7・なんでも話せる、それは彼女じゃなきゃダメ?

なんでも話せる、それは彼女じゃなきゃダメ?

 夕食後、彼はスマートフォンの通知を確認してチャットの返事を打つ。これは最近の日課で、むしろ毎食後と言わず1日中そうなのだ。

 私は同席している訳だから、連絡相手は当然私ではない。

 彼は私の家で私と休日を共にしているにも関わらず、絶えずスマートフォンを気にしてはポチポチ人差し指を動かす。私が何か話しかけても生返事だ。


 もうこれが常態化して半月ほどになるだろうか。

 連絡の相手は仕事関係者ではない。実家の親でもなく、幼馴染みでもない。正確には元・仕事関係者の、普通なら縁遠くなっていく人だ。

 まぁ仕事上の出逢いでも無二の友人になる場合もあるが、それは現時点では判断しかねる。

 だってその相手というのは異性、つまりは女性なのだ。


 『相談女』、というワードは広く知れ渡っているのだろうか。悩みを相談する体でターゲットに近付いて、依存したりターゲットの人間関係を壊していく恐ろしいものだ。出回っているエピソードの多くは女性なので、『相談女』というネーミングで周知されている。

 人は頼られると嬉しいもので、「貴方にしか相談できなくて」なんて潤んだ瞳で言われてしまうと「任せろ!」と張り切ってしまう。

 ターゲットの彼女だったり妻だったりは相談女にいそいそと連絡を返す姿に不安感を抱き、喧嘩して険悪になったりする。

 そして「あの子には俺がいなきゃダメなんだ!」みたいな使命感が生まれ…守る対象を他に移されたパートナーはターゲットの元から去ってしまう。

 そこから先はどうなるか、相談女がターゲットに惚れていれば進展するかもしれないし、面倒ごとは御免だと引いて行くパターンもあるそうだ。

 ターゲットの家庭がゴチャつくのを楽しんでいる愉快犯タイプや、本気で略奪を図ってその手段として相談という手を用いる場合もあるようだ。

 コミュニティクラッシャーなどと呼ばれることもあるみたいで、中でも弱みを晒して懐に入り込もうとする者が相談女とされている。


 さて、私の彼氏が現在進行形で引っ掛かっているのも相談女である。引っ掛けるとは聞こえが悪いだろうが、意図的であろうとなかろうとこちらからすれば向こうが悪だから許して欲しい。

 彼女は元同僚の派遣会社員で、歳は彼より5つ下だそうだ。ゆるふわの可愛い系、同僚時代から関わりはあったらしいが連絡が頻繁になったのは数ヶ月前からだ。

 彼女は先月彼の職場を離れており、そこから彼へ猛烈な相談メッセージが送られて来るようになった。


 連絡が密になった時点で私も怪しく感じたので彼に尋ねてみたのだが、「相談されているんだ」と返されて不満を飲み込むしかなかった。だって弱者に寄り添い助けるのは善行で、怪しがって排斥するのは悪行だ。

 それでも食い下がってメッセージの中身を見せてもらったのだが、内容はそこまで深刻なものではなかった。

『新しい職場に馴染めなくて』

『お財布を新調するんですけど、黒と赤どっちが良いと思います?』

『スマホゲーム始めたんですけど、つい夜更かししちゃって朝寝坊しちゃうんです。ダメダメな私☆てへぺろ』

 相談というか、これはもう雑談の域だ。確かに最初の頃は仕事に関する深刻な話もあったようだが、最近では悩みですらない。会話のラリーを楽しんでいるだけ、それって恋人同士のそれと変わらない。

