第12話 馬鹿になれ

 ――『あれー?恋愛青春部って休み?』

 ――『みたい……だね?』

 ――『最近、噂に聞くから来てみたんだけど……ざんね〜ん』

 ――『また明日来てみよ?』


 二人組と思しき女子生徒の話し声と足音が遠ざかっていく。


「…………はぁ」


 女子生徒の声が聞こえる度、緊張と期待が全身を駆け巡る。

 ありえないと思いながらも、内心は少しだけ期待してるらしい。灯織会長が俺を訪ねて来てくれることを。


 ――ガチャッ!


「…………え?」


 突然聞こえた解錠の音。部室の鍵は内側から閉めているし、鍵は俺が持ってるから誰も開けられないはずだ。

 まぶたの上に乗せていた腕を片目分どかし、ぼやけた視線のまま入口を見る。


「よしっ!一番乗り!部活の様子を見に来るのも顧問の仕事だもんねっ!あとは、久遠君が来るのを待つだけ――ひゃわ!久遠君っ!?」

「……お疲れ様です」

「い、いるなら鍵開けなきゃダメでしょっ!」


 独り言を聞かれたことが、よほど恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にしていた。


「すいません」

「久遠君、体調悪いの?ソファで寝てたら体痛めちゃうから、体調が優れないなら帰った方が良いよ??先生送っていこうか?」

「平気です」

「え、でも……」


 俺の視界は既に遮られていて、周りの状況が見えない。けど、星園先生がアワアワしてそうな雰囲気は感じとれた。


「俺……失敗したんです。だから、今は誰の相談にも乗りたくないって言うか……」

「うん?失敗?……あ、この前、女の子から恋愛相談受けてるって言ってたね」


 ギシィ――と、パイプ椅子特有の鳴き声が聞こえた。


「何年も片思いをしていた女の子の恋愛を終わらせた。絶好のチャンスを棒にふるわせてしまった」

「うん……」

「上手く……やれてるつもりだったんですけどね」

「久遠君は、ちゃんとその子と向き合ってたと思うよ。だってあのとき、頭を抱えるくらい真剣に考えてたでしょ?」


 星園先生の言葉が優しく俺の心に寄り添ってくる。けど、やっぱり暗鬱とした心は晴れそうにない。

 そのとき――


「おひさーーっ!お前の大好きな幼馴染の登場だぜーーっ!――って、空気重!なに?お通夜?」

「こら!新垣君!」

「お、あかりん先生さっきぶり!で、茅颯。どったの?」


 良くも悪くも空気を読めない猛が、ドアを勢いよく開け放ち部室に入ってくる。


「…………べつに」

「あかりん先生。茅颯、どしたんすか?」

「え、えぇと……。その、相談を失敗しちゃったらしいの。だから、ソッとしといてあげて?」

「ふぅん?」


 興味なさげな返事。それで良かった。ただ、安心したのもつかの間、猛は声を上げた。


「茅颯。失敗の一度や二度誰にでもあるだろ。いちいちクヨクヨすんなって!次、頑張りゃ良いじゃん!」

「…………つぎ…………?」

「おう!相談してきたやつには悪いけど、運がなかったっつー事でさ。良い経験したんだし、次に活かそうぜ?」

「…………運が悪かった?…………良い経験?…………」


 少しの悪意も混じってない善意の慰め。昔から、猛はこういうやつだった。この陽気さに数多く助けられた。けど……いまは――っ!


