わかりあえない、わかれたい

茜琉ぴーたん

1・私の見た目は私のもの(2話)

私の見た目は私のもの

 髪色を変えた。

 元々の濃い黒に馴染みつつも映える、エメラルドグリーンをインナーに入れた。

 一応客商売ではあるけれど、対業者さんというかエンドユーザーさまと直接関わる仕事ではないので問題ない。事務員にあるまじき色ではないし、かしこまる社風でもない。

 実際、職場では同僚にも「オシャレじゃん」と褒めてもらえた。上司だって「エレガントで良いね」と褒めてくれた。

 取引先の工房の無口な職人・隼人はやとさんも「良い色だな」なんて初めて声を掛けてくれた。

 染めて1週間、鏡を覗く度に新鮮で髪型も変えたり楽しんでいた。


 けれど彼氏の反応は悪かった。

 色が落ちる前に見せておこうと金曜の仕事終わりに部屋を訪ねたら、

「お前、何それ…マジ無いね。無理、直すまで顔見せないで」

と一蹴された。

 反論をする暇も無く、私は回れ右で家路に着いたのだった。


「…ぷはっ……うーん、腑に落ちない」

帰って缶ハイボールをひと口、自然と不満が漏れる。

 髪を染めることは前もって伝えていたはずだし、なんなら色は彼の希望だったはずだ。「もし、カラー入れるならどんな色が良いと思う?」私のその質問に、「エメラルドグリーンとかキレイだろうな」と答えたのは彼だ。

 あくまで参考だったのか、本当に染めると信じてなかったのか。


「…褒めて、欲しかったなぁ」

 私は長らく重たい黒髪だったが、それをキープしていることに別段理由など無かった。むしろ地毛を染める方に理由は要っても、変えないことに理由など無くて良いだろう。

 いや、理由無く「なんとなく」で髪を染めても良い。なんとなくのモヤモヤでバッサリ切っても良いし、巻いたり剃ったりしても良いはずだ。

 とにかく、私が地毛のままでいることに特別なこだわりなど無かったのだ。

 それがどうしてか、私は髪色を変えたくなった。

 スマートフォンを観ていた彼が派手な髪色のインフルエンサーを指して「こういう色、良いよな。明るくてさ」と言ったのだ。


「…察してかと思ったけど…違ったんだ」

 今なら私こそ察する、あれは「お前はこの人と違って暗いよな」と言っていたんだ。

 地味なのは認めよう。しかし世の中は派手か地味かの二極で割り切れることばかりではない。高校のスクールカーストだって、もっと段階があるだろう。

 私は華美ではないが、見た目にはそこそこ気を回しているつもりだ。地味ではあるが陰鬱な雰囲気を醸してはないと思うし、周囲に不快感を与えてもないと思う。

 それともこれは己の贔屓目で、他者評価は異なるのか。


「……そうだ、見てみよ」

私はSNSを開き、美容院のアカウントアイコンをタップした。

 最近流行りというかありがちな、施術前後の変化を載せるタイプの動画をこの美容院も投稿しているのだ。

 撮らせてくれればトリートメントをくれると言うので許可したのだが、最新の動画に私もバッチリ映っていた。


「恥ずかしー」

 ビフォーは見慣れたいつもの私、黒髪で真面目そうで申し分ない。

 アフターは少し垢抜けた感じ、撮影はスマートフォンだったが幾分か加工もしてくれているようだ。

 キラキラ効果も付いて、テロップも可愛らしいフォントにしてある。

 コメント欄を開いてみれば、『元々が可愛いけど、もっと可愛くなった』や『お姉さん、華やかになってる』なんて嬉しい言葉がある。

 中には『ビフォーの方が好み』と聞いてない趣向暴露をしている人もいた。


 ともかく、ここを見る限り私は良い方向に生まれ変われたのだ。元々の髪だって悪くはなかったけど、お世辞でも評価してもらえて自己肯定感が満ちていくのが心地良い。

 放っておけば髪色は次第に落ちていくけれど、他人の指示で元に戻そうなんて思わない。

 アルコールの力もあって、段々と気が大きくなっていく。


 彼が吐いた冷淡な言葉には、私が想像する以外の意味もあったのかもしれない。

 「そのままの君で居て欲しかった」とか「眩し過ぎてまともに見られない」とか、無いと分かっているが。

 ただ、あんなに冷たく門前払いしなくても良かったのに。

 勧めがあったにしても決断して行動したのは自分で、彼は私ごと髪を否定した。

 ガッカリだったしショックだったし、でもそれより大きくなっているのは「舐めんなよ」という気持ちだ。

 知的でリードしてくれるところが男らしくて惹かれていたけど、それって私を下に置くことで成り立っていたのかもしれない。交際期間が増すごとにそれは顕著になっていて、いつの間にか「お前」呼びされても違和感を抱かなくなっていた。

