第13話 必要なのは――

 木造の大きな両扉。シンプルな作りだが、不思議と荘厳すら感じられる。

 俺は、一度深呼吸をして、その扉を叩く。


 ――『どうぞ』


「失礼します」


 中は、普通の教室より広く、無数の棚と給湯室らしき存在も見えた。

 生徒会役員はコの字に配置されていて、中心には他の役員よりも豪華な席に着いた生徒会長が鎮座していた。

 灯織会長は、目に落としていた書類から顔を上げ、俺と視線を交わす。


「君か。生徒会になんの用かな?」

「会長にお話があってきました」

「そうか。このままで良ければ話を聞く」

「いえ、ここではなく二人でお話がしたいです」


 俺の言葉に、僅かに片眉を下げて見せた。

 そして、自身の机に重なっている分厚い書類の束をトントンと指でつつく。


「悪いが、それは不可能だ。見ての通り、今は猫の手をいくつ借りても足りないくらい、会長としての仕事に追われている」

「それでも!十分で良い!いや、五分だけっ!」

「なら、生徒会室を閉めてからにしよう。そうだな……十九時頃なら――」

「だめですっ!いまじゃなきゃ!」

「おいっ!しつこいぞ!」


 妥協案を提示した灯織会長と、それを飲まない俺を見兼ねたのか、隣にいた副会長が声を荒らげる。

 眼鏡の奥の切れ味の鋭い瞳が俺を射抜く。


「お前は、灯織会長が今どれだけ忙しいか、見て分からないのか!諦めるか灯織会長の案を飲むか、どっちか選べっ!」


 気づけばギリギリと奥歯を噛み締めていた。

 今じゃなきゃ……ダメなんだよ。

 手遅れになる前にやらなきゃ……っ!


「よせ、服部副会長。あまり後輩に凄むものじゃない」


 窘められ不服そうな表情をしながらも、渋々席に着く。


「申し訳ないが、服部副会長の言った通り、どちらか選んで欲しい」

「っ!ダメ……なんですよ。このままじゃ……!」

「まぁまぁ〜良いんじゃないですか〜?会長〜」


 今度は、俺の隣からフワフワとした穏やかな声が聞こえる。


「何が良いのかな?聖園みその書記」

「その書類。急ぎじゃないんでしょ〜?なら、五分席を空けるくらい良いんじゃ無いかな〜って」

「だが――」

「後輩君だって忙しいことを理解して頼みに来てるっぽいし〜。ね?」

「…………はぁ、わかった。五分だ」

「っ!ありがとうございますっ!」


 聖園先輩の説得が功を奏したのか、灯織会長が折れた。


「どこで話をするんだ?」

「俺の部室で」

「わかった」


 灯織会長を連れて出ていく直前に、『行ってらっしゃ〜い、頑張ってね〜』と聖園先輩から謎の声援を貰った。



 ◇◇◇◇◇



「それで?話ってのは……まぁ、聞くのは野暮か」

「はい。恋愛相談の件です」

「君はまだ引きずっているのか。私は吹っ切れたぞ?」


 腰に手を当てて呆れた表情を見せる。


「本当ですか?本当の本当に吹っ切れたんですか?未練は一ミリも残ってないんですか?」

「……あぁ」

「それは……嘘です。だって、会長はまだ告白していない」

「………………」


 あの日を彷彿とさせるくらい、灯織会長の表情に険しさが滲んでくる。

『誰のせいだ?』『お前が言うのか?』と、彼女の心の声が聞こえてくるようで、今すぐ逃げ出してしまいたい。


「会長は、きっと諦めようとしてるんじゃないですか?好きな気持ちに蓋をして見ないように――」

「じゃあ、どうすればいい」


 あの日と同じ背筋ゾクッと緊張が走る。灯織会長には、似つかわしくない他者を威圧するかのような声。


「君はそう言うが……?諦めることの何が悪い。努力や想いだけでは、叶えられないことだってあるんだ」

「けど、会長は諦める事が許される行動をとってない!……気持ち……伝えてないじゃないですか」

「もう、伝えようが無い。伝えられない……ならっ……持っていても……しょうがないじゃないかっ!」


 キッと俺を睨みつける。その瞳を見ると、彼女の心の中で渦巻いている葛藤が、一瞬だけ垣間見えた気がした。

 けど……いま必要なのは……正論じゃない。


「持っていてもしょうがないから諦める?……そんなの逃げてるだけだ!自分の心の声を抑え込むための正論でしかない!」

「……っ!ずいぶん……好き勝手……言うね」


 握りしめた拳がワナワナと震えている。

 俯いた姿勢からでは表情は見えないが、きっと、あの日よりも怒りに満ちているに違いない。


「じゃあ……じゃあっ!この気持ちを抱えたまま生きろというのかっ!?伝えられない気持ちを!十年という片想いだけでも辛かったのにっ!」

「………………」

「振られることも許されなかったのに……っ!君は諦めることすらも許さないというのかっ!」

「はい……許しません。十年育てた恋が枯れるまで待つ事を……絶対に許さない」

「なら、ご教授願えるかな……?どうすればいい」


 諦念の込められた表情と共に差し出される右手。けど、その手には触れない。


「必要ないですよ」

「……得意分野では無かったのか?」

「必要なのは俺の力じゃなくて、会長自身の意思ですから」

「意思……?」


 俺はこくりと頷く。


「気持ちを伝えましょう。諦めるのは、それが済んでからです」

「またそれか……。SNSや電話と言った手段もあるが、私は面と向かって直接言いたいんだ。その方が自分がどれだけ本気かって伝わるから」

「なら、その線で行きましょう」

「…………?何を言ってる?」


 自分の理想をあっさりと受け入れられた事に、戸惑いを感じている様子だった。


「なに……と言いますと?」

「まさか……わざわざ告白するためだけに、和彦君の所へ行くつもりか?」

「はい。片道五時間なら余裕です」


 俺は、指定席の予約完了のメールを灯織会長に突きつける。俺が生徒会室に乗り込む前に済ませたものだ。


「あとは、会長次第です」

「そんな事のために……?現実的じゃない、馬鹿げている」

「『現実的』なんて概念、今はいらないんです。『やりたい』か『やりたくない』か……ですから」

「………………もう時間だ。五分以上経っている」

「そうですね。長々話しちゃってすいません」


 俺が道を譲ると、会長は緩慢な動きで歩き出す。


「あ、そうだ。一つ伝え忘れてました」


 会長は、扉に手をかけたままこちらへ振り向く。


「六月八日、星之宮学院前、朝六時発の電車です」

「…………そうか」


 僅かに目を見開いたあと、今度こそ部室から出ていってしまった。

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