「おい、本気で言ってんのか……?」

「おうっ!本気だぜ?」


 その瞬間、腸が煮えくり返った。考える前に思い切り上体を起こしていて、猛を睨みつけていた。


「ふざ……けんなよ……!次なんて……あるわけねぇだろ……」

「え?茅颯?」

「あるわけねぇんだよっ!次なんてっ!十年だぞっ!?十年大切にしてきた恋を俺は踏みにじったんだ!」

「ちょちょ……茅颯?」

「彼女の努力が実らないで失敗しただけなら良い!でも……この失敗は、俺が招いた失敗なんだよっ!」

「え、これマジなやつ?ドッキリとかじゃなくて?」


 激昂した俺を前に、猛は状況を飲み込めずにいた。

 そりゃそうだよな。これは、ただの八つ当たりだ。頭でわかってても、歯止めが効かなかった。


「灯織会長も運が悪かったなっ!俺なんかに相談せず、友達にでも相談してりゃ、こんなことにはならなかった!」

「ほぇ〜会長だったんか」

「次に活かせってなんだよっ!その恋を過去のものにしろってのかっ!?立ち止まったままの会長を無視して、俺は先へ進めっていうのかよっ!?」

「いや、そこまで言ってねーよ?」

「言ってんだよ……お前も会長も……。結局、俺がもっと上手く立ち回ってりゃ、こんな事にはならなかったんだ……」


 激しい怒りは、やがて深い後悔に変化していく。怒りと後悔の波が交互に襲ってくる。あの日からずっと……この状態だ。


「ふむふむ。お前が悩んでるってことは、よぉく分かった」

「分かったから何だってんだよ……」

「お前をよく知る俺から、金言をくれてやる!」

「は?金言?」


 猛は、不敵に笑ってみせる。


「お前って、自分自身を過大評価してるよな。まぁ、無理もねーけど」

「過大……評価?してねぇよ」

「してるね。じゃなかったら、今の状況を嘆いてるお前の説明がつかない」


 回りくどい言い回しだった。結局、自分の傲慢さが招いた結果とでも言いたいのか?


「良いか?お前は未来が『視える』だけで、望んだ未来に『変える』ことは出来ないんだよ」

「んだよ……それ」

「『変える』事が出来んのは、ほんのわずかだろ?朝飯をご飯からパンに変える程度。お前は神様じゃねーんだから」

「だから……何が言いたいんだよっ!」

「この状況はお前が『招いた』失敗じゃなくて、お前が『全力でやりきった』結果だろ?なら、後悔じゃなくて労ってやれよ」

「っ…………」


 飄々とした雰囲気はなかった。真っ直ぐに俺を見つめる眼差しは真剣そのものだ。


「もう一つ。駄々をこねるのはやめろよな、みっともない」

「……は?こねて……無いだろ」

「俺から見りゃ『やだやだ!僕はちゃんと頑張ったもん、だから、僕の望む未来じゃなきゃいーやーだ!』って、言ってるように見える」

「はぁ?」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「結局お前は、現実を受け入れられずに過去ばかり見てんの。お前は昔っから、頑固で完璧主義だからなぁ」

「別に……そんなんじゃ」

「お前が今やるべき事は、ソファの上で後悔する事じゃねーぞ?現実を受け入れるか名誉挽回か。どっちかだ」


 人差し指と中指を順番に立てていく。

 頭では分かってる。けど……――


「彼女の恋をこのまま過去のものにしたくない……。けど、俺にはもう名誉挽回のチャンスすら無いんだよ……」

「ん〜こりゃ重症。……あ、そうだ!お前、会長の未来は、もう見えなくなったのか?」

「未来……?」

「いつだったか、言ってただろ?『相手に強い目的意識が無ければ未来は見えない』って」

「もう、終わったんだぞ?見えるわけ――――っ!!」


 いや、あの日、会長の去り際に俺は未来を視た。悲しくて、胸が張り裂けそうなほど苦しい未来を。

 猛は、ニヤリと俺を見て部室の入口を指さす。


「ほら、行ってこいよ。灯織先輩の前で駄々こねてこい。運が良ければよしよしして貰えるかもだぜ?」

「んなことしないよ。けど、うん。行ってくる」


 自分でもびっくりするくらい、身体が軽かった。さっきまで、ソファが俺を掴んで離さないが如く身体が動かなかったのに。


「ありがとう、猛」

「おう。あ!あと一つアドバイス」

「役に立つものを頼む」

「お前は昔から理屈で考えるからな。だから――――バカになれ」

「んだそりゃ」


 肩をすくめて猛から、星園先生へ視線を移す。


「先生もお話聞いてくれてありがとうございました」

「えっ?ううん!むしろ、私は空気だったというか……?」

「あかりん先生はいるだけで空気が綺麗になるから」

「もうっ!それどういう意味?あと、星園先生ね!」


 お決まりのやりとりを見届けてから、部室を飛び出す。

 迷いは無かった。『バカになれ』この言葉が俺の中から迷いを取り払っていた。

 生徒会室に向かう道すがら、俺は携帯であるものを予約し、灯織会長の説得するため生徒会室に足を向けた。

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