 むしろ、本来の恋人である私と会話が減っているのだから役目を盗られたくらいの気持ちだ。


「ねぇ、あんまり深入りしない方が良いんじゃないの?」

 私がついそう注意しても、

「は?お前は冷たい奴だな。後輩が悩んでんだから先輩としてケアしてやんなきゃいけないだろ」

と何故か私が貶される。

 私の目下の悩みは「恋人が他の女に執心してる」なのだが、これは相談したら有用なアドバイスをくれるのだろうか。

「…他の女の子と仲良くしてるの、こっちは気分悪いんだけど」

 さぁどう返すか、ドキドキしていると彼はスマートフォンから目線だけ外す。

 そして

「悩み相談だって。恋愛の話なんかしてないんだから、お前は気にしなくて良いよ」

とまたチャット画面に向き直った。


 人は必ずしも恋愛の話をして恋に発展する訳じゃないと思う。他愛も無い話を繰り返して、感性を知って、そこに恋心が芽生えるものだと私は思う。

 私から見て下らないことでも、それについて会話を重ねることで思想とか情緒とか価値観が測れる。

 だから内容はともかく、会話のコミニュケーションをして欲しくないのだが…伝わらない。


「私が嫌がることをし続けるのは冷たいんじゃない?」

「…嫉妬すんなよ。彼女としてどんと構えとけって」

「私に申し訳ないとか思わない?」

「だーかーらー、相談にのってるだけだって」


 人が嫌がることはしちゃいけないって、小さい子供でも学んでるっていうのに。

 これは話し合う余地も無いかな、いい加減に堪忍袋の緒が切れた。

「じゃあ、私の相談にものってよ」

「…対抗してんの?良いよ、聞いてやるから話せよ」


 うわ、上から目線。頼もしくて好きだったけど、冷めるとこんなに傍若無人に感じるんだ。

「恋人が、他の女の子と長々とチャットしてる。恋人が嫌がっても止めてくれない。どうしたら良い?」

私は堂々と、しかしゆるふわ相談女を意識して多少の可憐さを醸し尋ねた。

 もう何度言ったっけ、その度にかわされて来たけどご意見番として答えてもらおうか。

「……はぁ~」

彼は面倒くさそうに、けれど唇はニヤニヤと歪ませてため息を吐いた。

 そしてやっとスマートフォンを手から離す。

「んだよ。素直じゃん…シャワー浴びて来いよ」


 あれ、伝わってない。

「答えてよ。抱いて欲しいなんて言ってない」

「はぁ?寂しいんだろ、構ってやるよ」

「違う、私が嫌がることをするからどうしようかって聞いてるの」

 こいつってば、勘違いしてる。私はもう、ただの嫉妬で動かされてる訳じゃないの。構われて抱かれて「私が一番ね☆」なんて安心したい訳じゃない。


 誘いを断られた彼の表情は一瞬曇って、しかしいやらしく笑ってこちらに迫って来る。

 まだ愛せてるうちはその顔がセクシーだって感じてた、でもいやらしくて卑しくて、もうまともに見れない。一気に上限まで噴き上がる嫌悪感に、背筋が震う。合意できない、抱かれたくない。

