第14番 愛弟子の特徴

「うぅ……ふ……っ……んぐ──ッ」


「はいはい、よく頑張ったね。偉い偉い。落葉は良い子凄い子頑張る子~」


 一日の修行を終えた、日付が変わったばかりの深夜。

 縁側に座り夜風に当たっていた僕は、先ほどから僕の胸に顔を押し当てて大泣きしている落葉を慰め、彼女の頭を何度も撫でた。


 本日の修行の結果がこれだ。

 当初から明らかに無理をしている様子ではあったが、中断を申し出ても落葉は頑として受け入れず、僕の世界に挑み続けた。


 殺されては立ち向かい、また殺されては立ち向かい、そうして繰り返すこと三十六回。流石に気力も体力も底を突いた落葉を見て、僕は『今日はここまで』と終了を宣言。


 その途端、気持ちが緩んだのだろう。

 疲労や恐怖、悔しさなどが入り混じった表情を作り、落葉は泣きながら僕の胸に突撃してきた。


 腕を僕の背中に回し、胸に顔を強く押し当て、様々な感情を一気に吐き出し……そのまま、かれこれ一時間ほど。僕に抱き着いたままだ。

 絶対に離れないという意思が感じるほど、強く抱きしめている。


「落ち着いた?」


「……」


 試しに尋ねるが、落葉はすぐに頭を左右に振った。

 どうやら、まあ駄目らしい。


 僕は少しだけがっかりしたけれど、拒絶することはできない。

 落葉がここまで体力も精神も擦り減らしているのは、僕の修行が根本的な原因なのだ。受け入れる以外の選択は、僕にはできない。


 流石に初日から死に過ぎたな。

 落葉はもう死ぬのは怖くないと、あの『がしゃどくろ』は怖くないと言っていたけれど、そんなわけない。あれは虚勢だ。怖くないはずがない。


 だって、彼女の何千倍も幻奏世界で死んでいる僕ですら、未だに死は怖いと思うのだから──ん?