 もしかして洗脳されてたのかな、覚醒とも言うべき衝撃が心臓に走る。


「…別れよ」

突発的に、私はチャットアプリを開いて彼のアイコンをタップした。

 ブロックしちゃえば良いんだ、でもひと言挨拶すべきか。


『短い間だったけど今までありがとう。さよなら』


そう打って送信すれば、瞬間既読マークが付いた。


「…待ち構えてたんだ、おっかしい」

 私が『ごめん、直すから許して』なんて謝罪してくるのを期待していたのかもしれない。

 突き放したのは彼の方だから、縋ることは出来まい。

 もっとも、あのセリフが本心であり裏表無く別れの言葉だったのだとしたら今頃彼は慌ててもいないだろう。「顔を見せるな」と言い私を従わせたのだから、当たり前に受け入れて納得しているだろう。私が勝手に一泡吹かせてやったと思っているだけで、彼はしれっと画面を消しているかもしれない。


 どれもこれも私の妄想であり不確定だ。けれど、スマートフォン片手に「どうしよう、逃げられちゃった」とあたふたしていたら胸がすく。

 「冗談だよ」と打ち消すか、「言い過ぎた、ごめん」と謝るか。

 たぶんそれは無いかな、彼のプライドがそれを許さないと思う。


 その後数分待ってみたが、返事は来なかった。

 これは価値観の相違による離別、表向きは双方win-winで終わったのだ。

 できれば彼が苦虫を噛み潰してヤキモキしていたら良いが…想像は自由なので私はそう思い込むことにする。

 きっと、向こうは向こうで「俺の好みに沿わなかった彼女を振ってやった」と思い込んでいるんじゃないのかな。

 モラハラ気質の男に長く付き合わされなくて良かった、それを気持ちの落とし所とした。



 週明け、晴れやかな心持ちで出社する。

 土日も彼から連絡は無かったし、既読スルーが答えなのだろうからチャットもブロックさせてもらった。


「ふんふ~ん♪」

 今日は髪をハーフアップにして、インナーカラーを大きく見せている。昨夜カラートリートメントで色を足したから、鮮やかさも蘇って良い感じだ。

 足取り軽く歩くたびに毛束が揺れて、微かに視界に入るのがワクワクした。


「こんにちは、お邪魔しまーす」

「…ども」

 提携先の作業場に伺えば、いつもの無骨な職人・隼人さんが愛想を返してくれた。

 今日の訪問は定期健診みたいなもので、御用聞きも兼ねている。特に要望でも言われない限り、数分の滞在で済んでしまう仕事だ。


「隼人さん、順調ですか?」

「あぁ」

「頼まれてたもの、置いておきます」

「ども」

「メンテ予定、また決まったら教えて下さいね。ここ新しいカタログも置いときます」

「うん」

「何か、お困りのこと…あの?」


 大柄な隼人さんは作業の手を止めて立ち上がり、私の前に立ちはだかる。

 何か粗相があったろうか、アワアワしていると彼は側面に回り込み、

「やっぱ良い色だな」

と呟いて離れた。


「えっ」

また同じ言葉で褒められて面食らってしまう。

 隼人さんはもう作業に戻ってしまって、こちらの反応は求めてないようだ。

 けれどむずむずと湧き上がる喜びと感謝を伝えたくて、私は彼の背中へ声を張る。

「あ、ありがとうございますっ」


 ほら、きちんと評価してくれるってこんなに嬉しい。自分に都合の良い答えだとしても、それを求めて何が悪いの。

 新しい世界はきらきらと輝いて、爽やかに私を彩ってくれた。




おわり

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