第12番 唄の修行
砂浜海岸での特訓が終わり、時間が流れ、限りなく夜に近い夕暮れ時。
「落葉。これから創唄の修行をするわけだけど……その前に、少しおさらいをしようか」
双命家本家。
陽が沈み、宵月が姿を現した暗い空が頭上に広がる庭園。
敷き詰められた砂利の上に敷かれた畳に正座をして座る落葉に、僕は以前教えたことを問うた。
「奏世師が創唄を奏で、世界を創るための条件は?」
「えっと……」
少し考え、落葉は質問に答えた。
「空に月が存在しており、その光が地上に注がれている状態にあることです」
「正解。創唄によって創られる世界──幻奏世界の源になるのは、月の光だ。それがないと、幾ら神奏楽器を弾き鳴らしたところで唄の世界は生まれない。従って、奏世師が己の力を発揮できるのは宵月が昇ってからということになる。これが、奏世師が『宵月の奏者』とも呼ばれる由縁だ──『双子百合』を」
「はい」
僕の指示に従い、落葉は両手を眼前に突き出し──念じて、一つの琴を顕現させた。
とても美しい琴だ。
金色に輝く七本の弦。
純白の甲には水滴を纏う桃色の百合が二輪描かれている。光沢を持つ表面には傷一つなく、輝かしい。この世界に存在する全ての琴の頂点であると言われても、誰もが納得するほどの神々しさ。
これが、『双子百合』。
落葉が双命家先代当主である母親から継承した、
美しい。
落葉が召喚した『双子百合』を見下ろし、胸中で呟いた後、僕は続けた。
「今は東の空に三日月が昇っているから、幻奏世界を創る、一つ目の条件は揃っているね。けど、これだけでは不十分。もう一つ、とても重要な条件があるのだけど……それは?」
「……創唄を奏でる奏世師が、世界を創りたいという明確で強い意思を持つことです」
「その通り」
僕は肯定した。
「神奏楽器と奏世師は、精神が繋がった相棒と言っても過言ではない関係。世界を創りたいという強い意思がなければ、神奏楽器は応えてくれない。そして、その意思が強ければ強いほど洗練された世界になる。他者の心に響き、また容易には壊されない──いや、他の世界に殺されない、強い世界に」
説明、おさらいを終えた僕は右手を掲げて神奏楽器──『月桜』を召喚。
僕の求めに応じて虚空より顕現したそれを掴み、胸に抱き、滑らかな面を指の腹で撫で、落葉の対面に敷かれた畳に胡坐を掻いた。
僕たちの間にある距離は、歩幅に換算すれば十歩分。
少し声量を上げ、落葉に言う。
「落葉。今日から行う創唄の修行は──対戦だ」
「対戦……それはつまり、師匠と私が戦うということですか?」
「そういうこと」
「ま、待ってください師匠!」
僕が告げた、これから行う創唄の修業。
それを聞いた落葉はとても焦った様子で言った。
「戦うって、私はまだ、まともに師匠と戦えるほど創唄を奏でることはできませんよ?」
「そんなことはわかっている。今の君と僕が普通に戦ったら、五秒と経たずに決着はつく。僕の圧勝だ」
「なら──」
「ちゃんとやり方は考えているから、心配しなくていい。まぁ──何度も死ぬことにはなるけどね」
「え? それはどういう……」
落葉の疑問には敢えて答えなかった。
これから何をするのか。それを知ってしまうと、恐らく彼女は怖気づいてしまうから。
まずは何も知らない状態で見せ、体験させる。
そのほうが説明の手間が省けるし、何より彼女が理解できる。体験に勝る説明はない。
口を結んだ僕は構えた『月桜』の弦に指を掛け──。
「
これから落葉を恐怖に叩き落とす、世界を奏でた。
◇
師匠が奏でた音は、とても低く、また緩やかな律動の音だった。
お世辞にも美しいとは言えない音色だ。聴き触りの良いものでもない。
不気味で、不吉。これから何か、恐ろしい事象が起きるのではないかと想起させる、恐怖を現したような音色だ。
師匠はどうしてこんな音を奏でた?
彼はこれから、どんな世界を奏でるつもり?
どうして教えてくれないの?
どうして答えてくれないの?
口を結び、声を発さず、琵琶の弦を弾き音を奏でるだけなのは、何故?
様々な疑問と師匠に対する不満が思考を満たしていく。
すると、その最中──幻奏世界が誕生した。
「……なに、この世界」
変貌した周囲の景色を、創られた偽りの世界を見回し、私は思わず顔を顰めた。
恐ろしい世界だ。彼方まで広がるものは、暗闇だけ。
一寸先も見ることができない、完璧な闇だ。空にも星や月、極光はなく、自分が今何処にいるのかすらわからなくなる。
視界に映っているものは少ない。
琵琶を弾き鳴らす師匠の姿と、自分自身。そして、『双子百合』。
人と神奏楽器のみが、私の視界には存在している。その他は全てが闇だ。
以前、師匠が奏でた二つの幻想的で美しい世界とは大違いな世界。
こんな世界も奏でることができるのか、と感嘆してしまう。
異様で、異質な世界。
師匠はどうしてこんな世界を奏でたのだろう。創ったのだろう。
どんな意図があって、こんな──。
「──出ろ」
困惑していると突然、師匠が普段とは違う低い声で命じた。
その直後──それは、現れた。
「なに、あれ……」
出現したそれを見上げ、私は目を見開いた。
辺りの闇とは対極に、構成する全ての骨が白い、巨大な怪物。
名前は確か──『がしゃどくろ』。
古くから多くの人に知られている、恐ろしい骨の化け物だ。死した人間の成れの果て。怪異そのもの。
「ひ──ッ」
巨大な髑髏が地を這ってこちらに近付き、私は息を飲んだ。
あれがこっちに来る。近づいてくる。
嘘、嘘、嘘、嘘、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘──ッ!
一歩、一歩、また一歩。
距離を殺して迫る髑髏に、私の頭の中から冷静という言葉は吹き飛んだ。
思考と心の全てが恐怖で支配される。
嘘でしょ。なんで。どうして。怖い怖い怖い。助けて。近寄らないで。
逃げたい。逃げ出したい。駆け出したい。距離を取りたい。ここから離れたい。
でも、駄目。身体が動かない。足が言うことを聞かない。
冷や汗を掻いて、微細に痙攣して、恐怖に引き攣るだけで、硬直したまま。
師匠、なんでこんなことを!
早くその怪物を消してください!
そんな訴えを孕んだ視線を師匠に向けるけれど、彼は琵琶を奏で続けたまま、僅かに細めた冷たい視線を返すのみ。助ける気は毛頭ないらしい。
「な──で……ッ」
眼前、長大な腕が伸ばされれば容易に届く距離まで近づいた髑髏を見上げる。
過呼吸になった。涙が止まらなくなった。震えが止まらなくなった。
何もできない。動けない。
巨大な存在を前にして、私は自分の矮小さを実感した。痛感した。
ちっぽけで弱い私を見下ろし、髑髏はカタカタと、寒さに震える人のように歯を打ち鳴らし、空っぽの頭を左右に揺らして、片腕を振り上げた。
鋭利な刀のように鋭い五本の爪を携えた、腕を。
「……助けて」
絶対的な強者を前にした懇願。
しかし、それが受け入れられることはなく──髑髏が無情に振り下ろした腕は、爪は、私の首を容易く刈り取った。
命を、摘み取った。
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