第24番 急成長

「それにしても、この蔵には禁譜まであったんだね」


 灰の世界を消し去り、自由になった落葉と共に階段を下りながら、僕は手元の硯箱を見やり呟いた。


「流石は名家の蔵と言ったところか。禁譜は作るのが大変だから、あまり数がないものなんだけど」


「貴重なものなんですね。壊してしまいましたけど……」


「貴重……いや、数は少ないけど、ないほうが良い代物だから、貴重とは言えないかな」


 奏でた者の自由を奪い、命尽きるまで世界を創らせる。

 危険極まりない代物だ。こんなもの、ないほうが良いに決まっている。貴重という言葉は適切ではない。


「奏世師の意思を無視して強制的に幻奏世界を創らせる唄なんて、存在する価値はない。あの楽譜は消滅させて正解だったよ」


「……あの、師匠」


「ん?」


「あの禁譜について、教えてほしいんです」


 階段を下り終え、開け放たれたままの扉に進みながら、落葉は僕に尋ねた。


「禁譜を見つけた時、私、おかしかったんです。頭がぼんやりとして、思考がまとまらなくて……何故か、強烈にあの楽譜を奏でたいという欲求に駆られて。気が付いた時には『双子百合』を召喚していました。あれは一体──」


「それが呪いだ」


 答え、僕は硯箱の蓋をコンコンと叩く。


「制作者の怨念が籠められた禁譜は、奏世師に呪いをかける。未熟な奏世師がそれに当てられてしまったら最後、譜面を奏でなくてはならないという使命感に駆られることになるんだ。落葉が奏でてしまったのは、仕方ないよ」


「未熟な……となると、師匠には呪いは効かないのですか?」


「恐らくね。熟練の奏世師は強烈な自我を持つ。例え呪いに当てられても衝動を拒絶することができるし、奏でた場合も、自分の幻奏世界で打ち消すことができる。落葉はまだそれができないから、僕が代わりに世界を壊した」


