広間も備えており、遠方からの参列者もアクセスし易く人気だと聞く。そしてその披露宴等で振る舞われるのがこのレストランでも提供されている料理で、要は華やかで格式高く安定した味が期待できるということだ。


「……」

 私とソノダさんは同じコースを頼み、食前酒で乾杯をしたのだが…冒頭からどうも様子がおかしい。

「…ズビッ……コポ……んぐ……ぷはぁ!美味しい!」

「……良かったですねー」

 ソノダさんはグラスを一気に傾けて、汚らしい音を立てて飲み干した。同時に卓に置かれた一品目のアミューズに手は付けず、アテも無しにアルコールを腹に沈める。

 そして

「げえっぷ」

と、酒臭い息をこちらへ吐いた。

「……無理、無理案件、」

「どうしたんですか?」

「いえ、あはは…」

 親しくなれば眼前でのゲップも許せるのか、でもそれは余程の馴れ合った仲でなければ難しいだろう。

 気さくなうちの父でさえ、母や家族の前では口元を押さえて「ゴメンネ」と断ってから控えめに音を消して吐いていた。

 下品、失礼、低俗…私の中でソノダさんの地位はマイナスにまで落ち込んでいる。

 もうすぐに帰っても責められないだろうが、少しだけ温情をかけてやることにした。

 と言うのも、私は今年で36歳のアラフォーで、正直焦っているのだ。正社員で働いているし共働き上等、相手の年収にもこだわりが無いのだがいかんせんマッチングしない。入会金自体は端金だったし、カップル成立で支払う退会金も惜しまないくらいには気前の良い女だと自称しているのだが…需要が少ない。

 年齢の壁が大きいのかな、だとすれば尚更に急がねばならない。やはり家庭を持ったからには子供が欲しい人がほとんどだと思うし、わざわざ結婚相談所に入会するのだから当然だと思う。

 だから第一印象で切り捨てるには惜しい、ただでさえ少ない機会を短期でお釈迦にしては勿体ない。

「あー、美味しい。お代わり注いで貰いましょう」

「そうですねー…」

 こんな品性の無いソノダさんでも、家庭を持てば飾らずきっぷの良い良き伴侶になるかもしれない。

 身の上話などをしつつ、料理を頂くことにした。


 アミューズは、少量の料理が見栄え良く盛り付けられたお洒落な一皿だった。

「いただきます…キレイですね」

「さぁて……はむっ」

ソノダさんは美しく巻かれたサーモンを上手にフォークでひと刺し、大きな口でパクつく。

 そして、恐れていた事態が起こってしまった。

「クッチャ……クッチャ…美味いけど…少ないですね…アテだから仕方ないか…クッチャ…」

「(ヒィっ)」

 下品な上にクチャラーだ、これは生理的に無理というか家族でも嫌悪が湧くやつだ。

 鶏のテリーヌも、ベビーリーフとチーズのサラダも、粘性の高い口の中に数秒で吸い込まれて行った。

「クッチャ………食べないんですか?」

ソノダさんは食べ切って、顔を上げる。

 口の周りには、レストランオリジナルのドレッシングがはみ出して輝いている。

「え、あ、いえ…」

 食欲は失せてしまっているが、さすがに失礼で言えない。

 せめて耳栓か何かあれば料理を楽しんで帰るのだが…もう私は、残りの料理をどうやって胃に収めるかに悩んでしまっていた。

 穏便に済ませて、解散したらすぐに相談所に継続不可の連絡をしよう、そう考えていたその時。

 目を逸らす私に感じるものがあったのか、ソノダさんは

「食べないんなら貰いますね」

と私の皿のテリーヌに勝手にフォークを突き立てた。

「えっ」

 ひょいパク、ひょいパク、そして合間にクッチャクッチャ。

 鈍く光るフォークの動きを目で追って、しかし音を発する口は視界に入れられず。

 あわあわと戸惑っているうちに、私の前菜の皿はあっという間に空になった。

「ふー…まだまだ足りませんね。次が楽しみです」

「…ははは…」

 同意もしてないのに人の皿に手を出すとは何事か。

 私は同性の友人とも料理のシェアはしないタイプで、食事会ではいつもそれぞれに食べたい物を頼んで楽しんでいる。どれにしようかメニューを睨んで固まった時などは気を利かせておかずを交換したりもするが、もちろん平等に分けている。一方が多く食べるなんてことは絶対にしないし、大勢で分ける前提の居酒屋などでも満遍なく行き渡るよう気を回している。

