袖振り合うも

長井景維子

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東京駅の八重洲口からのぞみに乗り込んだ。取っておいた窓側の指定席を見つけ、荷物を座席の上の荷物棚に置き、私はスプリングコートを脱いで軽く畳むと、荷物棚に置いたボストンバッグの横に置いて、席に着いた。新幹線は久しぶりだった。出張に慣れているわけではない。急に出来た上司の代わりの大阪出張で、かなり緊張していた。


時計は午後12時を回った頃だった。のぞみ921号は定刻通りに東京駅を出発した。私は二列の席の窓側で、隣は空いていた。東京駅の駅弁売り場で買った八戸駅のウニ弁当とペットボトルのお茶をレジ袋から出すと、前のテーブルに置いた。窓を見ると、すでにかなりのスピードで景色が流れている。


週刊誌を取り出して、読み始める。こんな時ぐらい、と週刊文秋を買ったのだ。グラビアをなんとなくめくって、目次を見る。政治ネタ、芸能界ネタ、皇室ネタ。およそ普段の私はネットニュースで聞きかじっていた話ばかりだが、読み始めると文秋砲も面白い。出張はなんとかなるだろう。今から新幹線の中でジタバタしたって始まらない。もう、腹をくくって、自分なりになんとか切りぬけよう。


アナウンスが流れてしばらくすると、品川に止まった。ビジネスマンが多く乗り込んでくる。品川を発車し、しばらくしても、私の隣はまだ空いていた。携帯を取り出す。ラインが来ていないか、と見ると、高校生の娘から入っていた。


「お母さん、出張、ファイト!」


一言だけ。可愛いゾウさんのスタンプが踊っている。私は、


「ありがとう。頑張るね。留守番よろしくね。今夜、ホテルから電話するからね。」


と返事を書いた。


会議は明日の朝、10時からだ。2時間くらいの予定だ。それが終わったら、まっすぐ新幹線で東京に戻る。お昼はまた駅弁でいいわ。家族と一緒でないひとりの出張では、あんまり大阪グルメを楽しむ気分にはなれなかった。たこ焼きぐらい、駅で買ってみるかな。帰りは缶ビール、飲んじゃお。


のぞみは新横浜に着いた。乗客がパラパラと乗ってきた。


「すみません。」


そう声を掛けられて、週刊誌から顔をあげると、初老の上品な着物姿の女性だった。


「お隣、ええですか?」


ちょっと関西訛りの標準語だ。


「どうぞ。」


ご婦人は、カバンと手提げ袋を荷台に置き、着慣れた様子の羽織を脱いでたたみ、膝の上に置いて隣の席に座った。レジ袋からシウマイ弁当を出して、ペットボトルのほうじ茶とともに前のテーブルに置く。のぞみは新横浜を発車して、アナウンスで次は名古屋まで止まらないと言っている。


女性は腕時計を見て、シウマイ弁当を開き始めた。チラと私と目があって、お互いに微笑む。


「どちらまでいらっしゃいますの?」


女性が控えめな声で聞いてくる。私はできる限り失礼のないように、


「はい、私は大阪までです。どちらまでですか?」


「私は京都です。桜の頃は混みますよってに、苦手ですが、用事ができてしゃないですわ。」


「私もお弁当、いただこう。お昼ですわね。」


私がそう言うのを聞いて、女性はニコッと微笑むと、シウマイをほうばった。


「横浜にもう30年いますけど、今だに新幹線乗った途端に関西弁になってしまいます。」


「いいですね。お国言葉が綺麗で。私は東京生まれなので、これしか言えません。」


「今日は、お仕事ですか?」


「はい、急な用事で。慣れてないんです、出張なんて。」


「そうですか。私は母が急病で。喪服も持ってきてるんです。」


私は返事に窮して、お茶を一口飲み、ウニ弁当を開いてお手拭きで手を拭いて、


「きっと良くなられますように。おいくつですか?」


「もう92です。元気な人でしたが、急に入院して。あんまり急いで見舞いに行くと、本人が怪しむといけないので、わざと着物着込んで遊びにきたよーっていう感じでと思って。色々考えました。」


「そうですか。素敵なお召し物ですね。」


ご婦人はよっぽど話がしたいと見えた。私も弁当を食べながら、話を聞くのは苦ではなかった。


「もう、会えなくなってしまうかもしれないので、母に何かプレゼントでも、と思ったりしましたが、もう何も欲しくないみたいで。桜を最後に見せてあげられたらいいな、と思います。」


「そうですか。」


京都の桜を最後に、というこの女性の望みが叶うといいな、と思った。私はこう続けた。


「私の祖母は満で100歳まで生きました。元気な人で、亡くなったその日まで、元気に自分でお台所に立って、朝食を作り、食べ終わって、近所で井戸端会議している最中に倒れてそのままでした。」


「まあ、素晴らしいですね。そうですか。92なら、まだもう少し生きられるかしら。」


「はい、きっと!」


ご婦人の顔がパッと明るくなった。最後のシウマイを口に含むと、ほうじ茶に手を伸ばし、口元を左手で押さえながら、


「袖振り合うも多生の縁って言いますけれど、すごく勇気付けていただいたわ。おばあちゃんがもし長生きできたら、お宅様のおかげのような気がします。」


「そんなそんな。とんでもありません。でも、桜をこれから10回以上ご覧になるのかもしれません。そういう時代ですから。」


「そうですわね。あまりこれが最後と思わないことにします。喪服を持ってきたのが気が重かったんですけどね。母と娘は切っても切れないですから。本当に明るい気持ちになれました。ありがとうございます。」


私はウニ弁当を食べ終わり、お茶を飲んで、窓を見ると、


「あ、富士山が見えてきましたよ。」


と言った。ご婦人は身を乗り出して窓を見て、


「まあ、今日は綺麗に見えること。ちょっと写真を撮って、母に見せてあげよう。」


とハンドバッグからスマホを取り出して、シャッターチャンスを窺っていた。


「関西人は富士山に憧れが強いんですよ。私も横浜が長いですけど、富士山は大好きです。神々しいと思います。きっと母の寿命も延びるでしょう。嬉しいわ。」


関西弁とも標準語ともつかない特殊なアクセントで、上品に話す。私はただただ、言葉はなく、うなずいていた。そして、自分もスマホで富士山の写真を撮った。


それからご婦人は、一人、文庫本を取り出して読み始めた。お互いに話すことがなくなったので、少し距離を置いてプライバシーのあることをしたくなった。私は週刊文秋の続きを開いて、読み始めた。


しばらく読書に没頭していると、のぞみは名古屋に停車した。多くの客が降り、また新しく乗ってきた。私とご婦人は、変わらず読み続けた。


やがて、次は京都だというサインが現れ、ご婦人は身支度を始めた。羽織を着て、荷物を持って席を立つと、


「ありがとうございました。楽しゅうございました。心細い時に嬉しかったわ。」


と、目を細めながら挨拶してくれた。私は女性の顔をみて、


「私も楽しかったです。お元気になられますようにお祈りしております。どうぞお大事に。」


「はい。さようなら。お気をつけて。出張、お気張りやす。」


と、最後は関西弁で愛嬌を見せた。私は微笑んで会釈して別れた。女性は車両を出て行った。のぞみは京都に止まり、しばらくすると、ドアが閉まって動き始めた。


「あ、私もお母さんがなんか心配になってきた。」


私は忙しさに紛れて数ヶ月音信不通だった実家の母にメールを打った。


「お母さん、元気?富士山、綺麗でしょ?今日、出張で大阪に泊まるよ。今夜電話する。」


富士山の写メとともにメールを送った。


(終わり)

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