第22番 頼み事

「……怖かった」


 蔵の二階。

 お父様に呼ばれた師匠が下って行った階段を見つめ、私は背中を壁につけたまま、その場にズルズルと座り込んだ。


 一人になったことで緊張が解けたらしい。

 身体に入っていた余計な力が抜け、代わりに、膝や手先が震え始めた。真正面から、至近距離から当てられた師匠の威圧感に、心で生まれた恐怖が身体に伝わった。


「あんな師匠……初めて見た」


 先ほどの師匠の顔を思い出す。

 いつもの優しくて、カッコいい師匠ではなかった。


 全ての感情が抜け落ち、まるで亡者のようだった。瞳からは光が消え、深い、深い闇が滲み出ていた。

 纏う雰囲気も冷酷で重苦しく、至近距離からそれに当てられた私は息が苦しくなった。呼吸の仕方を忘れてしまうほどに、圧倒された。


 まるで、本当に人を殺してしまった後のような、そんな感じ。

 先ほどの師匠は、そんな表現が最適に思えるようだった。


 擬人化した虚無。

 その一方で、強固な意思も持ち合わせていたように思える。


「拒絶、否定……」


 額に手を当て、師匠が何度も告げた言葉を復唱した。

 自分の世界を創るために、理想を叶えるために、他の全てを否定する。障害になる全てを拒絶する、排斥する。


 人としては間違っていても、奏世師としては正しい。

 だから、これでいい。変えるつもりは毛頭ない。誰に何と言われようとも、この意思は今後も不変のものだ。


 そんな強固な、誰にも曲げることができない、意思があった。


「あの絶対的な意思が、師匠の強さの理由なのだとしたら……一体どんな人生を歩んだら、十八歳であんな風に……」


 暗い天井を見上げ、疑問を吐き出す。

 師匠については、わからないことも多い。子供の頃に親に捨てられ、それから山奥でずっと一人、奏世師としての修行をしながら生きてきたとは言っていたけど……多分、それは嘘だ。


 根拠はない。

 でも、表情や話し方で何となくわかるのだ。

 師匠は自分について、何かを隠している、と。


 師匠が何者なのか。どうして凄い世界を奏でられるのか。

 気になることは多いけれど……師匠は教えてくれないだろう。今の私では、まだ。


 だから……私にできることは、待つだけだ。

 いつか話してくれる時が来るまで、ただひたすらに、修行に励むことだけ。


「……よし!」


 パンッ!