「何言ってんだよ、可愛がってやるから拗ねんなって」

「やだ…そういうことしたい訳じゃない、もう、もうやだっ…」

 力では敵わなくても、唇を守ることが最優先だった。両腕を盾に顔をガードして、最早生理的に無理な彼の口付けを拒む。

 愛の証明みたいな安いキスは今は要らないし、気色悪いし虫唾が走るし忌々しい。


 拒絶された彼は悔し紛れに舌打ちをして、

「んだよ…浮気とかしてねぇのに」

と髪をくしゃくしゃ掻いてスマートフォンに手を伸ばす。

 そこに逃げるんだ、そうして私の態度が軟化するのを待つんだ。

 しかし私が「帰って」と言えば全てがすとんと終わりそうな雰囲気さえ漂う。

 この倦怠した空気を晴らすのは自分たちでなければならないのに、彼はスマートフォンの向こうの相談女に逃げた。

 終わりだ、終わり…ウジウジしているのが馬鹿らしい。


「私の前で、前じゃなくても、他の女と連絡取り合うのが嫌だった。嫌がる事を止めてくれないから別れるね。出て行って」

「…本気か?」

「本気だよ。好きな気持ちが減って、ついに無くなっちゃった。出て行って」

 こんなんでも良い所あったんですよ、昔の自分が思い出の中から私に語りかける。

 分かってる、好き合って付き合ったんだもの。でもその気持ちが尽きた、それだけのことだ。


 彼は何か言いたげだが口を噤んで、そそくさと荷物をまとめ出す。

「……心の狭い女」

「何でも良いよ。次はそれを許してくれる心の広い子と付き合いなよ」

「…本当に良いんだな?」

「良いよ。出て行って、私物は後で宅配便で送ってあげるから」


 未練なんて無い。清々している。

 むしろここまで私が嫌がる事をしておいて、どうして彼の方に選択権があると思うのか。蹴り出さないだけ有り難く思って欲しいくらいだ。


「…マジで…浮気とかはしてねぇから」

彼はスニーカーを履いて、少し振り向いてそう呟いた。

「うん、何でも良いよ」

「信じろよ」

「どうでも良いんだって」

「…簡単に突き放すんだな、俺のことそこまで好きじゃなかったんだろ」


 宇宙人と交信している気分だ。言動不一致とはこのことか。

「…はぁ?好きだから、他の人と話してるのが嫌だって言ってるじゃん。それを言っても止めてくれなかったよね、って。そっちこそ、私のことそこまで好きじゃなかったんでしょ」

「んなこと、ねぇよ…でも人に頼られたら嬉しいじゃんか、そういうの好きだし、」

弱々しい声で、彼の広い背中が揺れる。

 泣いているのか、いまさら。

「え、もしかして好きな子を虐めるみたいなことをしてたの?」

「……だって、ヤキモチ、妬いてくれたら…嬉しいから…」


 「キミ、何歳でちゅか?」と尋ねて煽ってやりたかったが、逆上されても怖いのでやめた。

 サクッと論破みたいなことをしても良いけれど、痴情のもつれで傷を負うのは勘弁である。

 もうこの人との間に信頼は無いのだ。ニュースにして欲しくないし、殺されて愛の深さを示されても浮かばれない。

 人の悩みに寄り添える優しい人だった。それが可愛い子に頼られて良い気になった。

 面白くない顔をする私に優越感を覚え、縋られるよう上に立とうとした。慣れへのちょっとしたスパイスのつもりだったのかもしれないが、私にはそんなものは不要だった。


「さようなら」

 ふらふらと歩く彼の背中を3秒ほど見送って、素早く扉を閉める。

 それから家にある中で一番大きな段ボール箱を組み立てて彼の物を収めることにした。


「…あんなに弱々しい姿、初めて」

 最初で最後の弱気な彼は、これまでの不遜な態度からすれば衝撃的だった。

 『恋は盲目』と言うし、元々がそうでもないのにキラキラ輝いて見えていたのか。

 彼を慕うことで私もまた、彼に優越感を与えていたのかもしれない。


 頼りにされると誇らしいし自信に繋がるよね、それは分かる。でも深く立ち入らない線引きとか、私に悟られない配慮は必要だったはずだ。

 虚しい、スカッともしないし報われない恋だった。あの相談女に痛手は無いんだろうし、新たな依代を見つけるのだろうし。

 はぁーと大きくため息をついて、箱に封をした。



 モヤモヤとしつつも心の平穏を取り戻していたある日のこと。

 仕事が終わってアパートへ帰ると、玄関横に彼がうずくまっていた。

「……!」

彼は私を確認すると暗い表情が一気に晴れやかになって、しかしその目はどんより曇っている。共用廊下の蛍光灯では不鮮明だが、それでも彼が不健康そうなことはやつれ具合から見て明らかだった。頬に大きく窪みができて影が掛かっている。

「…何か用?荷物は届いてるはずだけど」

「あの、ごめん、もう一度やり直せないかな」

「はぁ?」

鍵穴に鍵を差し込んでは、素直な感想が出た。


 彼が言うには、私と別れてから相談女に「彼女と別れちゃった、寂しいよ」と相談を持ちかけたそうなのだが、「大変ですねぇ」と返事が来たっきり音信不通になったらしい。

 彼としては相談女とどうにかなろうと考えていなかったそうだが、こちらが不安定な状況なのに他人事で済まされたのがショックだったみたいだ。他人なんだから他人事で当然だと思うのだが、彼としては互いの悩みを対等に相談し合えると期待していたらしい。

