第7話 好きであり続けるために……

 月曜日の放課後。


『恋愛青春部』の部室には、重苦しい雰囲気が漂っていた。

 理由は、土曜日に美術館で、灯織会長の想い人である明石和彦さんを見かけてしまったこと。こちらが見かけただけなら良かったのだが……――


「和彦君も私に気づいていたらしい。『良い雰囲気だったから声はかけなかった』と、言っていたよ」


 向こうも俺の存在を含め、灯織会長に気づいていたらしい。この事実がより一層、部室の空気を重くしていた。


「私はどうしたら良いのだろう……。連絡も君と美術館に行った日に彼からきたもの以外取れてない」


 この問いかけに返す言葉を、俺は持ち合わせていなかった。

 視た未来の映像をしっかり理解していれば、こんなことにはならなかった。

 いや、灯織会長からの誘いを断っていれば……。

 そもそも、俺が美術館について言及しなければ……。

 現状の打開策は思いつかないのに、この状況に陥った原因だけがポンポン出てくる。


「すいません。俺の行動が迂闊でした。こうなる可能性を考慮すべきでした」

「いやいや、誘ったのは私だ。美術館も日程も強引に指定したのだし、こうなった責任は私にある」


 お互いに非があると謝罪しあったが、現状の回復にはならず、再び沈黙が降りる。


「時間をくれませんか?もう一日だけ考えます」

「そうだな。たしかにこのままじゃ、無駄に時間だけがすぎるだけか。それならば、明日またここに足を運ぶよ」


 浮かない表情のまま、部室を後にした。

 灯織会長が部室から出ていくのを見届けると、パイプ椅子の背もたれに体重を預けるよう座り直す。


「俺が直接弁明するか?……それは、悪手だよな……」

「久遠君!新垣君!放ったらかしにしちゃってごめんねっ!全然、見に行ける余裕が出来なくて……――って、あれ?久遠君一人?」


 ガラガラと扉が開いたかと思えば、顧問である星園朱里先生が息を切らして入ってきた。細い眉を下げ、申し訳なさそうにしていたが、俺一人しかいない状況を見て首を傾げる。


「あ、はい。あいつ、サッカー部の助っ人に行ってて」

「そうなんだ!一人で寂しかったでしょう」

「いえ、子供では無いので寂しくはないですが……あ、そうだ。先生に相談したいことがあって」

「うんうん!良いよ!なんでも聞いてね!スリーサイズ以外なら答えてあげる!」


 生徒に頼られて嬉しい気持ちがあるのか、先生は気持ちの良い笑顔で承諾してくれた。どう反応すれば良いか分からない冗談も交えて……。

 ニコニコと待ち遠しそうにしている先生に、事の顛末を掻い摘んで説明する。


 一人の女の子から恋愛相談を受けていること。

 先日、二人で出かけたとき、女の子の意中の相手に見られてしまったこと。

 俺との関係を誤解されてしまったこと。


 そして、先生ならこういう状況の場合、どうするかを訊ねてみた。


「ふむふむ。それで、少し気まずいと」

「はい。先生なら、どうしますか?」

「う〜ん……。私なら、見られても今まで通り普通に接するけど?」


 頬に人差し指を当てつつ、首を傾げて答える。


「い、いや普通通りって……なんか都合良くないですか?」

「え?どうして?」

「だって、好きな人がいるのに、他の男と遊んでるんですよ?」

「それの何が悪いの?」

「…………なにってそりゃ……」


 星園先生は、言い淀む俺を見てクスリと笑う。


「もしかして、『裏切った』みたいに感じてる?」

「……はい」

「アハハっ!若いねぇ〜!『好き』なだけで『付き合ってる』んじゃ無いんでしょ?」

「まぁ……そうですが」

「なら、ちっとも裏切ってないと思うな」


 言われてみれば、たしかにそうなんだけど……。

 相手は、すごく真面目で責任感が強い灯織会長だ。灯織会長が、それで納得するかと言えば――――しないと思う。


「それにね?好きな人だけを見続けるのって、やっぱり疲れちゃうものなの。片思いならなおさらね」

「疲れる?……好きなのに?」

「例えば〜……久遠君に好きな女の子がいたとします!その女の子に必死にアピールしてるのに全然振り向いてくれないと、久遠君はどう思う?」

「それは……少し辛いかもしれないです」

「そうでしょ?」


 想像しただけで、僅かに心が締め付けられるような気分になる。灯織会長は……ずっとこんな気分だったのか……?


「人間ってずっと全力で走り続けられないでしょ?そんな事したらエネルギー切れを起こすし、身体も壊しちゃう。恋愛もそれと同じ」

「…………」

「だから、たまにはよそ見をする事も大事だよ。好きな人をずっと好きでいるためにはね?」


 星園先生の口調と表情はすごく穏やかで、教室で担任をしているときとは異なる印象を受けた。俺ら学生よりも色んな経験をしている大人な印象。


 星園先生の言葉を聞いて、美術館で灯織会長が見せた寂しそうな表情を思い出した。


 ――『もっと早く手放していれば、楽に生きられたかもしれない』


 そう零した灯織会長は、故障寸前だったのかもしれない。

 灯織会長を間近で見てきてわかった。学業と部活の両方で好成績を収める背景には、血のにじむような努力がある。


 きっと、恋愛にも全力で望んでいたに違いない。よそ見をせず、好きな気持ちを伝えても振り向いて貰えず、苦悩と葛藤を抱えて今日まで、その想いを抱えてきた。


「ありがとうございます。星園先生。どうすればいいか……わかった気がします」

「役に立てたようで先生嬉しいな。また、頼ってね?」

「星園先生って、ちゃんと先生なんだなって思いました」

「あかりん先生なんて呼ばれてるけど、ちゃんと先生だからね?ね?」


 と、念を押すようにジト目で見てくる星園先生は、担任をしているときの可愛くて親しみやすい先生に戻っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る