第8話 改善と進展

 翌日の放課後、灯織会長は思い詰めた表情で部室を訪ねてきた。

 パイプ椅子に座ると、はぁ――と、重いため息をつく。


「えっと……変化ありましたか?」

「……残念ながら」


 灯織会長はフルフルと首を横に振り、進展が無いことを伝える。

 もしかしたら、相手から連絡が――なんて都合のいい展開にはなっていなかった。


「昨日、連絡してみようと思ったんだ。……けど、なんてメッセージを送ればいいか分からなかった」

「会長……」

「あまりにも都合が良いなって。君との時間を楽しんでいたくせに、和彦を目にした途端に罪悪感が湧いてきた。その罪悪感から目を背けるためにメッセージを送るなんて……」


 俺が思ったより、会長は自分を責めていた。灯織冬華本来の生真面目な性質がここに来て裏目に出ていることが見て取れる。

 それくらい、彼に対する気持ちが強いんだろう。


「自分の行動に責任を取れないのは情けないと思う。けど、聞かせてくれないだろうか。君の……考えを」


 灯織会長は、縋るような表情で俺を見る。それは、正直見ていられないほどに必死だった。


「一つだけありますよ。受け売りですが」

「……お願いだ」

「開き直っちゃいましょうっ!」


 パンッ!と手を叩き、努めて明るく声を張る。

 灯織会長は、驚いたようにビクリッと跳ね、目をパチパチと瞬かせた。


「見られていたとしても、会長が明石さんの事を好きな気持ちは変わらないんですよね?なら、問題ないと思います」

「君はそう言うが……。私の行動は、よく考えたら不誠実じゃないか」

「不誠実?」


 予想外の言葉に思わずオウム返しをする。


「好きな人がいると言っているのに、他の男の子と遊びに出かけた。この行為は、彼を想う気持ちとちゃんと向き合えてない証拠に他ならない」

「う〜ん…………」


 星園先生のようにスルスルと言葉が出てこないことに歯噛みをする。そうじゃないんだ――と伝えたいのに……。

 結局、俺には星園先生のようにスマートにやれそうになかった。


「不誠実……ですか。会長は、なにか下心があって俺を美術館に誘ったんですか?」

「し、下心っ!?そんなわけないだろう!」


 俯き気味だった顔を勢いよく上げた拍子に、ストレートな黒髪がファサッと大きく乱れる。

 それくらい、効き目があった。


「でも、会長の言ってることって、そういう事ですよね?明石さんのことは好き、でも、俺との仲も進展させておこう――みたいな」

「それは……ただの揚げ足取りじゃないか」


 ほんの少し、ムッとした表情で訴える灯織会長。


「灯織会長がそうじゃないと言うなら、不誠実でもなんでもない。灯織会長の休日に俺がくっついて行っただけです」

「……なら、このモヤモヤとした気持ちはどう説明する」

「会長は、明石さんの事を『裏切った』と感じているんじゃないですか?」

「裏切った……。うん。たしかに、その言葉がしっくりくる」


 俺の指摘に、少し考えたあとに頷いた。


「付き合っている訳じゃなくて、ただ好きなだけ。だから、会長は裏切ってなんていない」

「っ!だ、だが――」

「最近、会長は自身の恋愛に思うところがあったんじゃないですか?」


 灯織会長は、大きく目を見開いた。そして、泣きそうな表情で力なく笑う。美術館で見せたときのように。


「君は……凄いな。なんでもお見通しかい?」

「会長はわかりやすいですから」

「ふふっ……。君の言う通り、思うところがある」


 自虐的に笑い、ポツリポツリと話し始める。


「君に相談を始めてから、少しずつだがこの恋は進展した。十年間片想いをしてて、初めてそう実感してる」

「…………」

「でも、近づいたと思っても、彼はすぐに遠くに行ってしまう。届きそうで届かない距離がもどかしくて……もしかしたら、これが限界なのかもって思ってしまってね」


 だから、あのとき『手放せば楽になれるかも』なんて口にしたのか。


「そんな中で彼に見られて『良い雰囲気だった』なんて言われてしまった。諦めるには、良い理由だと無意識に思ったんだろうな」

「でも、会長は諦めきれてない」

「つくづく諦めの悪い女だ」


 フンっと自分を鼻で笑い、窓の外に目を向ける。その横顔は、恋に悩む年相応の女子高生の顔。


「会長は……きっと疲れてるんだと思います。だから、そんな後ろ向きに考えてる」

「疲れてる?そんなはずは無い。休養はしっかりとっているさ」

「そうじゃなくて……なんて言うか……恋愛疲れです」

「恋愛疲れ?そんな言葉は初めて聞く」


 怪訝な表情を浮かべて、視線を俺へと向ける。そして、ジッと俺の顔を見つめ、続きを待っていた。


「恋愛にも『疲れる』って概念があるらしいです。楽しい事だけが恋愛じゃない」

「…………続きを頼む」

「人は常に全力で走れない。限界があるから。恋愛も同じで、想い続けることは出来ても、その人だけを見続けるのには限界があるんです」

「………………」

「余所見するのは悪いことじゃない。むしろ、たまに余所見をしないと、その恋が枯れてしまう」

「………………」

「だから、会長も疲れてるのかなと。俺を誘ったのも、無意識にそれを理解してて、自分をリフレッシュさせたかったからじゃ無いのかなって」


 会長は、一瞬何かを我慢するように唇を引き結び俯く。そして――


「私は本当に未熟だな。美術館の時といい、今といい……君に支えられてばかりだな」


 顔を上げた会長は、どこか吹っ切れたように穏やかな微笑みを見せた。


「そのための『恋愛青春部』ですから」

「私もウジウジ悩むのは、これっきりにするよ。だから……よろしく頼む」

「はい。任せてください」


 差し出された右手に、俺の右手を重なる。

 ノイズが走り、俺の脳内は未来の欠片で埋め尽くされていった。



 ―――――



 ネックレス、イヤリング、ブレスレット、多種多様なアイテムが目の前に並んでいる。

 一つ一つを吟味するように見たあと、隣にいた久遠茅颯へ視線を向ける。

 久遠茅颯といくつか言葉を交わし、一つのネックレスを指さして、店員さんに声をかけた。


 ここで映像はプツリと切れる。



 ―――――



 また、俺か……。


「おかえり」

「は、はい。ただいま……です」


 目を開けると灯織会長は、フワリと舞う桜の花びらのような優しい笑顔で待っていた。

 その笑顔に一瞬ドギマギしながらも、思考に浸る。


 あれは……何を意味するんだろう。

 アクセサリー……だよな。

 灯織会長が付けるにしては派手だし、俺にプレゼント……なんて思い上がりも甚だしい。


 となれば、明石さん?もしかして、プレゼント?日頃の感謝か誕生日か……?だとしたら、アクセサリーはちょっと……


「会長」

「うん。なんだい?」

「もし、近いうち特別な買い物をするなら、相談役をやってくれる人と選んだ方が良さそうです」

「……?あぁ、わかった。そうするよ」


 少し首を傾げていたが、頷いてくれた。

 会長が部室から去ると、どっと疲れが押し寄せてくる。

 恋愛相談ってこんなにも疲れるものなのか……。

 だが、状況の改善・進展を肌で感じ、達成感で満ち満ちているのも確かだった。

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