三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します
冬野月子
第1話
「君を愛することは、決してない」
それまで夜会で見かけた程度で、互いのことを何も知らないまま挙げた結婚式の夜。
夫となった人は寝室に入ってくるなりそう告げた。
「――旦那様には恋人がいらっしゃるのですか」
私に向けられた、氷のような眼差しにひるむことなくそう返す。
すぐ言い返されると思っていなかったのか、青い瞳が動揺するように一瞬揺らいだ。
「……そんな者はいない」
「では好きな方が?」
「いない」
「それでは、なぜそのように仰るのです?」
重ねて尋ねると彼は目を見開いた。
「バルテリンク家の娘など、愛せるわけがないだろう」
当然だと言わんばかりの顔で彼は答えた。
王都を挟んで国の東西にある、実家のバルテリンク侯爵家と彼のノルデン侯爵家は長く敵対し続けていた。
その根深い対立は国の政治や王位継承にも影響を与えるほどで、憂いた国王陛下が両家を和解させる糸口として、当主の子供同士を結婚させるよう王命を下したのだ。
国王夫妻も出席し開かれた結婚式は豪華だったけれど、会場の空気は息苦しいほど重く緊張感に包まれていた。
主役である私と彼は会話どころか目を合わせることすらなかった。
式後、私は一人で馬車に乗り侯爵家に入った。
夜の支度をさせられ夫婦の寝室に案内される。
長い時間待たされようやく現れた夫との、これが初めての会話だった。
「分かりました。私は自分の部屋に戻りますね」
そう言ってソファから立ち上がると、彼は驚いた顔を見せた。
「戻る? なぜ」
「なぜって……私のことを愛さないのでしょう?」
答えて首を傾げる。
「それとも、まさか愛さないと言った相手と子作りをするつもりだと? それはあまりにも失礼ではありませんか?」
「失礼……」
「私は、私を嫌う方の子を命懸けで産みたくなどありません」
子を成し腹の中で育て産むことはとても大変で、時に命を落とすこともある。
なぜ初対面で失礼なことをいう相手のために、そんな危険を冒さないとならないのか。
「し、しかし。両家の血を継ぐ子を得ることがこの結婚の目的だろう」
「ならばどうして、私を愛さないなどと言ったのです?」
思わず強い口調で言うと、彼は目を見開いた。
「今は憎く思っていたとしても、時間を掛けて信頼関係を作り家族としての情を育んでいく。それが夫婦であり陛下の望みではないでしょうか」
何のための政略結婚なのか。
子を得ることは目的の一つではあるけれど、それよりも両家の不仲を改善し国の安寧を保つことが目的としては大きい。
ならばまず私たちが歩み寄り、夫婦としての関係を築かなければならないのではないのか。
「それを旦那様は拒否したのです。ですから私も共寝はお断りさせていただきます」
「それは……」
「おやすみなさいませ」
私は何か言いたげな夫を一人残して寝室から出ていった。
*****
痛みのせいで意識が遠くなりそうになる中、三ヶ月前の出来事を鮮やかに思い出した。
(死ぬ時は印象的な出来事を思い出すと聞いたことがあるけれど……)
私にとって、それは結婚初日に拒絶されて以来、まともに顔を合わせていなかった夫との思い出だったのか。
(また失敗しちゃったな……)
いや、彼との思い出だからではないだろう。
結婚生活が上手くいかずに死ぬのはこれで三回目なのだ。
私には、この世に生まれてくる前、別の人生を二回送った記憶がある。
一回目の人生は、戦乱の時代に王女として生まれ、終戦後和平のために敵対していた隣国に嫁がされた。
夫となった王は敵国の王女を受け入れられず、私を離宮に閉じ込めた。
それまで何不自由なく甘やかされてきた私は世話をする者もろくにいない、訪れる者もいない孤独な生活に耐えきれず、一年ももたずに自ら命を絶った。
百年後、私は裕福ではない子爵家の娘に生まれた。
幼い頃から王女の記憶があった私は、その記憶を頼りに歴史を調べてみた。
私が自死したことを知った父王は怒り、二国の対立は深まった。
再び戦争が起こり嫁ぎ先は滅んだものの、母国も疲弊した所を他国に攻め込まれて崩壊してしまっていた。
(私が自殺したせいで……二つの国が滅んでしまったの?)
