第10番 君は今日から僕の弟子だ
景色を一変させた周囲に広がるのは、赤く、逞しく、凛と咲く彼岸花の花畑。
各所に点在する灯篭の内に灯るのは紫色の炎。
天上は深紅に染まり、落ち着いた雰囲気で満ちる夜の世界とは異なり、不気味で人々の不安を煽るような空気に様変わりした。
この世界を創り鳴り響く音色は重低音。
重く、荒く、しかし上品な律動で奏でられた音は、恐ろしい黄泉の入口にも似た世界を踊っている。
そして、深紅に染まった空を駆けるのは、巨大な赤龍。
硬質で煌びやかな赤い鱗に覆われた身体をうねらせ、縦横無尽に飛び回っている。
赤龍の通過によって引き裂かれた空気は風となり、地上を埋め尽くす彼岸の花々を揺らす。
赤龍が咆哮した。
自らの誕生を祝福する産声か。
ひとしきり空を飛び回った赤龍は天の頂に向けて、全てが震撼するほどの雄叫びをあげる。
その声は、この深紅の世界の支配者は彼であると、全ての者に理解させた。
「こ、これは……ッ」
「そんな物騒な刀は捨てなよ」
周囲の景色と頭上の赤龍を見て驚きの声を挙げていた兼雅に、僕は声をかけた。
「若い乙女の未来を否定するものじゃない。ましてや斬り捨てようなんて……恥を知れ。可能性を捨てるのは、愚か者のすることだ」
「……その羽衣」
彼岸花が咲き誇る大地を歩き、姿を現した僕が纏う半透明の羽衣を、兼雅は細めた目で見つめる。
「龍奏の演奏者が纏うもの……貴様が奏者か」
「見ての通りだよ」
「何者だ? 私は龍奏を奏でることのできる奏世師は全て記憶している。しかし、私は貴様のことを知らない。何処の家の者だ」
「何処の家の者でもない。ただ、何者かと問われれば、答えは一つ」
僕は落葉に向けて顎をしゃくり、告げた。
自分の素性を。
「落葉の師匠。これから彼女を──頂点につれていく先導者だ」
「師匠だと? 馬鹿な。彼女は黄道十二奏具の一つである琴を扱う。貴様が持っているのは琵琶だ。師になれるわけが──」
「やってもないのにできないというのは、もうやめたんだ。できるかどうかは、これから自分の目で確かめる」
兼雅から視線を外した僕は、彼の後方にいる落葉を見た。
「確かに、貴方の言う通り落葉は未熟。奏世師の卵と言っていいほど。けど、彼女には確かな才能がある。僕は、その才能に賭けたいと思った」
「随分と分の悪い賭けに出ようと思ったな」
「かもしれない。けど、少なくとも貴方よりは勝てる可能性があると思うよ。落葉はすぐに貴方を超えるだろうし、なにより、僕も一緒に出るのだから。ね?」
頭上で舞い踊る赤龍を見上げて呼びかけると、今一度、赤龍は大気を震撼させる咆哮を上げた。
龍奏は限られた奏世師にしか奏でることができない、究極の創唄。
これを目の当たりにしただけでも、僕が一体どれだけの力量を持つ奏世師なのかは察することができるはず。
情熱に溢れる奏世師であれば、対抗心を剥き出しにして自らも龍奏を奏でるものなのだけど……兼雅はそれをしない。本当に龍奏を奏でられるのかも、正直なところ怪しいな。
さぁ、これで引き下がるかな?
