第23番 禁断の譜面の破り方

 響き渡る琴の音色。

 間違いない。これは落葉の神奏楽器──『双子百合』のものだ。


 落葉が奏でているのだろうけれど、疑問が残る。

 なぜここで弾いているのか。月が空に昇ったことをを知り、我慢ができなくなったのか。もしくは探し物に飽きてしまい、気晴らしに奏でようとしたのか。

 

 色々と可能性は考えられるが……それ以前に、この唄はなんだ。

 鳴り響く低い音は、まるで地獄の底で叫ぶ亡者の声のようだ。彼女が毎日奏でている雪輝白龍豪ではない。いやそもそも、僕は彼女にこんな歌を教えていないぞ。


 何が起きているのか。

 困惑しつつも、まずは落葉を探そうと、僕は姿の見えない愛弟子を探して視線を周囲に散らし──。


「──ッ!?」


 突如として一変した周囲に──生まれた世界に息を飲んだ。


 今僕がいるのは、多くの物品で溢れ返った蔵の中ではない。

 何処までも続く灰色の荒野だ。

 枯れた大地には乾いた石が幾つも転がっており、亀裂からは枯れた黒い薔薇が顔を覗かせ、草臥くたびれている。


 そんな地上を見下ろす青黒い空には、黒い星々と三日月、そして──龍がいた。

 世界の半分と同じく、灰色の鱗に覆われた巨龍。

 障害物の存在しない自由な空を縦横無尽に飛び回る奴は大口を開け、咆哮と共に黒い炎を天に向けて放射した。

 自らの力、存在を誇示するように。


「幻奏世界……それも龍奏か」


 大抵の者が視界に捉えた途端に驚愕し、畏怖し、膝を震わせるであろう灰の龍。

 しかし臆することも、動揺することもなく、僕は眼前の奴をジッと観察し、顎に手を当て呟いた──と。


「師匠──ッ!!」


 視界の外、左側から聞こえた声に、僕は咄嗟にそちらを向いた。

 落葉だ。

 探していた愛弟子は地べたに正座した状態で、手前に置いた『双子百合』の弦を弾いていた。唄を、世界を奏でていた。


 妙だな。

 落葉が奏でられる龍奏はまだ未完全なもので、龍も小さかったはず。

 しかし、頭上にいる灰色の龍は巨大だ。それこそ、僕が奏でる龍と同程度の大きさ。


 どうしてこんな龍を奏でられているんだ?

 実力を隠していた……いや、それはあり得ない。

 だとしたら、他に理由が──。


「助けてくださいッ!! 身体が勝手に動いて、止められないんですっ!」


「止められない?」


「は、はい。腕が、全く言うことを……聞かなくてッ」


 琴の弦を奏でる両腕を必死に止めようと、落葉は肩に力をこめ、顔を顰める。しかし、一向に両腕は演奏を止めない。寧ろ、落葉が止めようとすればするほど、律動は速度を増し、より激しくなった。


 何が起きている。

 身体が勝手に楽器を奏でるなんて、そんなことあるわけがない。一体彼女の身に、何が起きているんだ。


「──ッ!」


 頭上の龍が再び咆哮し、空間が震撼した。

 轟音が耳を劈き、咄嗟に、僕は両手で耳を塞ぐ。


「マズイな……このままだと、僕が喰われる」


 上空を飛び回る龍は、まだ僕を見つけていないらしい。

 それは僕の存在を認識している落葉の制御下にないことを示す証拠だ。この世界と龍が落葉の制御下にあれば、異分子である僕は既にやられているはず。

 今はまだ、僕が殺されることはない。


 だが、それも時間の問題だろう。

 奴が地上に意識を向け、僕を視界に捉えれば、襲いに来る。

 そうなれば……終わりだ。落葉が自力で世界を消滅させることができない以上、僕たちはこの幻奏世界に囚われたままになる。

 

 とにかく、今はあの龍を殺すことに集中しよう。

 決め、僕は虚空から『月桜』を召喚し、それを構え──。


「ん?」


 ふと、視線を落葉が奏でる『双子百合』──その少し前に向け、気が付いた。

 そこに、見慣れない黒い楽譜が置かれていることに。


「……なるほど、そういうことか」


 この世界が生み出された理由を知り、僕は肩の力を抜いた。

 不安になって、心配して損した。

 大丈夫だ。それを奏でただけなら、恐れるものは何もない。

 あの龍は強いかもしれないけれど──僕の敵ではない。


 その理由は──。


禁譜きんふ。落葉は決して奏でてはいけない、呪いの譜面を奏でたわけだ」


「禁譜?」


「うん」


 頷き、僕は『月桜』の弦を軽く弾きながら、簡単に説明した。


「怨念が宿った呪いの譜面だよ。奏でると両腕の支配権を奪われて、命が尽きるまで唄を奏で続けることになる」


「命──そ、そんなッ、どうしたら!?」


「怯えなくていい。君はそのまま、唄を奏で続けなさい」


「え、でも」


「大丈夫」


 不安でいっぱいになっている落葉に片目を瞑って見せ、僕は優しい声で言った。


「この龍がどれだけ強大であろうと──僕の世界のほうが圧倒的に強いから」

 