「(友達とは割り勘だから分けて当たり前……あ、もしかして奢ってくれるのかな)」

 そうか、もしソノダさんが食事代を出してくれるのなら多めに食べてもギリ許せる。それならサービス料くらいに思って寄付しても良いかな、本当は迷惑料を貰いたいくらいなのだけど。


 ふた品目、オードブルはキノコのマリネだった。肉厚なエリンギにマスタードソースが絡んで絶品だった…のだが、やはりソノダさんを前にするとフォークを持つ手が止まってしまう。

「それで…クッチャ…週末には写真を撮りに出掛けたり…クッチャ…」

「そうなんですか…良い趣味ですね…」

「ぷはっ……並木さん、食べないんですか?」

「あ、」

ヤバい、デジャヴだ。

 まだひと口しか味わってない前菜、にこやかに顔を繕っていると初動が遅れてしまった。

「貰いますね」

「あっ」

 無慈悲に刺されたエリンギたちが宙を舞う。クッチャクッチャの深淵へと消えて行く。

「美味い…クッチャ…クッチャ…それで、ダムの畔に車を停めて…休んだりね…クッチャクッチャ…」

「はぁ…」

 他人の唾液が触れた料理はもう食べられない。私とて生娘ではないし潔癖でもないけれど、好きな人と交わすディープキスとこれとは訳が違う。私の皿にあのフォークの先端が触れた時点で、もうこの皿全体にソノダ菌が回っているように感じてしまう。

「(穏便に…穏便に…)」

ナフキンを投げ付けて帰っても良い、しかし世間体や見栄が邪魔をする。

 お断りするにしても、結婚相談所に私の評価が低く報告されることだけは避けたかった。なんせ今後の活動に影響が出るのだから。

 悔しいが保身に走る、それが出来るくらいに私は歳を重ねている。


 その後ソノダさんは…スープは言わずもがな「ズズズ…」と直飲みをした。

 魚料理はぐちゃぐちゃに身をほぐして食い散らかした。

 口直しのソルベはひと口で丸飲みした。

 肉料理もペロリとひと口で食べて、私の皿を虎視眈々と狙っていた。

 パンのおかわりは5個以上を記録、皿に残ったソースをそれで綺麗に掬い取っていた。


 ちなみにだが、パンにソースを吸わせるのは別段行儀悪いことではないらしい。ソースも料理のうちだし、プライベートの席なら問題無いみたいだ。

 しかしパンをちぎりもせず丸ごと擦りつけては齧り擦りつけては齧り…そしてあろうことか私の皿にまでパンを差し入れたのは驚いた。ソノダさんは私の魚料理が残っているにも関わらず、端のソースに歯形の付いたパンをちょんと擦りつけたのだ。

 肉の時も同様で、食べる気を失くした私の料理はソノダさんに貰われて行った。

 私がまともに完食できたのはスープとソルベとコーヒーだけだ。


 食事が進む中で、私たちは一応会話も交わした。休日の過ごし方だったり望む家族像だったり、ソノダさんは難の無い人柄をしていた。むしろ優良物件というか、収入面でも性格でも二重丸が付くくらい多くの人に合っていると思えた。

 しかしてそれらを帳消しにするこの食事のクセ、ただの大飯食らいでは片付けられない。

「(相談所も、報告受けてないのかな…)」

 私とが初めてのお見合いなのだろうか、入会歴は聞いてないので計り知れない。ならば私が経験者として報告して差し上げよう…お断りした後処理のことをまた考えつつコーヒーを啜った。