「あれ、落葉?」


「……………………すぅ」


 二度目の呼びかけ。

 それに対する落葉の返事は、可愛らしい小さな寝息だった。軽く揺すって見ても起きる気配はない。


 どうやら、大泣きしたのが止めになったらしい。

 疲れて眠ってしまったようだ。


「当たり前か」


 落葉を起こさないように小声で呟き、僕は彼女を横抱きにかかえて立ち上がった。


 今日はこれまでで最も大変な修行をしたのだ。体力も精神力も、大きく削られる過酷なことを。


 明日も、明後日も、その先も、今日と同等の……いや、それ以上に辛い修業が続く。休める時に休ませてあげよう。疲労を、明日に引きずらないように。


 廊下を歩き進み、到着したのは落葉の私室。

 既に就寝の準備が整られた部屋の中央に敷かれた布団の上に落葉を安置し、年齢相応に子供らしい寝顔を少し眺め、僕はすぐに退室した。


 おやすみ、落葉。

 眠る弟子に、そう言い残して。


「さて……僕は風呂にでも──」


「修行はどうだい、彗明君」


「!」


 両腕を上げて大きく伸びをした時に掛けられた声に、僕はそちらに身体を向けて頭を下げた。


「これは俊陰様。もう夜も深いですが、まだ起きて?」


「年を取ると寝つきが悪くてね。最近は日付を跨いでも起きていることが多いんだ……落葉は眠ったか?」


 廊下の奥から杖を突きながら歩み寄ってきた俊陰様の問いに、僕は頷く。


「ほとんど気絶に近かったですが。今日は普段よりも厳しい修業をしたので」


「そうか。まぁ、厳しくないと位決めの儀を勝ち抜けるようにはならないだろう。いや、その前に兼雅との決闘があったな」


「それに向けて、頑張っているところです」


「成長はしているかい?」


「少しずつではありますが、しっかりと」


 落葉が眠る部屋の前から離れ、杖を突いているために移動速度の遅い俊陰様と並んで廊下を進みながら、僕は愛弟子について話した。


「この二週間で、落葉について色々とわかりました」


「ふむ、どんなことを?」


「彼女は弱い自分を隠そうとする癖がある」


 言って、僕は修行中の出来事を思い返した。

 もう死なんて怖くない。

 落葉がそう叫んだ時のことを。


「もっと正確に言えば、負の感情を別の感情で誤魔化すことが多々ある。特に、恐怖を感じた時は怒りで誤魔化し、虚勢を張って、自分を強く見せようとする。無理をし過ぎるというか、あれは……失望されることを極端に恐れているというのが適切でしょうか」


 落葉は一度、正直に言った。

 逃げ出したい、と。


 その時の彼女の声と表情は、修行そのものを恐れているというよりも……この言葉を口にしたことによって、僕に失望されてしまうことを恐れていたように思えた。


 これはきっと間違っていない。

 僕が笑った途端、彼女はホッと安心していたから。


 ……まぁ、その虚勢も修行が終わった後には綺麗に剥がれ落ち、僕の胸で大泣きしていたけれど。

 でもそれは、僕が弱音を吐いただけでは見捨てないと理解した故の行動なのだろう。少しくらい甘えてもいいと思えたからこその。


「よく見てくれている」


 僕の観察結果に、俊陰様は満足そうに頷いた。


「あの子は、妻が先立ってから失望の目を向けられ続けてきた。歴代最強と名高かった奏世師の娘なのに、何も受け継ぐことができなかったから。あの子を見た何十人、何百人もの人間が、あの子に失望の目と言葉を注いだ。あの夕雨の娘が、これかと」


「……」


「最初の頃は凄く落ち込んでいた。けれどいつの頃からか、誰かに失望された日は無我夢中で琴に向き合うようになった。表情に怒りを宿し、涙を流しながら、心の傷を誤魔化すように、必死に」


 防衛本能のようなものなのだろう、と僕は思った。

 心の傷が発する痛みから逃れるために、怒ることを覚えた。

 虚勢を張り、自分を偽ることを覚えたのだ。

 そして、あの虚勢の意味は、心の傷から逃れるためだけではない。


「これ以上失望されたくないから、強い自分を演じたんですね」


「失望されるのは誰だって辛いだろう。周りの視線は剣のように鋭く突き刺さり、加えて、周囲の期待に応えられない自分が悪に思えてしまう。あの子の虚勢は……心の傷と負の感情を誤魔化すためと、失望されたくない強い想いの表れなんだ。特に、落葉は君に失望されることを恐れている」


「えぇ……伝わっていますよ」


 修行を開始したばかりの二週間前は、特に感じた。

 失望されたくない。見捨てられたくない。

 私を捨てないで。見放さないで。幻滅しないで。


 表情、視線、声、言葉。

 彼女から齎されるあらゆる情報の断片に、縋るような想いを感じられた。


 大勢の人に失望されて、傷つけられて、ようやくできた師匠だ。

 いなくなってほしくないと思うのは、当然だ。


 今も感じる時はあるけれど、以前よりは少なくなった。

 ということは、少しは信頼を得られているということなんだろう。


「彗明君」


 改まって僕の名を呼んだ俊陰様は、僕に向かって頭を下げた。


「落葉はとても手がかかる子だとは思うが……これからも、よろしく頼む」


「……頭を上げてください、俊陰様」


 改めてお願いされなくても、僕の心は決まっている。

 笑い、両目に確かな決意とやる気を宿し、僕は俊陰様に返した。


「ご安心ください。僕が落葉を見捨てることはありません。必ずあの子を──頂点まで導いて見せます。『月輪帝』の名にかけて」


「……頼もしいこと、この上ないよ」


 僕の宣言、誓い。

 それを聞いた俊陰様は、とても嬉しそうに笑った。

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