第9番 来訪者

 屋敷の中央にある大広間──寝殿の間の中心には、見知らぬ一人の男が胡坐を掻いていた。


 若い男だ。

 身動ぎ一つしない彼は背筋を垂直に伸ばしており、厳格な性格が伝わる重い空気を纏っている。話しかけるどころか、視線を向けることすら躊躇われるほどの雰囲気。


 身なりは上等。

 貴族の正装である黒い束帯を着用しており、頭には同色の烏帽子。また右隣の床には黒漆と金の装飾が特徴的な刀が置かれている。

 装い、雰囲気、態度。

 その全てに威厳が感じられる。


「気難しい性格をしていることが一目でわかるな……」


 廊下から襖の隙間を除いて室内を覗き見ながら、僕は小声で呟いた。

 室内には入らない。これから中で行われるのは、双命家の今後に関する大切な話し合いなのだという。多くの者の未来を左右する重要な会談。

 そんな大事な場に、部外者の僕が立ち会うわけにはいかない。

 立ち入っていいのは、血族だけだ。


 本当ならば、こうして廊下で聞き耳を立てるような真似も望ましくないのだが……落葉から頼まれたのだ。

 どうか、廊下で待機していてほしいと。

 何故、落葉は僕にそんな頼みをしたのかはわからない。意図を汲み取ることもできない。何を考えているのかも。


 ただ、この会談は個人的にも興味がある。

 断る理由はないので、僕は喜んで頼みを承諾した。

 盗み聞きをする口実ができた、と心の中で喜んで。


「さて、兼雅かねまさ


 寝殿の間の最奥に敷かれた畳に落葉と並んで座る俊陰としかげ様が、姿勢を正したまま無言を貫く男に尋ねた。


「要望通り落葉を呼んだが……今宵は何用だ? 訪問ならばもっと早い時間に行うのが礼儀というものだぞ」


「申し訳ございません、本家当主殿。しかし、分家での代表選抜が少し前に終わりまして」


「代表選抜、だと?」


「はい。今年の位決めの儀に参加する、双命家の代表です」


 男──兼雅が告げた言葉に、落葉と俊陰様は驚きの表情を作った。


「何を勝手なことをしている。代表者の決定を、本家の人間なしで行うなど──」


「本家には位決めの儀で戦えるほどの奏世師はいるのですか?」


 突き放し、刺すような、鋭く冷たい声音で兼雅は続ける。


「本家が絶対的な権威を持っていたのは、先代当主の夕雨ゆうさめ様がおられたからこそ。あの御方が奏でる世界に、我々分家や他の名家が太刀打ちできなかったからです。しかし、彼女はもういない。実の娘に相伝の唄も伝えることができないまま、生涯に幕を下ろしてしまった。


 兼雅は落葉を見た。


夕雨ゆうさめ様から神奏楽器を継承したのは落葉様ですが……はっきり言って、貴女では実力不足です」


「……ッ」


「否定は認めませんよ。己の実力は己が一番理解しているはずです。唄を奏でることはできても、世界を奏でることのできない貴女では、位決めの儀を戦うことなど絶対にできません」


「まずは用件を言え、兼雅」


 両腕を組み、苛立ちを隠せない様子で言った俊陰様に、兼雅は『失礼しました』と一度頭を下げて謝った後、ここへ来た用件を告げた。


「双命家現当主、双命ノ俊陰様。どうか私を──双条ノ兼雅そうじょうのかねまさを、位決めの儀、双命家代表奏世師として御認めください」


「……本気か」


「勿論」


 兼雅は頷きを返した。


 一連の話を聞いて、僕は『なるほど』と納得した。

 要するに、焦っているのだろう。位決めの儀で第一位になれなければ、その時点で双命家の取り潰しは確定する。それは本家だけではなく、分家も同じだ。


 今年しくじれば自分たちは終わる。

 もう後がない、背水の陣。


 しかし本家には現状を打開できるだけの、他家の奏世師を凌駕する実力者はいない。起死回生の一手となる者はいないのだ。

 いやそれどころか、いるのは碌に唄を──世界を奏でることもできない少女のみ。


 この現状を見かねて、分家の者を代表者として送り出そうとしているわけだ。

 少しでも可能性がある者を。


 間違いだとは思わない。寧ろ、正しい。

 残念ながら今の落葉には、戦えるだけの実力はないから。


 それをわかっているからこそ、俊陰様も強くは言えない。


「位決めの儀が始まるまで、まだ三ヵ月ある。今決断を下すのは早い」


「三ヵ月程度で落葉様が育つと? 他の奏世師に勝つほどの実力者になれると?」


「可能性はある。この子には、優秀な師が付く予定だからな」


「嘘をつかないでください。落葉様に師などいるわけがないでしょう」


 兼雅は落葉を見て、断言した。


「落葉様の神奏楽器は、黄道十二奏具こうどうじゅうにそうぐです。唄を教えることができるのは、同格の神奏楽器を持つ者だけ。夕雨様がいなくなられた以上、誰も教えることはできません」