 コーヒーも空になり、そろそろ退店しようかという雰囲気になる。

「ご馳走様でした…ゲエップ…また来ましょうね」

「…美味しかったですねー」

 もうサヨナラ、あとちょっとでサヨナラだ。呼気から逃げるようにナフキンで口を覆った。

「ふー…よし、お会計行きましょうか」

ソノダさんは小さなバインダーを開いて、私に見えるように回す。

「はい…?」

「コースが1人1万3000円なのでお願いしますね」

 あ、私がまともに払うんだ。ちょっぴりしか食べてないのに。

 まぁそうよね、対等なお見合いだものね、奢ってもらって恩を着せられるのも腹立たしいもんね…理屈は理解しているのだが腑に落ちない。少量しか食べられず、しかも精神的苦痛を味合わせられて同額払わなければいけないのか。

 手切れ金にしては高いのではないか、だって簡単に縁を切れるのだから。

 店を出たらちょいと苦言だけでも呈しておこうかな、財布を開きつつため息をついた。

「ふー…」

「どうかしましたか?あ、現金の持ち合わせが無いのでしたら立て替えておきますよ」

「いえ、あります…はい、どうぞ」

「はい、いやぁ、会計時に財布も出さない女性がいるとか聞きますけど、並木さんもその種の方かと思ってしまいましたよ」

「あっはっは…さ、出ましょう」

 ソノダさんは私から受け取ったお札を自身の財布へと納め、会計口へと向かった。


「(あと少し…あと少し…)」

「お預かりします」

スマートなウエイターさんが、ソノダさんから伝票を受け取りレジに入力を始める。

 ここは明朗会計というか、ランチタイムはサービス料やチャージ料は取らないらしい。なので税込みのコース料理代2人分で全部だった。

「2万6000円でございます」

「はい…あ、並木さん」

合計金額が告げられるとソノダさんは私へと振り返り、制止するように手を立てる。

「はい?」

 そしてそして、信じられないことをドヤ顔で言い放った。

「ここは僕が」

 財布を出す仕草すらしてなかった私は、ポカンと間抜け面を彼らに晒す。

「……はい?」

「僕が奢りますよ。これでお願いします」

ソノダさんはさも自分が全額払うかのように、お札をまとめてウエイターさんへ手渡した。

 これって私が凄く厚かましい女に見えてるんじゃないの、見合い相手のソノダさんよりも何故かウエイターさんからの評価を気にしてしまう。


 レジをカタカタ打つ音と引き出しが勢い良く開く音、ソノダさんの背中を眺めつつ頭の中で本音が飛び交った。

 いやいや、私の分は席で払ってるし…器の大きさをアピールするなし。しかも私はほとんど奪われて食べられなかったのに全額支払いとかあり得ないんですけど。真向かいでクッチャクッチャやられてツバ付いたフォークで肉盗られて、歯型付いたパン突っ込まれて。食欲失せたしマジで対価に見合わない食事だったわ。もったいねー、これだったらひとり焼肉でお腹いっぱいになってお釣り来るし。食事がメインの会じゃないことは分かってるよ、でも他に良いところがあっても掻き消すクチャラー食い尽くし見栄っ張り男はマジ無理。開始数分で分かってたのに我慢した私、超偉いじゃん。

