3・私は三次元に生きているので

私は三次元に生きているので

「見なよ、この子とか。カワイーよな、ポムとは大違い」

「うん…」

「声は補正かけてんのかな、それでも可愛いけりゃ良いか」

「うん…」

 彼はスマートフォンの中のバーチャルなアイドルに夢中で、三次元に生きる私と比較した。


 コンピュータグラフィック技術はここ数年で発達して、二次元な彼女たちはより実感が増している。大規模な会場でホログラムライブも行われて、さも本当にステージに立っているかのように観客は熱狂する。

 もう実物か虚像かなんて論争は野暮、ファンは推しの実態が何だろうが関係なく没頭できる時代なのだ。


 さて、一方三次元の私にとっては画面の中の彼女は『絵』にしか見えない。演じる『中の人』がいるとかモーションキャプチャだとか変声機を使っているとかどうでも良い。セリフは本人のアドリブだとか実物も可愛いとかどうでも良い。

 虚像に萌える人がいるのだから、虚像への萌えを理解できない人がいても許されるだろう。

「(絵だよ…?目とか人間がそんな大きくなる訳ないじゃん…)」

「ポム、ほら、こことか良いよな」

「うん…そだね」

 私の彼氏はそのヴァーチャルアイドルにご執心で、私と比べては彼女たちを褒めちぎる。

 ちなみに、『ポム』というのは彼が呼ぶ私のニックネームである。

 私はハマっていることは否定しないし、頭から冷や水を浴びせるようなことは言わない。何かに夢中になれることは崇高で尊いことだと知っているし、私だって趣味はあるし。

 私が嫌なのは、立場の異なる者を闘わせようとする彼の姿勢なのである。


 我々は高校生から数年の付き合いになるが、彼は元々はどちらかといえば現実のアイドルを推す傾向にあった。ライブに行ってグッズを買ったり、CDを集めたりと一般的な活動をしていたように思う。

 しかし推しのプライベート写真が流出して熱愛が発覚して以降、彼は推し変した。

 まぁ二次元なら熱愛は無いもんね、絵を推す感覚は分からないものの私は生温かく見守っていた。

 そして彼は段々と沼にハマっていき、課金して今ではヘビーなオタクになっている。学生の身で贅沢だなぁと思うが、彼は実家からの仕送りで潤っているそうなので構わないのだろう。

 ちなみに私はひと足先に社会に出ているので、金銭的な余裕はあるが推しに貢ぐより生活重視である。


 まぁ自分のお金だし好きにすれば良い、そう思っているが私にも一緒に視聴するよう勧めてくるのがウザったい。

 デートをしても会話の内容は推しアイドルのことばかり、もう相槌のレパートリーはとうに尽きている。

 嫌いではない、関心が無いということを彼は理解してくれない。「俺が好きなんだから彼女も好きになるべき」という強要が気に食わない。

 訪問する度に増えていく壁のポスター、雑な縫製のぬいぐるみ。

 私はコレクターではないので、同じ物を複数集める意味もよく分からない。

「(アイドルのことばっかり)」

 話すことはオタ活のことばかり、彼は私の話はほぼ生返事で聞いてはくれない。


 私が好きだった彼はもうここに居ないんだな、そんな思いがじわじわと膨らんできていた。

 そして度重なるヴァーチャルアイドルと私との比較、いよいよ溜まり溜まった不満が溢れそうになっている。


「これ新しいヤツ、なんかコレジャナイんだよな。このグループはそういう方針じゃないだろっていう。このファンもさ、金積めば良いと思ってんだよ、そういう時期もあったけどさ、ほら、デビュー時から見てる俺としてはさ」

 鼻息荒く新人アイドルを貶すその姿、新規ファンに古参マウントを取るその姿。

「ふーん」

 冷めた瞬間、ではなくてとうに冷めていた。

 多少粗があっても許せるほどに優しいところがあるから好きだった。

 でもそれが見える場面がどんどん減って、ついには個人の人格が見えないほどに悪い部分や他の事柄が蔓延っていった。

 嫌いではなくて、関心が無くなった。

 いや、嫌いなのかも。


「なんだよ、その返事」

おや私の声も耳に入っていたのか、彼は不服そうに舌打ちした。

 でも残念、私はもう彼に愛想を振り撒く必要が無いのだ。

「興味が湧かないんだよ、ヴァーチャルアイドルに」

「はぁ?きちんと見れば、良さが分かるって。ほら、これ、この…このライブ動画観てみろよ」

「観たよ。観たけど分かんないの…突然だけどさ、別れます。もう会わない」

「はあ⁉︎……なに、何でだよ」

分からないよね、真っ赤な顔をした彼は過去一番不細工に見えた。

「推し活とか、見てるのしんどいの」

「…オタク差別すんのかよ、これだから三次元の女は」

「勘違いしないで。私だってアニメも観るし技術とか文化に理解はあるつもりだよ。でも、それを押し付けてくる貴方の姿勢が嫌なの。私にとって二次元は二次元なの。趣味は強要されるものじゃない、好きな人が嗜むものでしょ」