 解決せずともせめて話を聞いてもらってスッキリしようと思っていたのに当てが外れて、しかも逃げられて衝撃だったのだと。


 彼はきっと聞き上手というか共感性能力が高くて、人の話を聴く力に長けていたのだろう。私も交際中は色んなことを話したし、逆に彼の話もしっかりと聴いて意見を言い合ったりしていた。

 お喋り好きだしコミュニケーション好き、積極的に人と関わりに行きたい部類の人だった。ただこちらも気分の起伏があるので話したくない日もあったりして、鬱陶しく感じたこともあった。それを露わにしてしまった頃、相談女とのお喋りの方に魅力を感じて引き込まれて行ったみたいだ。


「へぇ~…そっか、じゃあ元同僚さんは貴方と付き合いたい訳じゃなかったんだね」

「そうなんだよ、相談するだけして、こっちの話は聞いてくれなくて」

「聞いてもらえないって辛いよね。気持ちは分かる」

「だろ⁉︎だからさ、」

「もう話すこと無いからさ、帰ってね」

私はそう言うと、素早く解錠して部屋に入った。

「お、おい!待ってくれ!」

「けーさつ呼ぶよー」

「おい、おい…」


 動機とキッカケが分かったところで「別に」という感じである。

 面倒見が良くて人懐っこくて、「やれやれ」と思いつつも上手く操縦していけば続いたのかもしれない。

 この辺りは自分勝手なところかな、

「貴方と話したくないの」

と投げて玄関扉から離れた。


 一緒に居ても楽しいけど、ひとりの時間も欲しかった。それを話し合えれば良かったのだが、価値観の擦り合わせが難しかった。

「(放っておかれた時は確かに孤独感はあったけども)」

 親世代から見てもきっと有望株、でも一度ケチがついたのだから無理っぽい。


 彼はいつ帰ったのか分からない、寝る前に小窓を覗いたら居なくなっていた。

 ベタベタする間柄ではなかったけど、彼は常に人と繋がっていたいから私を傍に置いて相談女と話していたのだろうか。

 その割に同棲は提案されなかったし、都合の良い時に一緒に居たかっただけなのかも。


 その後数日は追い討ちが恐かったが、彼は私の前に現れなかった。



 そして年月は流れて。

 一度だけ呑み屋で宴会している元彼を見かけたことがあったが、大勢の人に囲まれて楽しそうだった。別れの直接の原因は相談女で、本当にあれさえ無ければ私もあの輪の中に入っていたのかもしれない。


「(ま、良いけども)」

喫茶店で隣の男の子が必死にスマートフォンをつついているのを見ては、昔の彼のことを思い出してしまった。

 あの頃は私も、放っておかれて恨めしそうに彼を睨んでいたっけ。


 私は今、新しい恋人ができてその彼と結婚話が進んでいる。

 連絡はマメだけど、『これから映画観るんでメッセ送らないでね』とか『マジ眠い時は家に居ても返信より睡眠優先するから』などときっぱり言ってくれるナイスガイだ。

 今の彼にも「む?」と思う点はあるし、私も同様に思われている部分はあるだろう。

 でもしっかり腹を割って話せるから、第三者に意見を求めたり情報を垂れ流したりなんかしない。


 相性とタイミングって大切だなぁ、席に駆け寄る彼は本日も爽やかだ。

「ごめん、新しい後輩がダラダラ相談電話してくるもんだからガチャ切りして来たわ!マジ要点不明だし喋りたいだけなんだろーね」

「あはは、大丈夫?」

「うん、ただ聞いて欲しいんならSNSでもすれば良いのにね」

「他に目的があるんじゃないのかな」

「恋愛的な?俺、そういう回りくどいことする人は無理だね…よし、式場巡り行こっか」

「うん!」


 相談したい気持ちも分かるし、それをキッカケに何かが変わるのを期待する気持ちも分かる。

 でも頼る相手は私の彼じゃなきゃいけない理由なんて無いはず。

 本気の悩みなら然るべき役割の人に言ってよね…私は彼の腕をギュッと握って堂々と前を向くのだった。




おわり

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