僕が手元の月桜を弾き鳴らし、世界を維持しながら答えを待つ。
と、両手を固く握りしめていた兼雅は悔しそうに歯噛みし……僕に言った。
「決闘をしろ」
「僕は既に世界を奏でている。戦いたいのなら、貴方も奏でれば──」
「今ではない。後日、位決めの儀と同じ形式──二対二で決闘をするのだ。どちらがより、双命家の代表に相応しいのか」
「……なるほどね」
真正面から僕とぶつかっても、僕の世界は殺せない。でも、未熟な落葉が一緒になれば話は変わる。お荷物がいる状態であれば勝てると、そう思ったのだろう。
浅はかな考えだ。
けど、受けて立つ。そして、驚かせて見せよう。
彼が馬鹿にした未熟な奏世師の卵が立派に成長したところを見せて。
「構いませんが、決闘は位決めの儀が始まる少し前にさせてもらいたい。修行の期間がいるので」
「たった三ヵ月足らずで何が変わるか……いいだろ──」
「貴方も気を抜かないほうがいい」
兼雅の言葉を遮った僕は演奏を止め、龍の住む彼岸花畑の世界を消し、口元を三日月に裂き──忠告した。
自分が勝つと信じてやまない兼雅を嘲笑いながら。
「当日の落葉は──貴方を噛み殺す虎に育っているからね」
「……ハッタリも一流か」
不機嫌であることがよく伝わる、敵意を宿した鋭い目で僕を睨んだ兼雅は最後に俊陰様と落葉に向けて一礼し、
「本日はお時間を頂戴し、ありがとうございました。決闘の詳細については、また後日」
そう言い残して、退室した。
まるで親の仇を前にしたような睨み方だったな。
兼雅が消えた襖を見つめながら考え、次いで、僕は正面に向き直る。
「申し訳ありません、俊陰様。勝手に話を進めてしまって」
「いや、構わない。それよりも──」
「いいのですか?」
俊陰様を遮り、僕のほうへと歩み寄りながら、落葉が問うた。
「本当に私を弟子にしても、いいのですか?」
「何を言ってる。君のほうから僕に頼んだんじゃないか。それとも、僕が師匠では不満かな? 実力の断片は見せたけど」
「い、いえ、不満だなんて滅相もありませんっ! ただ……」
ギュッと、着物の裾を握った落葉は、先ほどまで赤龍が飛び回っていた上を見て言った。
「私には、先ほどのような世界を奏でる実力がありません。彗明様の弟子に相応しい器では──」
「相応しいか、相応しくないか。それは君じゃなくて、僕が決めることだよ」
「え──んっ」
不安に駆られている落葉の頭に手を置き、僕は続きの言葉を口にする。
「今の落葉は奏世師としては未熟だ。三ヵ月弱で兼雅とやり合えるだけの実力をつけるためには、血の滲むような努力をしなくちゃいけない。苦しいし、辛いし、途中で逃げ出したくなる時も必ずある。弱い君には、それくらい厳しい修業が必要なんだ」
「……」
「でも、君なら乗り越えられる。才能もある。僕の弟子に相応しいかどうかで言えば……間違いなく相応しい。君以上の逸材は見たことないくらいだ」
「な、なんでそんなことが言い切れるのですか? まだ初めて会話してから、そんなに時間も経っていないのに」
「でも唄は聴いた」
僕は自分の耳を指さした。
「奏世師は何百時間の交流と会話よりも、数十秒の唄を聴いたほうが分かり合える。これは直感だけど、君の唄を聴いて確信したよ。間違いなく──君は才能の塊だ。絶対に大成する。だって──最強の奏世師である僕が直々に教えるんだから」
史上最高と呼ばれた僕と、確かな才能を持つ落葉。
成長しないわけがない。いや、無理矢理にでも成長させて見せる。
僕はこれから彼女に己の全てを叩きこむつもりだ。もしも、もしも、落葉がその全てを吸収し、己のものとしたのなら──位決めの儀を勝ち抜き、第一位の座に返り咲くのも夢ではない。
僕の指導力と、落葉の吸収力。
望んだ未来が手に入るかは、この二つ次第だ。
「落葉」
その場で片膝をつき、僕は落葉の右手を取った。
「約束する。今この瞬間から僕は君の師となり、奏世師としての全てを教え、君を頂点に導く。君が奏世師として大成できるよう、全力を尽くす。だから君も、全身全霊でついてきてくれ。どれだけ苦しくても、辛くても、逃げ出したくなっても。その苦労は必ず──報われるから」
「……」
じわ、と再び落葉の目尻に滲んだ涙。
それは感動、喜びの感情の表れ。暗黒だった奏世師としての未来に、一筋の光が差し込んだことに対する、正の感情が結晶となったもの。
次第に大きくなっていく雫。
しかし彼女はそれが零れ落ちる前に拭い、少しだけ赤みが差した目元のまま、大きく頷いた。
「はい! これからよろしくお願いします──お師匠様!」
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