幼い私は自分の行動の結果を知ってしまい、恐れ慄いた。
(私が我慢していれば……こんなことにはならなかったのに)
そのことがずっと心に残っていた私が結婚した相手は、貴族ではなく裕福な商人だった。
爵位を求める商人と、彼の資産に惹かれた両親との、互いの利益が一致したためだ。
夫となった商人には何人もの愛人がいた。
正妻として私には多くの宝石やドレスが与えられたけれど、夫からの愛情が与えられることは一度もなかった。
(……大丈夫。我慢すればいいのだから)
世話をしてくれる者はいるし、寒さに震えることも飢えることもない。
前世に比べればよほど恵まれている。
(でも……子供は欲しかったな)
たとえ愛情が得られなくとも、せめて妻として、子を産み育てたかった。
何度も夫に訴えようと思ったけれどその度に言葉を飲み込んだ。
下手に私が何かを要求すれば、また何かが壊れてしまうかもしれない。
私が我慢していれば、夫は自由を得て私の家族にもお金が入る。
(そう。私さえ我慢していれば上手くいくの)
そう思っていたけれど。
私は正妻の座を狙う愛人の一人に刺されて命を落とした。
夫がどれだけ愛人を作り貢いでも私が何も言わなかったから、愛人に欲が出たのだろう。
私が死んで、家族は援助を断たれてしまっただろうか。
少しは意見していれば違っていただろうか。
一回目の人生は逃げなければ良かった?
二回目の人生は我慢したのが間違いだった?
私はどうすれば良かったのだろう。
三回目の人生も、やはり自らの意思に沿わない結婚をさせられた。
「君を愛することは、決してない」
またか。
また今度の人生も、夫からの愛を得られないのか。
ならば今度は……逃げるのも耐えるのもやめよう。
過去二回の夫達と同じように拒絶した彼に、私は自分の意思を伝えた。
愛が欲しいとは言わない。
けれどせめて、夫婦としての関係は築きたかった。
それを向こうが拒否するなら私だって拒否する。
子供は欲しいけれど……もう、耐えるだけの人生は嫌だ。
(結局……またダメだったなあ)
嫁いで三ヶ月。
あの夜以来夫とは会話のないまま、侯爵領でも結婚式を挙げるために領地へ向かっていた。
二人別々の馬車に乗り出発して数日。
この所降り続いていた大雨で通る予定だった橋が崩れたため、迂回する道を走っていた。
迂回路は森の中を通る、普段馬車が通らないような狭い道で、さらに雨で状態も悪くなっていたのだろう。
突然激しく揺れたと思った瞬間、ものすごい音が鳴り響いた。
身体が痛くて動けない。
目も開かなくて自分がどんな状況なのかも分からないが、危険な状態なのは分かる。
(……今度はここで死ぬのかな)
三ヶ月はあまりにも短い。
できれば夫と会話をして、関係を修復したかった。
ノルデン侯爵家の人たちは私を夫人として受け入れてくれたけれど、夫とは最後まで他人のままだった。
たまに目が合ってもすぐ視線を逸らされる。
おそらく口答えをする生意気な女だと思われているのだろう。
(また次の生があるなら今度こそ……でももう少し……この世界で頑張りたかった……)
「――ヘレン!」
意識が闇に飲み込まれる直前、誰かが私の名前を呼んだ気がした。
*****
瞼の向こう側が明るく感じる。
(朝……?)
私、どうしたんだっけ。
目を開けようとすると強い痛みに襲われた。
「……う……」
何とか目を開くと、見知らぬ部屋だった。
「まあ、奥様!」
「医者と旦那様を呼んで!」
バタバタと複数の足音と声が聞こえる。
「良かった……。お目覚めになられたのですね」
見覚えのある顔が視界に入った。
「……わた……し……」
「馬車の事故で大怪我を負ったのです。三日間寝たきりだったのですよ」
私の世話をしているノルデン侯爵家の侍女は言った。
(ああ……死んでいなかったんだ)
痛みと熱があるのかぼうっとする頭で考える。
三度目の人生は、まだ続いているのか。
「こ……こは……」
「事故の近くにある、地元領主の別邸です」
「そう……」
「お辛いですか?」
身体を動かそうとすると走る痛みに顔をしかめると侍女は心配そうに言った。
「奥様は全身を打っていて、特に足は骨が折れているそうです。……それでもこの程度の怪我で良かったと……」
侍女は涙ぐんだ。
「道が崩れて馬車が横転したんです。木々にぶつかり馬車は壊れて……死んでいてもおかしくなかったそうです」
そんなに酷い事故だったのか。
「若旦那様も心配なさって……。ご自身のせいだとずっと責めておられたのですよ」
「え……」
夫が? 自分を責める?
