第17番 もう一人の対戦相手
陽が空の頂を通過した、暖かな昼下がり。
「よく寝てるなぁ……」
屋敷の庭園を前にした、陽光が良く当たる縁側。
胡坐を掻いて落葉の育成計画を記した紙と睨めっこをしていた僕は視線を紙面から逸らし、僕の膝を枕にして眠っている愛弟子を見下ろして呟いた。
瞼を下ろし、小さな寝息を立てている落葉の意識は完全に夢の世界にいる。
彼女が可愛らしい寝顔を晒してから、既に一時間が経過した。やはりというべきか、早朝から創唄の修行に励んでいたことが影響したらしい。昼食を取ってから眠そうに瞼を半分下ろし、うつらうつらと、身体を揺らしていたのだ。
このまま起きていても、夜の修行に影響が出る。
そう考えた僕は昼間の修行を全て取りやめ、落葉に昼寝をするよう促したのだ。休息を取るのも、修行の内だと
「膝に頭を置いて寝なさいとは、言ってないんだけどね」
微笑んで言い、僕は落葉の髪に触れた。
眠っていいよと言った後、彼女は迷うことなく僕の膝を枕にして寝始めた。僕としては、寝室で眠ってきなさいという意味だったのだけど……声をかけた時には、既に彼女は夢の世界に旅立ってしまった。
この寝顔を見た後に起こすことはできず、そのまま今に至る。
落葉が眠っているお陰で僕は全く動くことができないのだけど……まぁ、それでもいい。この可愛らしい寝顔を見ることができたのだから、良しとしよう。
あどけない落葉の寝顔に視線を落としたまま、僕は彼女の頭を撫で続け──。
「──貴方は?」
視線は動かさず、足音が聞こえた左側に向けて尋ねる。
そこにいる人物へ。
「……気が付いておられましたか。足音は立てないようにしていたのですが」
「僕は耳が良いんだ。床と足が擦れる音は、しっかりと聞こえていたよ」
驚く彼に返し、僕は視線だけをそこへ向けた。
立っていたのは、若い男だ。
長身の背丈を灰色の着物で覆っており、黒と白が入り混じった長い髪を後ろで一つに束ねている。
顔に張り付けられた柔和な笑みからは温厚で優しそうな性格が伝わってくるが……その黒い瞳を見れば、印象通りの人物ではないことを察することができる。腹に一物抱えている人間の目だ。
何者だ。
少なくとも双命家の人間ではない。
「そう警戒されなくても、私は怪しい者ではありませんよ」
「怪しいかどうかを決めるのは僕だよ。悪いけど、僕から見た君はとても怪しい」
「それは確かに。では、その警戒を解いていただくために、自己紹介を」
男は落葉を起こさないように配慮してか、抑えた声量で名乗った。
「私は、
「決闘状? ということは、兼雅の部下か」
「いえ。部下ではなく、良き相棒ですね。私は兼雅様と共に、双命家の代表を目指す者ですから」
「……へぇ」
自己紹介を聞いて、更に警戒心が増した。
僕はスッと目を細め、問うた。
「つまり、僕たちの敵であると。決闘の日まで接触するべきではないのでは?」
「私もそう思ったのですが、遠目から、こんな昼間から眠りこけている決闘相手を見つけてしまったもので」
男──智風は呆れと嘲笑の混じった表情で落葉を見やった。
「呑気というか、何というか」
「別に悪いことではないだろう。師である僕が勧めたんだから」
「……修行は順調ですか?」
「教える必要はないと思うけど」
「そう嫌わないでくださいよ。個人的には、貴方にとても興味があるので。傷つきます」
「興味? 悪いけど、男は趣味じゃないんだ。他を当たってほしい」
「そういう意味じゃ……双命家の落ちこぼれの師匠なんて、興味が湧くに決まっているでしょう」
「……落ちこぼれ、ね」
寝ているとはいえ、本人の前でそんなことを言うなよ。
視線に苛立ちを乗せるが、智風はそれには気が付かず。両手を腰に当て、僕に尋ねた。
「成長する見込みもなければ、黄道十二奏具の持ち主という厄介な未熟者。教え子としては最悪な彼女を、どうして弟子にしようと? 大金でも積まれました?」
「そんな不純な動機で受けるわけないだろう」
「なら、どうして?」
正直言って、答える義理はない。
無視すれば良い。
だけど……こいつには言ってやりたいことがある。無駄に高い誇りに傷をつける、一言を。
僕は落葉の手を握り、言った。
「勿体ないと思ったんだよ。これだけの才能と情熱を持つ子が、境遇と環境のせいで潰れてしまうのが
「才能? いやいやいや、何を言って──」
「何かおかしなことを言ったかな。少なくとも落葉は──貴方如きよりはずっと才能に恵まれていると思うけれど」
「…………は?」
笑みを消し、代わりに、表情に怒りを宿し、智風は拳を握り固めた。
フフ、効いてる効いてる。
「私が、劣っていると?」
「比べるまでもなくね」
「本気で言っているんですか? 目が濁っているのでは?」
「僕の目が濁っているんじゃない。君が自惚れているだけさ」
「何でそう言い切れる」
「簡単さ。だって──僕は君なんかよりも圧倒的に強いから」
「……っ」
反論はなかった。
恐らく、兼雅から聞いているのだろう。僕の実力の断片を。
龍奏を奏でられる奏世師は多くない。
兼雅は僕の世界で驚いていた。その相棒となると、実力は同程度。
言えないだろう。お前よりも自分は上だ、なんて。
怒りに拳と肩を震わせながら、やがて智風は呟いた。
「……傲慢ですね」
「何を言う。傲慢でなければ、奏世師は務まらない」
「貴方は過ぎる」
「君よりはマシさ。少なくとも、彼女を見下す発言をしているうちは、僕には勝てない」
「例え貴方には勝てなくても、決闘の際は彼女もいる。勝ち筋はあります」
「だといいね……ほら、用がないなら早く帰りな。落葉が起きてしまう」
「……これだけは覚えておいてください」
こちらに背を向けた智風は去り際、肩越しに言い残した。
「勝負は既に、始まっているということを」
それを最後に、智風は去っていった。
足音を立てず、静かに。
「楽しみだよ……君たちの世界を殺すのが」
智風が消えた廊下の角に向けて言った僕は次いで、落葉に視線を落とす。
閉じられた瞼は微かに震えている。握っていた手は、いつの間にか握り返されている。
まぁ、眠っていることにしてあげよう。
微笑み、僕は小声で彼女に言った。
「絶対に勝とうね、落葉」
返答はない。
代わりに、僕の手を握る力、少しだけ強くなった。
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