 両手で頬を叩いて気合を入れた私は立ち上がり、中断していた作業を再開する。

 何とか師匠が戻ってくるまでに見つけてしまおう。そして、褒めてもらおう。昨晩のように、よくやったと言ってもら──。


「ん?」


 視線を下に向けた瞬間、視界に映った代物に、私は首を傾げた。


「何だろう、これ」


 手を伸ばし、それを拾い上げる。

 硯箱すずりばこだ。表面には漆が塗られた、赤い箱。緊迫で杉の木と鳥が描かれており、その細かさから、高価な代物であることが察せられる。


 でもここは、様々な物が保管された蔵だ。高価な物は他にもあるし、別段珍しいものでもない。ただの箱だ。


 それなのに、何故だろう。

 私はこの箱に、強烈に引き付けられた。興味が湧いた。

 目が離せない。開けたい。早く蓋を取って、中身を見たい。この中に入っているものを手に取りたい。

 そんな欲望に駆られてしまった。


 もしかしたら、何か凄いものでも入っているのかも。

 そんな淡い期待を胸に、私は手元の硯箱を開けた。


 開けてしまった。



     ◇



「三種の神器は見つかったかい?」


 空がすっかり夜の色になった、蔵の外。

 開け放たれた入口扉に凭れ掛かった俊陰様は、右手に持った杖を床に突きつつ、微笑を浮かべて僕に尋ねた。


 一体誰のせいで苦労していると……。

 喉元まで出かけた苦言を呑み込み、僕は肩を竦めて返した。


「大分探していますけど、見つかったのは蓬莱刀だけです。鏡と勾玉は、まだ何処に眠っているのかわからないままですね」


「そうか。いや、本当にすまないな。蔵の中に仕舞ったことは憶えているのだが……私も年を取った。詳細な場所を思い出せないどころか、蔵の階段を上る力もない」


 片膝を擦る俊陰様に、僕は言った。


「せめて何処に仕舞ったかを思い出してくださったら、助かるのですが」


「ハハハ、無茶を言うな。投げた小石の場所を憶えている奴がいるか?」


「先祖代々受け継がれてきた三種の神器と小石を同等に扱わないでください。まぁ、そんなことはどうでもいいとして……どうぞ」


 僕は持っていた蓬莱刀を俊陰様に手渡した。


「一先ず、蓬莱刀はこれで間違いありませんか?」


「あぁ、これだよ。懐かしいな。相変わらず美しい鞘だ。勿論……白刃も」


 鞘から抜き放った刃を空に掲げ、一番星の光に照らし、眺めた後、俊陰様はそれを納刀した。


「ありがとう。引き続き、鏡と勾玉も頼むよ」


「はい。……ところで、俊陰様。今日は何処へ行っていたのですか? 一日中、屋敷を開けておられましたが」


「知人の家だ。少し、調べ事があってね」


「調べ事ですか」


「あぁ。それが何かは教えられないがな」


 蓬莱刀を腰に差し、俊陰様は杖を左手に持ち替えた。


「まぁ、私の調べ事に関してはどうでもいい。大事なのは調べ事をした後……双条家に立ち寄ったことだ」


「双条家……兼雅の家、双命家の分家ですよね」


「あぁ。少し様子を見にな」


「それは、兼雅の?」


「それもあるが、あの一族全員のだ」


 何か、とても憂鬱なことがあったらしい。

 俊陰様は深い溜め息を吐いた。


「相変わらずというべきか、歓迎はされなかったな」


「? 双条家が分家ならば、本家の当主である俊陰様には敬意を払うべきなのでは?」


「礼節を欠いた対応をされたわけではないよ。ただ、憎しみやら嫌悪を節々に感じたのだ。あの家は古くから、本家に対して並々ならぬ憎しみを抱いているからね」


「……過去に、何かいざこざが?」


 お家騒動。

 名家にはつきものだろう。何百年も昔に起きた両家間のいざこざが今も尚、尾を引いていることは珍しくない。


 双命家にもそういったものがあるのかと、僕はそう思ったのだが……俊陰様は静かに首を左右に振った。


「一方的な劣等感だよ。双条家はいつの時代も、双命家に負けてきたからな。格も、財も、奏世師も……彗明君」


「何でしょうか」


「頼みがある」


 僕と目を合わせ、俊陰様は頼みを口にした。


「兼雅たちとの決闘では、どうか頼む。彼らを、完膚なきまでに叩き潰してほしい」


「……ただ、勝つだけでは駄目ということですか?」


「あぁ、それでは駄目だ」


 俊陰様は首を左右に振った。


「本当に完膚なきまでの圧勝……兼雅の心が折れ、奏世師の道を諦めるような、完全な勝利だ」


「なぜ、そこまで? 俊陰様は、兼雅を恨んでいるので?」


「逆だ。彼のことを思っているからこそだ。そうしなければ、彼が救われない。報われない。自由にしてやれないからだ」


「? 話がさっぱり見えてこないのですが……」


 僕は混乱するばかりだ。

 一体、俊陰様は何を言っている? 叩きのめし、心を折ることで、兼雅が救われる? 自由になれる? 理解ができない。なぜそう思う。なぜ断言できる。


 しかし、彼は僕の疑問には答えなかった。

 ただ『よろしく頼むよ』とだけ言い残し、その場を去ってしまった。


「本当に、何なんだ?」


 もやもやとしたもどかしさを抱えるが、それを晴らすことはできない。

 まだ、話すことはできないということなのだろうか。俊陰様も意地が悪い。ここまで話して、肝心な理由を教えてくれないなんて。


 いや、文句を言っても仕方がない。その時が来るのを、気長に待とう。


 不満を振り払い、僕は俊陰様の頼みを頭の片隅に入れつつ、蔵の中へ戻った。

 落葉が今も三種の神器を探しているはずだが、既に月は昇った。探すのはまた明日にし、修行をすることにしよう。


 今日はどこまでやれるかな。

 昨日は相討ちにできたけど、今日はどうなるか。

 もしかしたら、討ち倒すことができるかも?


 愛弟子の成長を楽しみに思いながら、僕は二階に続く階段を上り切った──その瞬間。


「──音?」


 僕の鼓膜を、聞き馴染んだ琴の音が揺らした。

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