第13番 君を殺す
がしゃどくろが落葉の首を落としたことを確認した僕は『月桜』を奏でる手を止め、暗闇の世界を消した。
幻想世界の消滅に伴い、現実の世界が蘇る。
見上げれば空には月と星、極光が輝いており、周囲を見回せば双命家の屋敷。冷たい夜風も、池の水音も、夜鳥の鳴き声もある。五感が捉える全ての情報が、現実世界に戻ったことを理解させた。
「当たり前だけど、いい気分じゃないな……弟子を殺すのは」
ズキッ。
胸に、心に走った鋭い痛みに一瞬顔を顰めた僕は溜め息を吐いた後、手元の『月桜』を畳に置いて立ち上がった。
向かう先は、正面にいる落葉の傍だ。
首は切断されていない。
しっかりと胴体と繋がっており、一滴の血も流れていないし、傷跡だって存在しない。ただ、背中を丸めて俯き、意識を失っているだけだ。
身体に異常は、全くない。
目を覚ませば、修行は続けられるはずだ。
意識を飛ばしたままの落葉の傍で膝を折った僕は彼女の肩を掴み、軽く揺すり、声をかける。
「起きて、落葉」
「…………………うっ」
僕の声と身体の揺れで意識を覚醒させたらしい。
落葉は小さな呻き声を上げ、視界を閉ざしていた瞼を持ち上げた。
「あれ……ここは?」
「双命家の庭だよ。身体に問題は?」
「身体? なん……ぁ」
僕に問われ、途端に思い出したらしい。
自分がどうして意識を失ったのか。そうなる前に、自分が一体何を見たのか。
落葉は瞳孔を揺らし、震える手を首に添えた。
「あれ、私……首を斬られたはずじゃ──いやそもそも、なんで生きてるの? 死んだはずじゃ……」
「君はちゃんと生きてるよ。その証拠に──」
「そんなわけないッ!!」
否定を叫んだ落葉は冷静さを失った様子で頭を左右に振り、呼吸を酷く乱し、傍にいた僕に抱き着いた。
両腕を僕の背に回し、そのまま、痛みを感じるほど強く抱きしめる。
「私は確かに、首を落とされて……憶えてる、感覚もある、自分の首が落ちた音も聞いた。生きてるはずがない。私は絶対に死んで……」
「落ち着いて、落葉。ゆっくり息を吸うんだ」
現実を受け止めることができずに動揺している落葉は過呼吸になりながらも、ブツブツと呟き続ける。
まずは彼女を落ち着かせなくては。
その一心で、僕は落葉の背を撫で続ける。汗を吸い、かなり湿った着物を。
「大丈夫、君は生きてる。呼吸はしているし、心臓も動いている。君の存在は僕が保証するよ」
「ハァ……ハァ……」
「そう。ゆっくりと呼吸をするんだ。吸って、吐いて……」
言い聞かせると、落葉は僕の言葉に従い、深呼吸をして息を整える。
吸って、吐いて、吸って、吐いて。
何度も繰り返している内に、段々と呼吸の律動が正常に戻ってきた。
伝わってくる心臓の鼓動も緩やかになり、身体の震えも止まりつつある。僕を抱きしめる力も弱くなった。
落ち着いてきたか。
落葉の様子からそう判断した僕は彼女の背中を軽く叩き、何が起きたのかを話し始める。
「落葉。君はついさっき、僕の幻奏世界で死んだ……いや、僕が殺した」
「私、生きてるんじゃないんですか?」
「君が経験したのは偽りの死だ。幻奏世界での事象は、全てが虚妄だからね。唄が鳴りやみ、世界が消えれば、そこで起きた全ては消え去るんだ。君の死も」
「……師匠」
トン。と、落葉は僕の胸に額を押し当て、問うた。
「……なんで、私を殺したんですか」
「それが修行だからだよ」
僕は落葉の背中を撫で、続ける。
「僕が君に課す課題は──あの『がしゃどくろ』を殺すことだ。君の唄で、僕の世界を殺せ」
「私に……あの怪物を、殺せるんですか?」
「それは君の努力と成長次第だ。でも、憶えておきなさい。君が奴を殺さないと、奴は君を殺し続ける。いつまでも、いつまでも」
「……ッ」
思い出したのだろう。
首を刎ねられる感覚を。味わった恐怖を。
ごくり。
生唾を喉に通し、落葉は僕の背中に回していた腕を下ろした。
「殺さない、と……私は殺され続ける」
「そうだ。勿論、幻奏世界での死は現実に反映されないけれど、だからこそ、いつまでも続く」
「……何回死ぬと思いますか?」
「正確なことはわからない。だけど、僕の予想では──ざっと千回は死ぬかな」
「千回……」
途方もない回数だ。
通常、人間が人生で経験する死は一回のみ。
その千倍。あるいはそれ以上の恐怖を、これから落葉は味わうことになる。
拷問なんて言葉が生温く感じるほどの、地獄の修行だ。
並みの精神力しか持たないものなら、一度で逃げ出すことだろう。
でも、落葉は──。
「馬鹿なことを言ってもいいですか?」
