後日談・その色、俺は好き

「良い色だな」

俺は彼女の髪の毛先を摘んで、鼻先に持って行く。

 元彼のリクエストを叶えたらしいその色も、放っておけばひと月しないうちに褪せてしまうそうだ。なので今は自身でカラー剤を買って染め直して、色をキープしているみたいだ。

 

「ありがと…でももう色落ちしちゃって…サロンで入れ直そうかな」

「前と同じ色?」

「それも良いし、一旦ブリーチして違う色も…赤系とか?」


 赤か、鮮やかで馴染みがあって良い色だ。

 しかし彼女のイメージに合うだろうか。


「青は?」

 ベッドから起き上がった俺は自身で拵えたグラスを手に取って、

「似合うと思う」

と重ねる。


 俺は彼女の会社と契約している工房の職人で、この業界に入ってから10年になる。

 彼女はうちの製品のプロデュースや販売管理をしてくれており、少しずつ親交を深めて数ヶ月前に交際に至った。さっぱりした仕事ぶりだが不遜には感じなくて、にこやかで丁寧で性格の良さが滲み出る素敵な女性だと思った。

 月に数回しか会えないが以前から気にはなっていて、しかし口下手な性分だから仲良くなろうにもキッカケが無く。社会人らしく小綺麗に身嗜みを整えていて、作業着ばかり目にする自分には眩しくて接し方も分からなかった。

 それが突如、華やかなインナーカラーを入れて来たものだから…正直、「男の影響か」と古く安直な想像をしてしまった。

 でも知的で美しいと思ったから、初めて自分から話しかけて、そこから徐々に会話量が増えていった。


「青かぁ、今とそんなに変わらないかな。カラートリートメントっていうので自分で着色してるんだけどね、明るいブルーとグリーンを混ぜてエメラルドグリーンにしてるの。それのブルーだけ使ったら青は簡単にできるね」

「…こういう色、できる?」

俺はこの手の中のグラスの色、切子の深い青色をリクエストしてみた。

「ただの青かな、今使ってるカラー剤だと確かにこれより明るいね」

「瑠璃色な、俺、これ好きなんだ」

「そっか…似合うかな」


 元彼が提案して、別れのキッカケになった髪色の話。彼女の脳裏にはまだ奴が現れているのだろうか。

 髪色を変えたことで奴の本性が知れて良かったんじゃないの、

「似合う」

と食い気味に応えて彼女へグラスを差し出した。


「ありがとう」

 俺の手からグラスを貰い氷水をひと口、伏した彼女の目に掛かった前髪を火傷だらけの指で摘む。


 彼女は知らないが、実は奴は一度彼女に会いに来ている。

 彼女の会社が扱う商品のフェアみたいのを市の大きな体育館で開催した際に、うちも展示即売会という形で製品を並べさせてもらったのだ。

 売れ行きは上々で、彼女もブースを覗いては「隼人さん、さすが!」なんて褒めてくれていた。


 さて休憩に入り関係者口に向かうと、壁際でソワソワと扉を窺う怪しい男がいた。

 明らかに不審だったので「何かお探しですか」と柄にもなく世話を焼いてやると、ソイツは彼女の苗字を言い「居ますか」と尋ねやがった。

 もしかして元彼なのでは、俺はまだその時は絶賛片想い中だったので安直にそう思い立った。

 「ご家族の方ですか」と防犯を匂わせて聞けば、「恋人、みたいな」とヘラヘラ答えやがる。

 確信は無い、確信は無かったがコイツが彼女の元彼だと思い込み「昼休憩じゃないですかね、しばらく出て来ないと思いますよ」と知ってる風に牽制してやった。

 彼女と交わした少ない雑談の中で「髪を染めたら振られちゃったんですよ」と聞いていたから、仕返しのつもりだった。

 よくよく考えれば新しい彼氏の可能性もあった訳だが、その時は俺が変な奴というだけの話なので良かろう。


 ソイツは「そうですか」とまだ待ちそうだったので、「あのエメラルドグリーン、良い色ですよね。とても似合ってて」と追撃すると…元彼はブワッと赤面してきびすを返した。そしてパタパタと、出口から帰って行った。

 地域のイベント情報にもフェアのことは載っていたから、彼女も運営として参加すると当たりを付けて奴は突撃して来たのだろう。

 反応からしても、きっと元彼は彼女に復縁でも申し込みに来たのだと思う。そして自分が貶した髪を怪しい男に褒められて、己を恥じてか敗走したのだろう。

 真意は定かではないけれど、そう考えるのが自然だし胸がスッキリするのでその説を推しておこうと思っている。

 

「隼人さん?どしたの。ボーッとして」

「…いや、何でもない」

 風に揺れる黒髪から覗いた鮮やかなエメラルドグリーン、焦がれたそれを直接こうして手に取れる幸せと優越感。

 褪せも傷みも読み取れる近さ、心身の距離。

 元彼は馬鹿野郎だな、しかし手離してくれて感謝する。


「疲れちゃった?」

「…舐めんなよ…飲んだ?貸して」

「ん、ん?」

「もう1回」

 割れては困るとグラスはサイドテーブルへ逃す。


「うん」

 ばふんと倒れ込んだ2人の体重で、ベッドはきしむ。


「綺麗」


 俺の腕の中でエメラルドが輝いた。



おわり

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