第15番 憧れの奏世師

「ところで彗明君」


「はい」


「君の素性……最高の奏世師である『月輪帝』の名を冠する者であることは、落葉には言っていないな?」


「えぇ。言われた通り苗字を隠しているだけではなく、外国から来たことも伏せていますが……」


 そこで、僕は思い出した。

 俊陰様から、自分の素性は断片であっても落葉に教えてはならない、と忠告されていたことを。


 そういえば、理由を聞いていなかった。

 この際だ。弟子である彼女にもひた隠しにしなくてはならない理由を聞いておこう。


「俊陰様。落葉は僕の弟子です。身内と言っても過言ではない関係。彼女には、素性を明かしても良いのではありませんか?」


「駄目だ。認めない。絶対に許さん」


「何故そこまで頑なに?」


「……落葉はな」


 一度言葉を止めた俊陰様は落葉が眠る寝室のほうを見やった後、難しい顔で、言った。


「……『月輪帝』という奏世師を崇拝しているのだ」


「…………マジですか」


「大マジだ」


 俊陰様は片手で顔を覆った。


「もしも君がその本人であると落葉が知れば、面倒なことになる。間違いなく、舞い上がるぞ」


「やる気に繋がるのであれば、構わないのですが……」


「馬鹿を言うな。弊害が大きすぎる。あの子はとにかく口が軽いんだ。私の師匠は月輪帝なんて口ずさみながら、その辺りを歩き回ることになる」


「それは困りますね……」


 僕は戦々恐々とした。

 仮に落葉がそんなことをしようものなら、僕の死に直結する。鎖国を敷いている三日月ノ国において、外国からの来訪者は例外なく排除されてしまう。


 僕が国外の人間であると知られてしまったら……斬首だろう。

 約束も果たせないまま死ぬなんて御免だ。冗談じゃない。


「君の活躍はこの国にも入ってきており、落葉もそれを聞いていた。自分が目指す世界の頂点。憧れるのは、自然なことだよ。特にあの子は子供だからな」


「そういえば、どうしてこの国に僕のことが? 鎖国なら、情報も遮断されているはずでは」


「鎖国になったのは二年前だ。それ以前は他国との交易もあったので、情報が入って来ていたのだよ」


「……あの、俊陰様。ということは、もしかして」


 二年よりも前は他国と繋がっていた。

 そのことから考えられる危険性を、僕は尋ねる。


「この国には、僕の顔を知る者がいる可能性もあるのでは……」


「いや、それはないだろう」


 僕の心配を俊陰様は否定した。


「鎖国が決まってから、帝は大規模な異国人狩りを行ったのだ。国内の隅々まで、徹底的に調べ上げて。国民を総動員して狩りつくしたので、君を知る者はいないはずだ」


「安心……とも言えないですね。万が一バレてしまったら、僕も狩られてしまうわけですから。捕らえられた人たちは皆、死刑ですか?」


「いや、帝も流石にそこまで非情な方ではない。全員、祖国に強制送還した……まぁ、今捕らえられた場合は、死刑だろうが」


「恐ろしい……」


「まぁまぁ。何かあれば、私たちが守る。君は引き続き、落葉に稽古をつけてやってくれ」


 バシッ!

 と俊陰様は強めに僕の背中を叩いた。


 不安は大きい。

 素性がバレたら、僕の命は終わりだ。


 特に、弟子である落葉にはバレないようにしないと。推察することができる、僅かな情報も駄目だ。過去のことを語る時は、特に気をつけねば。

 僕の素性は絶対に、隠し通す。


「親に捨てられてから山奥で奏世師の修行をしながら暮らしていて、魚を取りに海に出たら難破したって設定にしてあるけど……もっと考えたほうがいいか。今のままだと穴があり過ぎるし……」