 本格的に弦を鳴らすと同時に、心から優しさを消滅させた。


 何処までも冷酷に、冷徹に。

 自分の気に食わないもの全てを否定し、排斥する暴君に。

 理想の世界を体現する、絶対的な君主に。


 灰龍を睨んだ。

 広がる世界を疎んだ。


 気に入らない。

 気に食わない。

 生み出されたこの世界の全てが邪魔だ。

 全て──僕の世界に不要な、邪魔者でしかない。


「僕はお前の存在を否定する。僕の世界に、お前はいらない」


 龍を睨み、威圧し、僕は告げた。

 この世界を殺す──僕の世界を。


龍奏りゅうそう──陽跋光龍臨ようばつこうりゅうりん


 落葉が鳴らす重低音とは正反対。

 高音を高速で弾き鳴らし、空間に、世界に浸透させる。

 既存の世界を破壊する新たな世界の土台を作る。


 この灰色の世界には光が存在しない。

 鬱屈が充満し、心を抑圧し、憂鬱にさせる暗い世界だ。


 ならば、創りだすのは正反対の世界。

 晴れやかな気分を齎し、心を解放し、あらゆる闇を消し去る光の世界。輝きを以って全てを壊し、染め上げる。


 暗い世界を、殺し尽くす。


「──咲き誇れ」


 僕が呟いた途端──枯れた大地に、一つの双葉が芽吹いた。

 それは瞬く間に成長する。本葉を生やし、蕾を作り、美しい白い光の花を咲かせる。


 それは一輪だけに留まらない。

 最初に芽吹いた花を起点として次々と周囲に芽吹き、成長し、花を咲かせる。甘い蜜の香りを大気に放出し、枯れた大地を占有する面積を拡大していく。


 時間にして、僅か十数秒。

 地上の全てを光の花が侵略した直後──天が割れた。


 青黒い空に無数の亀裂が生まれ、その隙間から光が差し込み、暗い世界を明るく照らした。その光景はまるで、天から地上に梯子がかかっているよう。


「空間の掌握は完了。あとは主役を屠るだけだ──降臨せよ」


 半壊した天を見上げて命じる。

 すると、亀裂から龍が現れた。


 光の龍だ。

 陽光と同色、暖かな光の肉体を持つ巨龍が姿を見せ、降臨の咆哮を上げる。

 この世界の主は自分であることを示すように。


 突如現れた、自分と同じ龍の侵略者。

 元々の支配者である灰龍は怒り狂った様子で灰色の炎を放射し、助走をつけ、光龍へと突撃する。

 自分の領域に立ち入ったことを後悔させんと言わんばかりの勢いで。


 両者の大きさは大差ない。

 しかし、格が違う。

 灰龍を創り出しているのは、呪いで無理矢理従わせているだけの落葉。

 対して、光龍を創り出しているのは僕──この世界の全てを本気で排斥し、破壊しようとする、強い意思を持つ者だ。


 世界は奏世師の意思が強いほど強固になる。

 どちらが勝つかは、明白だ。


 大口を開けて突撃した灰龍を回避し、光龍は長い首に牙を突き立てる。

 そして、逃れようと暴れる灰龍に自分の身体を巻きつけ──凄まじい咬合力で噛み砕いた。


 勝負にすらならない、数秒の決着。

 胴と頭が離別した瞬間、灰龍は肉体を崩壊させ、まるで本物の灰のように消滅した。


 消え去ったのは、灰龍だけではない。

 天の亀裂から降り注ぐ光に当てられた禁譜までもが、同じように塵となり、空気に溶けて消え去った。


 完全なる勝利。

 もう、この世界に闇は存在しない。

 満ちるのは光。

 この世界は──僕のものだ。


「落葉。腕は動く?」


「へ? あ、えっと……」


 呆然と頭上の光龍を見上げていた落葉は僕の問いかけで我に返り、止まった自分の両腕に視線を向け、掌を何度か開閉した。


「大丈夫です、動きます!」


「なら良かった」


 目的は達成した。この世界は用済みだな。

 唄を奏でる手を止め、幻奏世界を消滅。周囲の景色が元の蔵に戻ったことを確認し、僕は落葉に歩み寄った。


「聞きたいことは色々あるけど……とりあえず」


 ニヤッと笑い、僕は落葉の頭に手を置いて、言った。


「頂点を目指すのなら、これくらいは奏でられないとね」


「まだまだ、先は長いですね……頑張ります」


「フフ、その意気だ」


 落葉の返事に満足し、僕はやや乱暴に、彼女の頭を撫でつけた。

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