 龍奏であったことから、あの禁譜は高位のものだったのだろう。並大抵の奏世師であれば、太刀打ちすることもできなかったはず。

 ただ、あの禁譜は運が悪すぎた。

 僕がその場に居合わせてしまった時点で、敗北が確定していたのだから。


 蔵を出て夜空の下に立ち、扉を閉じて、僕は落葉に尋ねた。


「どうする? 力量に合わない龍奏を奏でて、疲れたでしょ? 今日の修行はなしにしても構わないけど」


 禁譜による疲労感は強いはず。

 一日くらい空けても問題はない。万全な状態を取り戻すために、休息も大事だ。

 と、僕はそう思ったのだが……落葉は首を左右に振った。


「いえ、休まなくていいです。このまま修行に入りましょう」


「大丈夫?」


「はい。多少疲れてはいますけど、何だか……今日はこのまま創唄を奏でないといけない気がするんです」


 落葉は自分の両手を見下ろした。


「根拠はないんですけど……今日は、昨日よりもできる。そんな予感がするんです」


「……わかった」


 もしかして……。

 一つの可能性を脳裏に思い浮かべながら、しかしそれを口にすることはなく、僕は落葉と共に庭園に移動した。


 普段と同じように敷かれた畳に座り、各々の神奏楽器を召喚。

 先に音を鳴らしたのは僕だ。

 これまでと同じように重低音を響かせ、空間に浸透させ、暗黒の世界と巨大な『がしゃどくろ』を創りあげる。


 肌で感じる威圧感。軋む骨の音。

 今やお馴染みのものとなった怪物。

 落葉は昨晩、これを倒した。相討ちではあったが、死なずに生還したのだ。


 果たして今夜はどうか。

 考えながら、僕は生み出した『がしゃどくろ』を落葉に向けて進行させた──その時、気が付いた。


「落葉?」


 明らかに違う。

 迫る怪物を見る落葉の目が、表情が、気迫が。


 異質なのだ。昨晩とはまるで違う。

 絶対的な強者に挑む挑戦者の顔つきではない。

 あの顔は、瞳に宿る意思は──強烈な殺意。

 邪魔者を排斥しようと、排除しようとする、暴君の瞳だ。


「龍奏──雪輝白龍豪せっきはくりゅうごう


 感情の籠っていない、冷たい声音。

 唄の名を呟き、落葉が『双子百合』の弦を弾いたことで生み出された幻奏世界。

 雪と氷が支配する雪原の空間、全てが凍える白銀の領域。

 偽りの世界が、僕の世界の半分を奪い去った。


「来て」


 落葉の呼びかけに応じて、天より姿を現した、凍える世界の君主たる白龍。

 奴もまた、昨晩とは違った。

 大きく、力強く、相対する全てをひれ伏させる迫力がある。

 視界に映しただけで、僕の肌はこれまでにないほど粟立った。絶対的な強者を前にし、本能が命の危険を訴えていた。逃げろ、逃げろ、と何度も。


 しかし、僕は本能の警告を無視して、眼前の白龍を見つめ続けた。

 まだだ。あの白龍はまだ、敵を倒していない。『がしゃどくろ』を殺していない。幾ら大きくなろうと、迫力が増そうと、僕の世界を屠れなければ意味がない。

 だからまだ、合格とするわけには──。



「消えて。私の世界に──貴方はいらない」



 決着は一瞬だった。

 白銀の世界と暗黒の世界。その境界線に『がしゃどくろ』の腕が触れた瞬間、全身の骨が凍結。

 氷と霜が覆いつくし、氷像となって動かなくなった怪物。

 それを、白龍は長大で硬質な尾で粉砕した。


 勝負ですらない。

 一方的な蹂躙だ。

 これまで落葉を幾度も殺し、恐怖のどん底に突き落としてきた怪物が、今度は狩られる弱者に変わったのだ。


 凄まじい成長速度。

 この結果を齎した原因は──禁譜だろう。


 通常の修行、経験では得られない何かを、あれは落葉に齎した。


「怪物め」


 天に向かって咆哮する白龍と、白い息を吐きながらそれを見つめる落葉。

 両者を交互に見やり、僕はポツリと呟く。


 たった二ヵ月で最高位の創唄である龍奏を習得するなんて、聞いたことがない。

 僕ですら一年以上かかった。

 この才能、才覚……怪物としか言いようがない。


「我が弟子ながら天晴。これなら──勝てる」


 大きな喜びを噛みしめながら、僕は大口を開けて迫る白龍を見つめ──身体が喰われる感覚と共に、意識を暗転させた。



     ◇



「─ょう……師匠っ!」


「……うん?」


 間近で聞こえた落葉の叫び声に、僕は暗闇に沈めていた意識を浮上させ、瞼を上に持ち上げた。


 完全な覚醒前で、ぼんやりとした頭のまま周囲を見回す。

 幻奏世界は既に消滅しており、視界に映るのは双命家の庭と屋敷。

 見慣れた風景を映す視界の中央には、こちらを心配そうに見つめる落葉がいた。


 ……何が起こったんだっけ。

 僕は頭を必死に動かし、意識を失う前の出来事を思い出す。

 確か、幻奏世界で『がしゃどくろを』を殺されて、そのまま、白龍に──ああ、そうか。僕は落葉に殺されたのか。それで、意識を──。


「あの、師匠。大丈夫ですか?」


「落葉……」


 心配する愛弟子の名を呼び、一拍空け──僕は彼女を抱きしめた。


「え、し、師匠……!?」


「凄いよ落葉。まさか、こんなに早く君が龍奏を完成させられるなんて思ってなかった」


 抱きしめる力を強め、頭を撫で、褒め称える。褒めちぎる。成長を祝福する。

 

「あの白龍は完璧だったよ。大きさも、強さも、一流の奏世師が創り出す龍そのものだった。あれなら兼雅と……いや、他家の奏世師と十分に渡り合うことができる」


「あ、ありがとうございます、師匠」


「決闘まで、まだ一ヵ月近くも時間がある。ここから更に精度を上げて、勝利をより確実なものに──落葉?」


 落葉の身体から力が抜け、彼女は全体重を僕に預けて凭れ掛かった。

 名前を呼び、軽く揺するが、返事はない。代わりに聞こえてきたのは、小さな寝息だった。


 禁譜による強制的な龍奏の演奏。

 加えて、同等の龍奏を連続で奏でたことにより、体力と気力が底をついたのだろう。さらに山場を越えたことで、緊張の糸が切れ……眠るのは仕方ないことだ。

 

 元々、今日の修行は中止にしようとしていたところだ。

 ゆっくりと寝かせてあげよう。


「おやすみ、落葉。今はゆっくり身体を休めるんだよ」


 囁き、僕は眠る落葉を抱き上げ、彼女を寝室まで運んだ。

 その道中、廊下を歩いている最中に見た落葉の寝顔は……何処か達成感に満ち溢れた、穏やかものだった。

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