第25番 決闘前日のご褒美
白と灰色が混ざる雪雲に覆われた天の下を、二体の白龍が舞い踊る。
降り注ぐ粉雪を浴び、吐息を凍らせ、近付き、離れ、また近付く。
人の身では到底敵わぬ恐ろしい怪物たちは自由を謳歌するように、実に楽しそうに、白い鱗に覆われた身体を互いに絡ませ合う。
頭上の彼らを見上げながら、僕は白い吐息を吹かした。
果てまで広がる雪原の世界は、当然ながら冷え切っている。暖かさなど皆無であり、とても人が快適と呼べる環境ではない。
けど、不快ではなかった。
この凍える大気が、凍てつく世界が心地よい。
自分が求め、奏でた世界が広がっていること自体が、僕の心を喜びで満たした。
素晴らしい。美しい。
無意識の内に、口からそんな言葉が零れ落ちるほどには……気分が良かった。
いつまでも、何処までも、この世界の繁栄が続いてほしい。
寒色で満ちる幻奏世界を眺め、僕は心の奥底でそんなことを思った──だが。
「ここまで」
告げ、僕は弦を弾く手を止めた。
途端に、世界を創る唄が鳴り止んだことで白銀の世界と白龍は消滅し、景色は双命家の屋敷に戻る。
すると、隣から不満そうな声が。
「もう終わりですか? 私はまだまだ、奏でられますよ」
琴──『双子百合』に触れながら僕に訴えかけてくるのは、落葉だ。
まだまだやり足りない様子の彼女に、僕は言う。
「明日は決闘だ。前日なんだから、身体も心も休めないと。疲れすぎて明日全力を出せなかったら、これまでの修行が全部水の泡だからね」
「それは、そうですが……わかりました」
落葉は渋々頷き、手元の『双子百合』を虚空に消滅させた。
彼女が初めて『がしゃどくろ』を倒した日から、およそ一ヵ月。
毎日欠かすことなく厳しい修行をし、落葉は強くなった。
唄の種類は一つとはいえ、最高位の創唄である龍奏を習得したのだ。まだまだ荒さは残り、精度は僕に遠く及ばない。
それでも、十分に戦うことができるほどの力量だ。
もう落ちこぼれなんて言わせない。彼女は立派な、奏世師だ。
「当初の予想よりも、君は格段に強くなった。これは、君の非凡な才能と弛まぬ努力が実を結んだ結果だよ」
「師匠に指導していただいたお陰です。貴方がいなければ……きっと私は創唄を奏でることができないままでしたから」
「僕がいなかった時のことは考えたら駄目だよ。嫌な仮定よりも、良い現実に目を向けよう」
落葉の頭に手を置き、僕はやや乱暴に撫でつけた。
「君は単独で龍を呼ぶことができるほどに強くなった。大事なのは、この現実だけだよ」
「……はい!」
嬉しそうに首を縦に振った落葉は『双子百合』を虚空に消滅させ、小さな子供のように、正面から僕に抱き着いた。
「う、ん……今日も、この時間です」
幸せそうに呟いた落葉は僕の胸に顔を押し当て、埋め、力強く抱きしめる。遠慮なく、思うままに僕に甘えた。
今日のご褒美もこれか。
本当に幼い子供のように、いやそれ以上に甘える落葉に笑いながら、僕は彼女の髪を撫でた。
「今日はいつもよりも力が強いね。甘えたい気分?」
「あ、明日は決闘なので……存分に甘えようかと」
「なるほどね。確かに、心身共に疲れを残したまま明日を迎えるのはよくないし……これで癒されるなら、思うままに甘えなさい。遠慮はいらないよ」
「ありがとうございます……それでは、失礼して」
スウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ……ハアアアァァァァァァァァァァァァァァ……──。
僕の胸に顔を埋めたまま、落葉は深く、それはもう本当に深い呼吸を繰り返した。何度も、何度も。深く、荒く、遠慮なく、少々はしたなく。
恐らく、いや確実に、僕の香りを堪能しているのだろう。
異性の香りは同性のものよりも良く感じるのは僕にもわかる。遠慮しなくても良いと言ったし、この行為自体に不満はない。
けど、疑問だった。
果たして、こんなことで疲れは取れるのか、と。
だがまぁ、落葉は疲労回復効果があるから、こうしているのだろう。
疑問は胸に残るが、拒絶することはない。大人しく、彼女が満足するまで受け入れ続けよう。
