第11話 変わらない未来
「噂通り雰囲気のいいお店だったね?」
「料理も美味しかったし、スタッフも感じよかった。ただ、少し気圧されてしまったよ」
「少し気合い入りすぎてたかも」
本格的なダイニングレストランで、少し贅沢なディナーを終えて店を出た。
和彦君は、私の率直な感想に照れくさそうな笑顔で答える。
この笑顔を見る度、心にじんわりと温もりが広がっていく。
私と和彦君の家は、歩いて五分ほどの距離。
電車を降りてからも、二人で肩を並べて歩く。
(もう、終わってしまうな……)
楽しかった日は瞬く間に過ぎ去ってしまう。この時間が永遠に続けばいいのに――と、幾度も思った。
充足感と寂寥感が心の中でグルグルと掻き回され、自然と足取りが重く感じてくる。
気分を変えるために夕陽を眺め、今日のお礼を言葉にする。
「今日は楽しかったよ!日本一大きいと銘打つだけの事はあった。展示物が充実していた美術館だったね」
「そうだね」
「あそこは、展示品の入れ替えはあるのだろうか。あるなら、また行きたいな」
「……あぁ、そうだな」
「次はどこが良いかな。県を跨ぐのも良いかもね、県によって趣味嗜好が違うかも」
「………………」
返事が無いので隣を見ると、和彦君の姿がない。
「冬華。話がある」
後方から聞こえる。覚悟を決めたかのような少し低めの声。
ドクリッと心臓が跳ね、僅かに頬が緩んできた。
(ふふっ……。そういう事か)
てっきり振られてしまうからと、告白を思いとどまらせたのかと思ったが……。
随分と粋な計らいをするじゃないか、私の後輩は。
「なに?和彦君、そんなに改まっ……て……?」
舞い上がる気持ちを抑えてクルリと振り向くと、瞳に映ったのはいつもの穏やかな表情――ではなく、申し訳なさそうな表情だった。
「冬華と会えるのは……今日が最後なんだ」
「………………えっ?」
「実は――――」
私にとっては、永遠にも感じた長い告白。
最悪で……私の望まない告白だった。
「本当に……ごめん」
「よ、良かったじゃないかっ!和彦君……ずっと言ってたもんね!……だから……うん、そっか……――――っ!」
「冬華っ!」
私の意思に反して、身体は行く宛てもなく駆け出していた。
◇◇◇◇◇
「ゼェ……ゼェ…………ゲホッ……」
どれくらい走ったか分からない。喉が痛い。肺がねじ切れそう。脳に酸素が回らなくてクラクラする。
塀に手を付きながらヨロヨロと当てもなく、迷い込んだ閑静な住宅を歩く。
歩いて……歩いて……そのうち、小さな廃れた公園を見つけた。錆びた遊具が二つしかなく、雑草が無造作に生えている。人の気配が全くない……誰も彼もから忘れさられた独りぼっちの公園。
その雰囲気に誘われて、公園に足を踏み入れ、錆びたベンチに腰を下ろす。
息が整って落ち着いた途端、襲いかかってくる後悔、悲しみ、虚無、そして……僅かな怒り。
私は、ショルダーバッグから携帯を取りだし、LIMEでメッセージを送る。
『今から会って話がしたい』
◇◇◇◇◇
「なん……で……?」
メッセージと一緒に添付されていた現在地へ急ぐと、俺にとって最悪な現実を目の当たりにすることになった。
住宅地、寂れた公園……そして、ベンチで項垂れる灯織会長の痛々しい姿。
「会長……。大丈夫……ですか?」
「ずっと……君のことを考えていた」
聞いた事のない地を這うような底冷えする声に、ゾワリと背筋が凍る。
「君は……こうなることが分かっていたんじゃないかって」
「え……?」
「君に相談を始めてから、面白いくらい事が上手く進んだ。それはもう……順調と言えるくらいに」
俺に目を向けず、淡々と話し始める。
「もしかして、君には私の未来が見えてたり……するんじゃないかと考えてた」
「…………っ!」
「こんな荒唐無稽な話をしている自分に驚いている。……それで、どうなのかな」
たしかに、灯織会長の荒唐無稽と言う推察は正しい。
でも、この現状を前にして否定も肯定も出来なかった。
「否定……しないのか。そうか……君は……っ!」
灯織会長が、ガバッと顔を上げる。
その表情を目の当たりにした瞬間、ゾクリッと血の気が引いていく。
綺麗なアーモンドアイの瞳は研ぎ澄ましたナイフのように鋭く、可憐な唇は、何かを堪えるようにキュッと引き結ばれていた。
「こうなる事が分かってたから……私に気持ちを伝えるなって……言ったのかっ!?」
「違う……俺は――」
「君は……私に振られる事すらさせてくれないのかっ!この気持ちは……っ!どうすればいいんだ!」
「…………え?」
振られることすらさせてくれない?