 それに。

 兼雅は吐き捨てた。


「これまでに貴女を見た奏世師は皆言ったでしょう? 貴女には圧倒的に才能が足りない」


「──ッ、私は……っ」


 落葉は悔しさに顔を歪め、奥歯を噛みしめ、堪えた。

 反論の言葉を呑み込んだ。反骨の怒りを押し込んだ。


 よく耐えた、落葉。

 彼女を見つめて僕が呟くと、兼雅が俊陰様に言った。


「それともう一つ、私を代表にするべき理由が」


「何だ」


「私は龍奏りゅうそうを習得しました」


「!」


 俊陰様が目は見開いた。


「……馬鹿な。龍の存在する世界を創る龍奏は奏世師の中でも、限られた者にしか奏でることのできない創唄つくりうたの奥義だぞ。分家の者で、これまで習得できたものはいない」


「弛まぬ努力、厳しい修行、大きな覚悟と代償。これら全てを揃え、私は身に着けたのです。怪物たちの──業を」


 兼雅は迫る。

 俊陰様に、決断を。


「本家当主殿。どうか、一族にとって最も利になるご決断を。私情を挟めば……身を滅ぼすことになります」


 どうやら、これは脅迫でもあるらしい。兼雅は傍に置いていた刀の鞘に触れた。

 自分の望まぬ決断をすれば、錆にすると。


 俊陰様は瞼を下ろし、口を閉ざす。

 葛藤が見られる。下すべき決断を迷っているようだ。


 本音を言えば、兼雅に代表の座を渡したくはないのだろう。相対することなく廊下で盗み聞きをしている僕にすら、奴の傲慢な性格は十分に伝わってくる。自分が正しい、絶対的優位にあると思っているのがよくわかる。


 兼雅が気に食わないのは事実。

 だが、彼を言い負かし、尚且つ認めさせるだけの奏世師はいない。落葉はまだまだ未熟、卵と言っても差し支えない。無理に彼女を代表にすれば、確実に負ける。


 どうするべきか。どの選択をするのが正しいのか。

 俊陰様が唸り、答えを導き出すことができずにいると……不意に、黙って話を聞いていた落葉が口を開いた。


「今年の代表者は私です」


「……なんだと?」


 不快そうな反応を示した兼雅に、落葉は続けた。


「位決めの儀に参加する各家代表の奏世師は皆、黄道十二奏具の使い手です。まともに戦うことができるのは、同じ神奏楽器の使い手だけ。その他の神奏楽器では、勝負にすらならないです」


「だから、貴女が代表になると」


「はい。お母様から『双子百合』を継承したのは、私ですから」


「自惚れが過ぎるッ!!」


 室内に反響する大声で怒鳴り、兼雅は片膝を立て、激昂した。


「黄道十二奏具を継承したから何だと言うんだッ!! 貴女にはまともに戦えるだけの業がない! 相伝の唄どころか、まともに世界を奏でることすらできないのだッ! 非力な小娘が一族の運命を握るなどあってはならない!」


「今はそうです! けど、儀式が始まるまでに強くなりますッ!」


「どうやって! 教え導く師もいない貴女が、どうやって短期間で成長すると──」


「師ならおります──ッ!!!」


 胸の内の大きな感情が表面化したらしい。

 落葉は瞳の端に大粒の涙を浮かべ、しかし鋭い目で、言った。


「才能がないと失望されて、貶されて、馬鹿にされてきた私を、唯一認めてくださった方がいます。褒めてくださった方がいます。とても凄い御方です。とても強い御方です。この国の誰よりも、強い奏世師です。あの御方に師事し、私は──頂点に立ちます!!」


「一体誰のことを……妄言だッ! くだらない嘘など吐かず、潔く諦めなさいッ!」


「妄言ではありませんッ! そして、諦めません!」


 威圧に負けず落葉は立ち上がり、自分の胸に手を当て、告げた。

 諦めない理由を。努力を続ける理由を。


「お母様に誓ったんです。時間はかかるかもしれないけど、でもいつか、お母様の跡を継いで立派な奏世師になって──第一位の座に返り咲くとッ! 先立った母との誓いを破ることはできません。何故なら私は──誇り高き、双命家の奏世師だからッ!」


「──」


 僕は口角を上げた。

 なるほど、そういうことか。落葉が諦めずに必死こいて修行を続ける理由が今、やっとわかった。


 僕と同じだ。

 大切な個人との約束、誓いを果たすために、無謀な夢を追い求めている。誰に何と言われようとも、進み続けている。

 かつての僕と同じように。


 応援したい。導いてあげたい。叶えてあげたい。

 夢を、誓いを、想いを。


 もう迷いはない。綺麗さっぱり消え去った。

 前例がないなど知ったことか。全てのことに前例がない時はあったのだ。


 なってやるよ。先駆者に、開拓者に。

 琵琶使いの僕が、琴使いの彼女を──頂点に連れて行ってやる。


「──『月桜』」


 相棒の琵琶を呼び、虚空から召喚し、僕は立ち上がる。

 と、同時。

 室内で片膝を立てていた兼雅も腰を上げ、抜刀した。


「……分家の総意です。本家当主が双命家の未来を鑑みない判断を下した場合、強硬手段も辞さない」


「ひ──ッ」


「乱心したか貴様ら──ッ!!」


 俊陰様は落葉を守ろうと咄嗟に、彼女の前に出た──瞬間。


龍奏りゅうそう──彼岸赤龍園ひがんせきりゅうえん


 名を告げた僕は相棒の銀糸の弦を弾き鳴らし、音を奏で、世界を創った。

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