第21番 排斥する勇気

「完全な龍奏、か」


 僕は落葉が口にした言葉を復唱した。

 どうして今、こんな質問をしたのか。その理由は深く考えなくてもわかる。


 大方、未完成・不完全な龍奏の譜面と、不完全な龍奏しか奏でることができない未熟な自分を重ねたのだろう。


 そして、思ったのだ。

 自分は不完全なままで終わりたくない。未完成のままでいたくない。と。向上心を持つのは素晴らしいことだ。その心意気は、是非とも今後も持ち続けてほしい。


 これはどのみち、今日の修行で教えようと思っていたこと。少し早いが、この場で教えてしまっても構わないだろう。

 落葉の問いを受けた僕は手近な木箱の上に腰を落とし、逆に、彼女に問い返した。


「落葉は、嫌いな人とかいる?」


「え? それは、まぁ、いますけど」


「そっか。じゃあ──その人を殺したいと思ったことは?」


「へ?」


 殺意の有無。

 そんな質問をされるとは思っていなかったのだろう。動揺した様子で、落葉は沈黙した。

 答えにくい質問であることは承知だ。

 その上で、僕はもう一度訪ねる。


「もう一度。嫌いな人を殺したいと思っている?」


「な、なんでこんな質問を──」


「必要なことだからだよ」


「え、っと……」


 暫く悩んだ末、落葉は首を左右に振った。


「思っていません。嫌いな人でも、流石にそこまでのことは」


「それはどうして?」


「どうしてって……私が嫌いでも、その人のことを大切に想っている人がいるからです。それに、その人にも人生がある。それを奪いたいなんて、普通は考えません」


「なるほど。つまり、相手のことを考えているわけだ。それから良心、倫理が、殺意を抑制していると」


 普通だ。普通のことだ。

 間違っていない。落葉の感性は酷く正しい。

 これを間違いだと否定する者はいないだろう。少なくとも、日常生活においては。


 だが、僕は敢えて言おう。

 落葉の感性は間違っている。相応しくない。

 奏世師としては──全く駄目だ。


「僕は落葉の真逆の感性を持っているよ」


「真逆って……」


「僕にも嫌いな人がいるけど、その人のことを本気で殺してやりたいって思ってる。存在を否定したい。この世界から消し去ってやりたいって」


 微笑みと共に告げた僕を、落葉は信じられないものを見るかのような目で見つめ、問うた。


「なんで、そこまで思うんですか?」


「単純だよ。気に食わないから。僕の理想の世界には邪魔な存在だから。その人が生きているだけで、僕の気分が害される」


 僕は視線を下に向け、足元に転がっていた古びた人形を手に取った。

 埃を被り、ところどころ色落ちしてしまっている、劣化品。


 様々な角度からそれを眺めた後、僕は人形の頭を指先で挟み──それを、もぎ取った。

 この人形の価値を、存在意義を、奪い取った。


「この人形のようにしてやりたいと思ってる。本心だよ。その人がいなくなれば、僕の世界はより素晴らしいものになる。だから消えて欲しい。死んでほしい。できることなら殺したい。この手で、全てを否定したい」


