第11番 基礎体力の向上を
「ぜぇ……ぜぇ……し、師匠。もう、無理です……っ」
白波が立てる音が鼓膜を揺らし、海風が身体を撫でる砂浜海岸。
水平線の彼方にまで広がる雄大な海が一望できるこの場所に、自然の音に混じって落葉の息も絶え絶えな声が聞こえた。
「た、体力が尽きました……きゅ、うけいを……」
「はい、弱音を吐いたから三往復追加ね」
「鬼ですか……ッ!?」
「間違ってないね。君を立派な奏世師にするために、僕は心を鬼にすると決めたから。ほら、早く」
「そんなこと言われても……」
僕は落葉が走ってきた方角を指さして急かすが、彼女は涙目になってその場に膝をついた。
「もう朝から海岸を十往復しているんですよ? これ以上は、無理、です。足が言うこと聞きません。ここで走り出したら、両足が家出してしまいます」
「足が家出するって何?」
「とにかくもう走れませんっ! 師匠の修行は厳し過ぎます!」
「だから厳しいって事前に言ったし、逃げ出したくなる時もあるって言っただろう」
やれやれ、この弟子は全く。
次々と弱音を零す落葉に呆れの溜め息を吐き、僕は腰に下げていた竹の水筒を彼女に差し出した。
中には、冷えた水が入っている。
「まぁ、十往復でも想定よりは走ったし、良しとしようか。はい、水」
「あ、ありがとうございます」
僕から水筒を受け取った落葉はすぐに栓を抜き、飲み口に唇をつけ、中身の冷水を勢いよく喉に通した。
宴会場であれば拍手を受ける良い飲みっぷり。
止まることなく喉を鳴らし続けた落葉は瞬く間に中身を空にし、プハ、と満足そうに息継ぎした。
「生き返りました……」
「生き返った? なら、すぐに走って──」
「ま、まだ死んでいますッ! 満身創痍です! すぐに休まないと本当に取り返しのつかないことに──」
「わかった、わかった。休憩していいから、僕の話を聞きなさい」
「わ、わかりました」
これ以上は走らなくていいことに安堵の息を吐いた落葉。
僕は彼女を見下ろし、問うた。
「落葉。君を弟子に取り、指導を始めてから二週間が経ったわけだけど……今の君に最も足りないものは何か、わかってる?」
「えっと……一人で
「体力だよ」
僕は人差し指を立て、説明する。
「世界を創造する創唄は、奏でるのに尋常ではないほどの体力と精神力を要する。一つの唄を最初から最後まで奏でれば、大抵の奏世師は着物が汗で重くなり、呼吸の仕方も忘れるほどに息切れする。まともに立ち上がることすらままならないことも珍しくない。それは落葉も、この二週間で学んだだろう?」
「はい。師匠と一緒に創唄を奏でた後、疲れすぎて池に落ちました」
「え、初耳なんだけど?」
僕のいないところで何をやっているんだこの子は……いや、それはおいておき。
こほん。咳払いをし、僕は落葉の額を軽く小突いた。
「とにかく、技術の向上も重要ではあるけど、それ以上に落葉は体力をつけなくてはならない。現状だと、兼雅との決闘は惨敗だ。まともに世界を維持することすらできずに敗北する」
「それは……嫌ですね。絶対に」
「なら、弱音なんて吐いている暇はないよ。それに兼雅に勝利するのは目標の通過点に過ぎないんだ。双命家の代表になった後は、他家の代表奏世師との直接対決。開幕、いや開戦まで三ヵ月もない。修行中は、僅かな時間も無駄にしてはならないよ」
ただでさえ無茶な挑戦をしているのだ。
素人に毛が生えた程度の半人前の少女を、たった三ヵ月で一流に育て上げ、他家の超一流の奏世師を打ち負かそうなんて、誰が聞いても無理だと言うことだろう。
この無謀な挑戦を成功で終わらせるためにも、目標を達成するためにも、時間は無駄にできない。
勿論休息を取ることも大切なことはわかっているが、頑張るところは、限界まで頑張らないと。
「ほら立って、落葉。あと一往復でいいから走るよ」
「え……あの、負けたくないと言った手前あれなんですが、もう体力が──」
「水を飲んだし、少しは回復しただろう。軽く走るくらいでいいし、僕も一緒に走ってあげるから」
「……はいぃ」
渋々立ち上がった落葉は肩を落とし、憂鬱そうに溜め息を吐いた後、僕と並んで砂浜を駆け始めた。
速度は緩やかだ。当初の半分以下であり、僕からすれば全く疲れない程度。
けど、これでもいい。
遅くても、頑張ることが大切だ。体力だけではなく、精神力を鍛えることができるから。寝転んだままいるよりも、百倍マシといえる。
「最終的な目標としては、僕と同じくらいの体力をつけることだね」
「具体的には、どれくらい、ですか?」
「速度を落とさずに砂浜海岸を二十往復した後に、創唄を連続で七つ奏でることができるくらい」
「ば、化け物ですか……」
「目標は高く設定したほうがいい」
「……ハァ……ハァ……あの、師匠」
息を切らしながら、落葉が僕に尋ねた。
「師匠は、どうやって……そんなに、体力を、つけたんですか?」
「僕は……山の中で育ったからね。麓から山頂まで全力で走るっていうのを、足が痙攣してまともに立てなくなるまで繰り返してた。勿論、毎日ね」
「ひ、ひえぇ……」
「ある程度の体力がついて慣れてきたら、今度は身体に重りを括りつけて走った。それも慣れたら、最後は創唄を奏でながら走る。僕はこのやり方で、体力をつけたよ」
「あ、あの、師匠?」
僕の話を聞いて、何かを察したらしい。
落葉は頬を引き攣らせ、自分の予想は外れていてほしいと祈っていることがよくわかる表情で、僕に問うた。
「もしかして……私にも、同じ特訓を、させるおつもりで?」
「……察しが良いね」
「冗談と言ってください師匠ッ!」
本気で僕がこなしてきた特訓をされると思ったらしく、落葉は顔を絶望に染める。
そんな彼女に笑い、僕は首を左右に振った。
「流石にやらないよ。確かに体力はつくだろうけど、あれは危険すぎる。僕も何度怪我をしたことか。体力はついても、演奏ができなくなってしまったら元も子もないからね。君には、別の修行を用意してある。僕は鬼じゃないからね」
「さっき自分のこと鬼って言ってたくせに……」
「え、なに。やってほしい?」
「そんなこと言ってないです!」
落葉は勢いよく頭を左右に振った。
反応が一々大袈裟というか、子供っぽいというか。見ていて飽きない子だ。
彼女の頭に手を置く。
「さっきも言ったけど、君には別の修行を用意してある。昔の、子供の頃の僕では行うことができなかった修行だ。これをやれば確実に、君は成長できる。しかも、短期間で」
「? どんな修行を?」
「それはまだ言わない。今夜──宵月が昇るまでのお楽しみだ」
言って、僕は落葉の背中を軽く叩いた。
「さ、少し速度を上げるよ。疲れているだろうけど、しっかりついてくること!」
「え、ちょ、待ってください師匠!」
走る速度を上げた僕に疲労困憊の落葉は文句を言いつつ、しかし置いていかれないよう一生懸命、僕の少し後ろを走り続けた。
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