「許そう」
「逃げ出したくなりました」
大きな恐怖と絶望を滲ませた声で言った落葉に、僕は苦笑して返す。
「別に馬鹿なことじゃない。当然の感想だ」
「……今すぐにこの場から走り去って、布団の中に隠れたいです」
「してもいいよ。僕がすぐに連れ戻すけど」
「泣き喚きたいです」
「それですっきりするなら泣けばいい。泣いたところで変わらないけどね」
「師匠は鬼です」
「鬼になると決めたって言っただろう」
「幻奏世界でとはいえ、弟子を殺すなんて最低です」
「そうだね。でもそれがいずれ、君に最高の結果を齎すことになる」
「……なんで言い切れるんですか」
落葉の問いに、僕はすぐに答えた。
「怪奏──
「つまり……私が『がしゃどくろ』を倒すのは、私が龍奏を習得した時」
「そう。事前に君に教えた、兼雅との決闘で奏でる龍奏──
それが意味すること。
即ち──落葉が『がしゃどくろ』を倒した時、彼女は一流の奏世師となり、兼雅を打ち破り、位決めの儀で他家の奏世師と対等に渡り合える実力者になっているということなのだ。
示された茨の道。超えなくてはならない、最初の試練。
僕がそれを用意した意味を理解した落葉は小さく息を吐き、言った。
「……鬼畜」
「え?」
落葉がポツリと呟いた言葉。
聞き返すと、彼女はガシッ! と僕の襟元を強く掴み、目尻に涙を浮かべ、更には怒った表情で言った。
「龍奏はどれだけ天才であっても習得には一年を要するって言っていませんでしたか!?」
「い、言った。言ったよ、うん。でもそれは、あくまでも普通の修行であって──」
「私に一年間は殺され続けろって言っているんですか!!」
「だ、だから君なら、この修行をすれば二ヵ月以内に習得できると──」
「短期間で龍奏を習得させるためなら、可愛い弟子を恐怖のどん底に陥れて、大泣きさせて、心をボロボロにしても良いとお思いなのですか!!」
「ぐ、ぐぅ……」
僕は何の反論もできなかった。
酷いことをしている自覚はあるのだ。
落葉のために、成長のために、夢を叶えるために。そんな思いがあるのは確かだが、それにしても死を経験させるのはどうなんだと、良心が訴えていることも事実。そこについては、非難されても仕方ない。
けれど……死を間近に感じたものが、常識では考えられないほどの成長を遂げることも、また事実なのだ。実際に僕がそうだったし、世に強者と呼ばれる奏世師は皆、幻奏世界での死を経験している。何百回、何千回、何万回と。
頼りないかもしれないけど、誰かを指導した経験のない僕は、師としては半人前もいいところだ。
自分がこれまでに積み重ねてきた経験に基づいた指導しかできない。人に合わせた指導内容を考えるなんて、器用なことはできないのだ。
それでも、やるしかない。
僕はこの方法が最も早く彼女を成長させると信じている。
文句を言ってもいい、恨んでもいい、激怒してもいい。
けれど、どうか、僕の指導を受け入れて──。
「私は千回殺されると言いましたか」
突然の問いに、僕は咄嗟に頷いた。
「え? あぁ、うん。確かにそう言ったけど……」
「絶対に千回も殺されません」
「へ?」
どういうこと?
僕が素っ頓狂な声を上げると、落葉は掴んでいた僕の襟首を離し、畳の上に置かれたまま放置されていた『双子百合』に触れた。
「絶対、絶対、千回殺される前に龍奏を習得して見せますッ! 私と『双子百合』なら、絶対に出来ますッ! 絶対にあの髑髏を──ぶっ殺してやりますからッ!!」
「……ハハ」
怒りと気合が入り混じった落葉の声を聞いて、僕は思わず笑ってしまった。
先ほどまでの恐怖と絶望に塗れた表情ではない。宿っているのは、大きな悔しさと、強い復讐心。死への恐怖は、もう微塵も見られない。
全く、この子に才能がないとか、弱いとか言ったのは何処のどいつだ。
少なくとも僕は、こんなに強い心を持ち、尚且つ才能を有した乙女は見たことがない。
もしかしたら、落葉が僕の世界を殺すのは、二ヵ月後ではなく一ヵ月後かもしれない。そんな気さえしている。
「師匠ッ! 早くあの生意気な髑髏を出してくださいッ! もう死なんて──怖くないんですから!」
「はいはい。わかったよ」
やる気があるのは大変結構。
なら師として、とことん付き合おうか。
畳に戻り、再び月桜を手に取った僕は愛弟子の要望に応じて、再度暗闇の世界を奏でた。
尚、本日の落葉死亡回数──三十六回。
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