「そんな、」

「最近は会ってもグッズ屋巡りと動画視聴ばっか。貴方は愚痴も増えて…二次元と私を比較して否定した。いい加減に疲れちゃった」

言いたいことはほぼ言えた、バッグを持って立ち上がる。

 彼はぐぬぬと唇を震わせていて、言い返さない辺り自覚があったのだろうか。


「じゃあね」

 追いかけては来ない、内心ドキドキしながら階段を降りる。なりふり構わず刺されたりしたらどうしようと思ったが、そこまで馬鹿ではなかったようだ。


「ふー…一方的過ぎたかな」

 話し合いや妥協点の探究はやれば出来たと思う。でも指摘したら反発するあの表情、ああなると知っていたから言えなかった。

 何をすればどうなるかを熟知するほどに慣れていたのに、擦り合わせすら出来なかったのが悲しい。



 自宅に帰ったら、彼からメッセージが届いた。


『ポムのこと、なんでも許してくれると勘違いしてた。一緒に趣味を楽しみたかった。ごめん。』


「…うん」

 返事は要らないよね、別れ話が受領されたものとしてトークルームを削除する。


 しかし。


『♪』


メッセージ着信音が鳴った。

「え」


『これからは一緒に推しを応援していきたい。オススメ送るから観て』


「は」

 何も分かってないじゃん、彼から次々と推しヴァーチャルアイドルの動画URLが添付され送られて来る。


『♪』


「やだ、削除」


『♪』


「爆撃やめれ」


『♪』


「どんだけ準備してんの…削除、違う、ブロックだ」

 私はうっかり、スマートフォンから彼とヴァーチャルアイドルの成分を消したくてトークルームを潰そうとしていたが、よくよく考えれば送信元をブロックすれば良かったのだ。

 でも最後っ屁くらいかましてやろうか、


『観ない。好みじゃない。映像と人間を比べないで。別れる。』


と素早く打って送り出した。


「よし、ブロック、ブローック!」

 そして彼をブロック、トークルームを削除できた。

「…終わった…のかな、まぁ直接会っても同じこと言えばいっか」

 彼の最後の記憶といえば鼻息荒く推しを布教する姿、そして可愛いヴァーチャルアイドルのアイコン。

 話し合って和解できる余地はあったかもしれないが、こんな簡単なことが噛み合わないのだから仕方ない。

 それに分からせてやる労力が勿体ない。それぞれに推しがあってそれぞれに尊くて、比べるものでも競うものでもない。

 それを伝えても伝わらなかったのだから、もう信仰の違いとか乗り越えられない壁みたいなどうにもできない問題だったのかも。

「…ちょっとスッキリ」

 失っても惜しいと感じない、これが全てなのだろう。

 やはり、私はもっと前から彼のことを嫌いになっていたのだ。

「あの子たちに罪は無いんだけどねぇ」

 もっと違う形でヴァーチャルアイドルさんには会いたかったかな、そうしたら見え方が変わっていたかもしれない。


 言いたいことは言わなきゃだし推し活も節度を守らなきゃね、私は気分転換でもしようかとDVDラックに手を伸ばすのだった。



 さてあれから数ヶ月。

 地元が同じものだから、彼の近況を実家の親伝いに知ってしまった。

 なんと彼は、仕送りのお金を推し活に費やし過ぎてしまい住んでいたアパートを追い出されてしまったらしい。

 初めはケータイ料金が払えなくなりガスが止まり電気が止まり、ついに家賃分にまで手を付けたそうだ。親御さんはカンカンで、実家に戻らせて大学には高速バスで通わせているそうだ。片道2時間の長旅だけど、独り暮らしよりも費用はかからないのだとか。


 見境なく貢いじゃったのかな、馬鹿な人。

 私の存在が無くなって、タガが外れてしまったのだろうか。そもそも、私は彼の浪費に口を挟んだことは無かったのだが。趣味なら仕方ないと思ったし、楽しそうにしている姿も好きだったからだ。

 でも彼としては私を推し活のストッパーに感じていたのかもしれない。「嫉妬させたらいけないから抑えとこう」みたいに変に気を回していたのかも。

 親には「へぇ~」とリアクションしておいた。


 そしてさらに数日後…私のアパートに段ボールの荷物が届いた。

 送り主は彼で、元払いだったし私物の返却かと思い受け取ってしまった。


「……うわ、推しじゃん」

 箱の中身は彼が推していたヴァーチャルアイドルのグッズで、見覚えのあるものがギュッと詰め込まれている。

「これを私にどうしろと?」

 はてと考えていると、箱のフタ部分にマジックでメッセージが書かれていることに気付く。


『うちにあると親に捨てられてしまう。ポムの家で可愛がってあげてほしい。一緒に応援できる日が待ち遠しいよ!』


「…全然分かってねぇ~‼︎」

 もうどうしようもないな、速攻でフタをして粘着テープで封をした。


「…さて」

 今後同じようなことがあれば受け取り拒否するとして、この荷物を捨てたり売ったりしたら罪に問われるのだろうか。

 他者を介入させるのも気が引けたし、彼の家…つまりは実家に送り返すことにした。


 箱の側面には分かるように


『趣味の押し付けは困ります。私はこの二次元アイドルを推してません。』


と書いて、コンビニで発送手続きをしてもらった。

 送料はもちろん着払い、受付をしてくれた店員さんはメッセージを見て目を丸くしていた。

 なお、送り伝票の品名欄にも『二次元嫁(雑貨)』と解釈が分かれそうなワードを記しておいた。


 オタク差別って言われちゃうかな、でも間違ったことは書いていないはず。

 もう言葉も通じなくなった元彼が哀れで、怒りはあまり感じない。

 一緒に楽しめる趣味があっても無くても、あの人とは長くなかった気もする。


「…引っ越しますかねぇ」

 通勤に困らない範囲で今と反対側の地区に越してみようかな。

 コンビニの出口に置いてあった住宅情報誌を一部取って、晴れた空を見上げた。




おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る