「そんなの……間違ってる」


「人としては間違っているだろうね。でも、奏世師としては正しいんだ」


 人形としての価値を失ったガラクタ。

 手元のそれを手近な木箱に投げ捨て、僕は落葉に言った。


「いいかい、落葉。完全で完璧な龍奏を奏でたい、今より進化したいと思うのなら──自分が認めるもの以外の全てを否定しなさい」


「全てを、否定?」


「そう。強欲で傲慢な──世界の神になりなさい」


 立ち上がり、僕は落葉に詰め寄った。見下ろし、威圧する。

 僕との物理的な距離が縮まると、元の距離を維持しようと、落葉は後退した。しかし、僕は再び距離を詰めようと前進する。また、落葉は後退した。


「──あ」


 前進と後退を幾度も繰り返すと、やがて落葉の背中は壁にぶつかった。もう後退して距離を取ることができない。


 でも、僕は止まらなかった。

 一歩、一歩、また一歩、前進を続けて落葉との距離を殺した。


「落葉」


 あと半歩詰めれば身体が触れ合うほどの至近距離で、僕は瞳に恐怖と緊張を宿す愛弟子を呼び……彼女の両頬に手を添えた。

 そして、教える。言い聞かせる。刻み込む。

 奏世師として成り上がるために必要な、教訓を。


「絶対に妥協はするな。容認するな。心を折るな。寛容になるな」


「し、師匠?」


「己の世界の具現化に全力を尽くせ。共存を拒絶しろ。共生を否定しろ。虹を塗り潰せ。異物は全て排除しろ。気に入らない世界は──全て殺せ」


 黒い感情が僕の心に滲み出す。心の中の暴君が顔を出す。

 眼前の落葉は怯えていた。僕の顔を見て、目を見て、怯えていた。


 今の僕がどんな顔をしているのかわからない。

 だけど、愛弟子が恐怖するような顔をしていることは、確かだった。


「……わからない、です」


 俯き、落葉はポツリと言った。


「私には、そんな考えがありません。その思想を持てるのか……暴君になる自分が、想像できないです」


「できないじゃない。なるんだ。別に常時その思考でいなさいと言っているわけじゃない。あくまでも、創唄を奏でる時だけで──」


「でもッ!」


 勢いよく、落葉は顔を上げた。


「神とは、全ての民を救う存在です! 狭量であってはなりません! 多くを受け入れ、その上で、調和させることが──」


「この国の君主は鎖国をしたよ」


 落葉の主張を遮り、僕は冷酷に告げる。

 彼女の言葉は、全て理想に過ぎないことを。


「全てを受け入れるなんて不可能だ。共生を目指せば、必ず不和が起き、争いが起きる。現に、この三日月ノ国は外国人によって深刻な状況に陥ったのだろう?」


「……」


 沈黙した落葉に、僕は続ける。


「帝はこの三日月ノ国を──自分の領地を、世界を守るために、否定した。外国からの流入者を害悪な外来種として、この国から駆除した。拒絶して、追放して、殺した。いや、それだけじゃない」


 僕は思い返す。

 以前、俊陰様から教えてもらった、帝の鎖国政策を。


「理想の国を体現するために、自国の者も殺した。外国人を匿う者や、助ける者、鎖国に反対する者。その全てを反逆者として、国家の敵として、売国奴として、粛清した。自分の気に食わない者を、全て。徹底的に。違う?」


「……その通り、です」


「帝は持ったんだ。排斥する勇気を」


 反発は大きかったはずだ。

 しかし、それでも帝は貫き通した。自分の国を守るために。

 その強い意思が、奏世師には必要なのだ。


「他者に対する思いやりを捨てるんだ、落葉。相手の世界を尊重するなんてことはやめなさい。その優しさは、命取りになるから」


「……」


 僕の教えに、落葉は呆然と俯いた。

 できるのか。自分に、そんな危険な思想が持てるのか。


 持たないと勝てない。強くなれない。

 でも、そんな思想は持ちたくない。


 そんな葛藤が見て取れる。


 心優しい落葉には、酷なことだろう。

 けど、必要なことだ。強い奏世師は皆、確固たる自分の世界と思想を持っているのだから。自分の理想を体現しようとする強い意思がなければ、勝つことはできない──と、その時。


「おーい、彗明君!」


 階段の下から俊陰様の声が聞こえ、僕は咄嗟に返事をした。


「どうしましたか!」


「探し物中に悪いが、少し来てくれないか!」


「わかりました!」


 何の用かは知らないが、とりあえず行こう。

 僕は落葉に言う。


「ちょっと行ってくる。落葉は……どうする?」


「私は、もう少し探します。修行は、お父様とのお話が終わった後で」


「わかった。じゃあ、行ってくるね」


 言い残し、僕は階段の傍に置いてあった蓬莱刀ほうらいとうを手に取り、下の階へと降りた。

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