「……」

「あ、あの、並木さん、」

 一瞬場がしんとなって、意識がレストランへと戻って来る。眼前には蒼白になったソノダさんと、笑いを堪えるウエイターさんの姿があった。

「……はい、あ、え⁉︎今、私、口から出てました⁉︎」

 なんてこった、思ったことが唇から漏れ出ていたなんて。

 ソノダさんはバツが悪そうに、領収書を受け取って財布へ収める。

「あ、えーと、ご馳走様でしたぁ」

 ウエイターさんにペコリと頭を下げれば、

「ありがとうございました」

と口直しばりのイケメンスマイルをお土産にくれた。


「……」

「……」

 店を出たらお互い無言で、もう結果は明らかだろうから「それじゃ」と駅へつま先を向ける。

 今日はこの駅集合だったからソノダさんも電車かもしれないが、一緒の時間は取る必要も無い。

「並木さん!」

振り絞った声に振り返ると、ソノダさんは難しい顔をして私を睨んでいた。

 やはりきちんとケジメは付けなきゃいけないか、戻って向き合った。

「はい」

「あの、さっきのは…どういうことですか」

「店で言ったことでしょうか?本音です、心の声のつもりだったのにはみ出してしまってました」

「僕は、そんなに…みっともないですか」

「まぁ、私の主観ですが、言った通りです」

 自覚が無いのだな、それはソノダさんの行動からして察せられる。そして悪気がある訳でもなさそう、それ故に心苦しいが不快感は堪えられない。

 ソノダさんは思い切ったように、口を開いた。

「…食い意地が張っていて…すみません。言い訳になりますが、子供の頃から食べ物を我慢することがありませんでした。望めば親が分けてくれましたし、裕福な家庭でしたのでお代わりはふんだんに用意されてたんです」

「ほう」

 ソノダさんの自己分析は続く。

「咀嚼音に関しても…恥ずかしながら、意識したことも指摘されたこともありませんでした。親しい友人にさえも…言われたことがありません」

「お優しい方ばかりだったんですかね」

「…在宅仕事がメインですので社会人になってからもご覧の通りで…見苦しい真似をしてしまいすみませんでした」

「いえいえ」

 物事には理由があるもので、聡明なソノダさんはこの短時間で己の人生を振り返り原因たるものを導き出した。

 しかしそれが分かってもなぁというところ、悲しいかな生理的な嫌悪感は簡単に拭えない。例えばソノダさんが改心して正しいテーブルマナーを身に付けたとしても、キスをしたりその先の行為が想像つかない。

「あと、その…割り勘を奢りに見せたのは、単純に見栄です。お恥ずかしい限りです。並木さんとはこの先の進展があるものと思い…気が大きくなっていました」

「あはは…誤解させてすみませんです」

「…女性経験も無いものですから、距離感も掴めず勘違いしてしまい…申し訳ないです。改めて、今回の件は無かったことにして下さい、不愉快な思いをさせてしまいすみませんでした」


 しおしおと肩を丸めて謝るソノダさん、悪い人ではないのだ。

 ここまで下手に来られると、私の方が言い過ぎな悪い女みたいだ。

「偉そうに言える立場ではないんですけど、お見合いを重ねて、ご自分に合う方と出逢って下さいね」

「…並木さんも、ご健闘をお祈りします」

「あは、ありがとうございます……それじゃ、」


 人通りの多い駅前から、ホームへと駆け込む。

 悪漢をスッパリやり込めたなら達成感もあろうに、そうでもない。純朴で、優しい人に囲まれた世間知らずさんだった。

 ある程度の社会経験は学生のうちに積んでおかねば恥をかくのね、間違いを指摘される大人というのは見ていて居た堪れなかった…指摘したのは私なのだが。



 さて地元駅へと戻り、ホームで結婚相談所へ電話し結果をお伝えした。

 進行かお断りかは明言せねばならないので、はっきり「今後のデートはお断りします」と告げる。

 そしてそれなりの理由も添えねばならないから、事実と主観をありのまま教えた。

 相談員さんは驚きつつも同情してくれて、「貴重なご意見をありがとうございます」とお礼までくれた。

 今後、相談所側のソノダさん資料には『食事面難あり』とか書かれるのかもしれない。治す意思はありそうだと伝えたし、相談所からも指導があるのかもしれない。


 条件も人柄も悪くなかったし、そもそもが合いそうだからマッチングしたのだし…勿体ないと思うのも事実。

 ソノダさんは食事のクセを矯正すれば、年収も良かったしルックスも普通だったしすぐに結婚が決まりそうだ。


「(人の心配してる場合じゃないな)」

 本音を吐露した際には随分と口汚い言葉を使ってしまったし、あれは充分に私のマイナスポイントになり得る。どうかソノダさんが相談所にその点を報告してませんように、なんて冷や汗に身を震わす。


「(さーて、)」

 帰り道に美味しいたこ焼き屋があるので、そこに寄って追加の昼食を摂ることにする。

 スマートフォンをポケットに収めて、駅舎を後にした。


 飛んで行った食前酒のアルコールが戻って来たみたいに、足取りが軽い。

「こんにちはー!ネギたこ、ひとつ下さーい!」

私は軽快に叫んで、ソースの香りに目を閉じた。




おわり

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