どうして?
バタバタと、廊下から足音が聞こえた。
「ヘレン!」
部屋に飛び込んできたのは夫だった。
「ああ……良かった」
駆け寄ってくると、夫はベッドの側に力が抜けたように膝をついた。
「目が覚めて……本当に良かった」
「……だん……な……さ……」
上手く声が出せない。
(どうしてこの人は……こんなに安堵しているのだろう)
国王の命令による政略結婚の相手を死なせてしまったら、責任問題が発生するのだろうか。
しばらくして夫は顔を上げた。
「ヘレン……すまなかった。あの事故は私のせいだ」
私を見つめて夫は言った。
「私がつまらぬ意地を張ったせいで……一緒の馬車に乗っていれば……」
(旦那様のせい?)
どういう意味だろう。
意地を張る?
その理由を聞きたいけれど。
眠気と共に急激に気が遠くなってきた。
「ヘレン?」
誰かの手が肩に触れる。
「若旦那様、奥様はまだ……」
(そういえば、旦那様が私の名前……呼んでいる……)
そんなことに気づきながら、私は再び眠りについていった。
痛みで目を覚まし、また眠りについて。
そんなことを何度も繰り返して五日経ち、ようやく私はベッドの上で上体を起こせるようになった。
医者の診察を受けて薬草茶を飲み終えると夫が現れた。
彼はこの五日間、一日に何度も私の様子を見に来ていたらしい。
私が起きているのを見ると、夫は部屋に入ってきた。
「まだ痛みは辛いか」
「こうやってじっとしていれば大丈夫です」
まだ動かそうとすると強い痛みが走るけれど、動かなければさほどではない。
「そうか。良かった」
安堵の声でそう言って、夫はベッドの傍らに置かれた椅子に腰下ろした。
「ヘレン。すまなかった」
「……どうして旦那様が謝るのです?」
目覚めた時も、自分のせいだと言っていたけれど。
「あの日出発すべきではなかった。橋が落ちたと聞いた時点で諦めておけば良かった。――焦ったのが間違いだった」
焦っていた?
「領地でもう一度結婚式を挙げればやり直せるのではないかと思った。だから早く帰らなければと」
「……やり直す?」
何をだろう。
内心首をひねっていると、夫の手が膝の上に乗せていた私の左手に触れた。
「結婚式の夜、私は君に酷いことを言った。あの時君に反論されて……自分がどれだけ子供で愚かだったか思い知った」
あの夜のような冷たさはない、穏やかな瞳が私を見ていた。
「夫婦となったのだから歩み寄り、互いを理解しなければならないと教えてくれた君に謝罪しなければと思っていたが、顔を合わせる勇気がなかった。領地についたら謝罪して、結婚式を挙げる所からやり直せば……君と夫婦になれるのではと思った」
「旦那様……」
そんなことを……思っていたの?
「だが先延ばしなどせずにもっと早く謝罪すれば良かった。あの日、私の馬車が先に通りぬかるんでいた道が崩れたせいで君の馬車が横転した。同じ馬車に乗っていれば……」
重ねられた手に力がこもる。
「ヘレン。本当にすまなかった」
夫の体温が伝わってくる。
その熱が、じんわりと胸の奥を温めていくのを感じた。
「……私、嫌われているのだと思っていました」
「そんなことはない!」
夫は慌てて首を振った。
「――いや、そう思われても仕方ない。確かに結婚式の夜まで私は決して君を受け入れないつもりだったのだから」
私の手を握りしめて夫は言った。
「愚かな私が素直になれない間、君は家のことをこなし、妻の役目をしっかり果たしてくれていたと家の者たちから聞いている。そんな君に比べて私は情けない夫だが……改めて夫婦としてやり直してくれるだろうか」
困ったような、すがるような顔。
(……ああ、旦那様は私を受け入れてくれるんだ)
この人となら幸せになれるだろうか。
三度目の人生で初めて歩み寄ってくれた、この人とならば。
(大丈夫。きっと、幸せになれる)
「はい、もちろんです」
微笑んで答えると、夫も笑顔になった。
その顔にさらに胸が温かくなるのを私は感じていた。
おわり
三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します 冬野月子 @fuyuno-tsukiko
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