「ちょっと待ってください!どういうことですか?告白をしたから……こんな状況になってるんじゃ……?」
「君は本当に意地の悪い男だっ!知ってるくせに、私の口から言わせるのかっ!?あぁ、良いとも!聞かせてあげるよっ!」
彼女の口から語られた真実に、俺は言葉を失った。
明石さんが長らく希望していた部署への配属が決まったこと。
その部署は、二つ隣の県にある本社にしか存在しないこと。
異動にあたって引越しが必要になること。
「和彦君は、明日ここを発つ。最後にやり残した事を考えた時、『私が行きたいと言っていた美術館に連れていくこと』だったらしい」
そして……灯織会長とは、もう会えないことを伝えられた。
「君は、最初から叶うはずのない恋のために頑張ってくれてたんだよね」
「っ!ちが――」
「きっと……叶わないなりに、楽しかった思い出を作ってあげようって……。そう思ってくれてたんだよね?」
「俺は……会長の……ために……ッ」
絞り出すように、なんとか言葉を発した。けれど、最後まで言い切ることは出来なかった。
「君に相談を持ちかけたことを後悔したことは、ただの一度もなかった。けど、今日初めて後悔しているよ」
「………………」
「君のアドバイスが的確だったからかな。いつの間にか、君のアドバイスに頼りきりになっていて、自分の心の声を聞くことを放棄していた」
立灯織会長は立ち上がると、俺の横まで足を進め、立ち止まる。
「私の恋愛相談は終わりだ。今日までありがとう。この失敗を次に活かしてくれ。それじゃ、私は帰ることにするよ」
「っ!会長っ!」
なにか考えがあった訳じゃないが、反射的に手を伸ばしていた。
それでも、会長は俺の呼び掛けに振り返りもせず、伸ばした手は空を切る。
けれど、指先が一瞬会長の手に触れ、意図せず未来の映像が脳に流れ込んでくる。
「ッ!!そんな……」
それは、灯織会長のありふれた日常の一コマ。
だけど、あまりにも悲しくて、心がはち切れそうなほど苦しい光景が見えた。
未来の映像が終わると、寂れた公園の風景が視界を埋め尽くす。
もう、後悔しても遅い。遅いのに……自分を責められずにはいられない。
どうして、灯織会長の想いだけで……恋が成就できると思っていた?
なんで、明石さん側の立場で考えられなかった……?
「〜〜〜〜ッ!ク……ソ……クソッ!クソッ!クソ……クソォ!!」
感情のままに叫び、拳を振り上げる。
それすらも虚しく感じ、拳を叩きつけることは無かった。
「どうすりゃ……良かったんだよっ!そんなのありかよっ!」
結局、灯織会長が『告白しても』『告白しなくても』俺が視た未来は変わらなかった。
あれは、灯織会長だけの行動で決まる未来じゃなくて、他人の行動・意思も交わって定められた未来。
始めから変えられない、詰みの未来。
…………いや、詰みにしたのは俺か。
結局、昔みたいに淡々と視えた未来を告げるだけで良かったのか……。
いや、そもそも力さえ使わなければ……。
「はぁ……。俺も帰ろ」
やるせない気持ちと激しい罪悪感を背負い込んで、公園を後にした。
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