ただ、もう少しだけ息の音を抑えてほしい。
あと、落ち着け。
吸引に夢中になっている落葉に僕の想いが届くよう願いながら、僕は彼女の背中と後頭部を優しく撫で続け──。
「見世物じゃないんだけど……
「人の目を引くようなことをやっているほうにも非があるとは思いませんか?」
僕の視線の先にいたのは、明日の決闘相手の一人である智風だ。
廊下の柱に肩を預けて、こちらを見る彼は、心底呆れた様子。何をやっているんだこいつらは。そんな風に思っているのが、良く伝わる。
「え、だ、誰かい──ッ」
自分と僕以外の第三者の存在に気が付き、落葉は慌てて僕から離れようとした。
が、僕がすぐに彼女を抱きしめ、引き留める。
「気にしなくていい。落葉はこのまま、僕に甘えていなさい」
「も、んぐ……」
「よしよし、いい子、いい子」
赤子をあやすように言うと、落葉はやがて抵抗を諦め、身体の力を抜いた。
ぷしゅー。と、羞恥心に耳まで真っ赤に染めて。
そりゃあ、こうもなるか。
十五歳にもなって師匠に派手に甘えている姿を他人に見られたら、恥ずかしくもなる。特に年頃。花も恥じらう乙女なのだから。
でもきっと、今の顔を智風に見られたほうが、余程恥ずかしい思いをする。
離れず、甘え続けていなさい。
「悪いけど、可愛い弟子にご褒美をあげるのに手一杯なんだ。用件なら、あとにしてほしい」
「いえ、特に用があるわけでは……随分と不思議な褒美ですね」
「それは僕も思ったよ。……ところで、何でここに? 決闘は明日だよ」
「決闘を明日に控えているから、この屋敷に来ているんですよ」
智風はその場に座り、言った。
「移動の疲労を残さないように、こちらで一泊することになっているのです」
「ああ、そういうことか。で、廊下を歩いている時に僕たちを見つけたと」
「えぇ。挨拶をしなければと思っていたので、丁度良かった……彗明殿」
真剣な、値踏みするような目で僕を見つめ、智風は神妙な面持ちで問うた。
「貴方……何者なんですか?」
「前にも似たような質問をされたよ。僕はこの子の師匠だ」
「そういうことではありません。私が知りたいのは、貴方の素性です」
智風は視線を落葉に向けた。
「三ヵ月足らずで未熟なその娘に龍奏を習得させ、また、自らはそれ以上に力強い龍を生み奏でる……あんな龍を生み出せる奏世師が、無名のはずがない」
「見ていたのか」
「少しだけですがね」
僕は微かに肩を竦めた。
明日の決闘まで見せるつもりはなかったんだけど……見られてしまったものは仕方ない。どの道、明日になれば見せるものだ。それに一日程度で対策なんてできない。いやそもそも、龍奏に対策などないのだ。自分の力量で、真正面から打ち勝つしかない。
僕たちの世界を見られたのは別に構わない。
けど、そこから先の詮索はさせない。
「悪いけど、面白い話はないよ。これまで山奥で暮らしてきた、としか言えないかな」
「あくまでも、明かす気はないと」
「まぁね。だって、不公平だろう? 貴方だって素性を隠しているのに」
「……」
智風は沈黙した。
自分もまた、素性を包み隠している。何処の家の者なのか。どうして兼雅と手を組んでいるのか。それらの情報を、ひた隠しにしているのだ。
自分は秘密で覆い隠しておいて、僕にだけ明かせというのはあまりにも不公平だ。
例え彼が明かしたとしても、僕は絶対に明かさないけどね。
「そっちにも明かせない事情があるんだろう?」
「えぇ、まぁ……」
「なら、互いに詮索しないようにするのが一番なんじゃないかな。特に決闘前だ。今は、戦いに集中するべきだよ」
何があろうと明かさない。語らない。
僕の意思は十分に伝わったらしい。
「……わかりました」
降参を示すように智風は両手を挙げた。
食い下がらなくて良かった。なんて思いながら、僕は彼に笑みを返した──と。
「しっかりしなさい、兼雅──ッ!!」
女性の声が、静かな夜の世界に響き渡った。
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