 と、僕が自分の偽りの素性について、顎に手を当てながら再考していると。


「彗明君」


 俊陰様が僕に問うた。


「落葉には今、どんな稽古をつけているんだ?」


「えっと……そうですね……」


 困った。何と説明すればいいのだろう。

 僕が落葉に行っている修行内容を伝えるのは、とても難しい。流石に、馬鹿正直に幻奏世界で殺しまくってます、なんて言うわけにはいかない。

 もっと別の言い方を。角が立たないように……。


 少し考えた末、僕は修行の詳細をぼかして伝えた。


「僕と勝負をしています」


「それは、唄で?」


「はい。互いに幻奏世界を奏で、ぶつけ合っています。修行方法は色々ありますが、やはり実戦に勝るものはありませんから」


「一理ある。たが未熟な落葉では、君の相手にもならないだろう」


「勿論、彼女の実力に合わせていますよ。まぁ、それでも私には勝てていませんが……今は」


「今は、か」


「はい」


 僕は頷いた。


「落葉の才覚であれば、いずれは僕の世界を殺すことは可能です。他家の奏世師を打ち負かし、第一位の座に昇り詰めることも」


「そうか……どうも、娘を随分と高く買ってくれているらしいね」


「それは勿論。高く買っていなければ、彼女を弟子にしていませんよ」


 やる気は十分。向上心もあり。呑み込みも早く、多少弱音を吐くことはあっても、人一倍努力することができる。そして、成長も早い。

 今後も険しい道のりは続くけれど、落葉であれば必ず乗り越え、立派な奏世師に成長してくれることだろう。

 いや、成長してくれなくては困る。


 ここまでの話を聞いた俊陰様は何処か嬉しそうに、満足そうに笑い……ふと、夜空を見上げた。


「しかし、少しばかり複雑な気分だな」


「複雑、ですか?」


「だって、そうだろう? 偽りとはいえ私よりも先に、娘が──死を経験しているのだから」


「っ!」


 死。

 俊陰様が告げた単語に、僕は少し驚き問い返した。


「ご存じでしたか。奏世師の戦いの、決着を」


「妻は奏世師だったのだぞ? 知っているさ、当然……落葉は泣かなかったか?」


「大泣きしていました」


「だろうな。妻も、初めて幻奏世界で死を経験した時は大泣きして、眠れなかったそうだ。君もかい?」


「僕は、もっと酷かったですよ」


 今から十年以上前、偽りの死を初めて経験した時のことを思い出した。


「僕は一人で死を体験したんですが……胃の中のものを全部ぶちまけて、のたうち回って、頭を木に打ち付けて。それでも冷静になれなかったので、最終的には冬の川に身を投げて、何とか落ち着きを取り戻しました」


「待て、一人だと?」


「えぇ。僕は自殺したんです」


 絶句する俊陰様に、僕はそんなことをするに至った経緯を語った。


「当時の僕は壁にぶつかっていました。高位の創唄を上手く奏でることができなくて……殻を破るためには、先に進むためには、精神を鍛えることが必要だと考えました。そして、僕は幻奏世界で、自分で自分を殺した」


「随分と、厳しい修行をしたんだな……何度死んだ?」


「五万を超えてからは、憶えていませんね」


「ご……ッ!?」


 異常な回数だとは自分でも思う。

 手練れの奏世師は皆、最低でも五回は幻奏世界での死を経験し、己の精神を鍛える。


 だが、僕ほど多くの死を経験する者はいない。

 偽りの死とはいえ、何度も繰り返すと精神が壊れてしまうから。


 でも……この非常識な修行が、僕を強くした。

 精神の崩壊を乗り切ったことによって、他者とは一線を画す、強い世界を手に入れた。


「膨大な死亡回数は僕を強くしました。幻奏世界は、奏世師の精神が強固であるほど強くなる。僕が奏でる世界は、誰にも殺せないでしょう」


「強引な鍛え方だな……」


「そうですね。勿論、落葉にここまでのことをさせるつもりはありません。この修行はあくまでも、彼女が龍奏を習得するまで」


 殺される前に殺せ。

 死にたくないなら死ぬ気で戦え。

 食われるだけの獲物ではなく、食い殺す獣になれ。


 これが、僕の教えだ。

 この心構えを学び、龍奏を習得すれば、間違いなく落葉は他の奏世師と渡り合える。傍には僕もいるから。


「……甘く美しい顔に似合わず、心は鬼神だな」


「落葉にも、何度も鬼と言われましたね」


「そうか。だが、成長するなら鬼の下のほうがいい。今後も落葉には厳しく頼むよ」


「えぇ、おまかせを」


 手を抜く気は毛頭ない。

 勿論、鞭だけではなく、沢山の飴も与えるつもりだ。厳しいだけでは、人は育たないから。


 話を終えた時には、随分と時間が経過していた。

 明日に響くため、早く風呂に入ってしまおう。

 俊陰様の傍から立ち去り、僕はいそいそと、風呂場に向かった。

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