第6話 美術館巡り
「かなり……大きいですね。もう少し控えめなイメージでした」
見上げるほど大きいながら精巧なデザイン。
中世ヨーロッパに出てきそうな外観で、本当に美術館なのか疑ってしまう。
「そうだね。けど、これは控えめな方だよ?」
「え……?これでですか?」
「まぁ、大きさなんて、さほど重要では無いさ。それじゃ、入ろうか」
入館料を払ってパンフレットを受け取り、中で待っていた灯織会長と合流した。
白い壁面に絵画が等間隔で展示されており、黒い天井から吊るされた証明で美しく照らされている。館内は、外観よりもずっとシンプルな造りになっていた。
「ふふっ目が爛々と輝いているね」
「俺いま結構ワクワクしてます。早く行きましょう」
「そうだな。焦らずとも作品は逃げないが、時間は有限だ」
◇◇◇◇◇
灯織会長の楽しみ方は、美術作品に触れてこなかった俺には、独特とも言えるものだった。
一枚一枚の作品に大して十分以上もの時間を掛ける。そして、『この絵画のテーマはなにか』『画家は何を思い、この作品を生み出したのか』を考えていた。それを、俺に聞かせ、俺にも聞いてくる。
一つの作品と向き合う熱量が、他の利用客と段違いだった。
「この画家は、生涯でこの一枚しか作品を生み出していないと言われてる」
「え?……画家……なのにですか?」
「画家なのに……だ。だが、後世の人達は皆彼を『画家』だと認めている。何故だと思う?」
「名画を生み出したから……でしょうか。一枚でも描いてヒットさえすれば、画家ですから」
「ふふっ」
作品から灯織会長に視線を向けると、可笑しそうに口に手を当てて笑っていた。
俺の訴えるような視線に気づいたのか、小首を傾げニコリと微笑む。
「いやすまない。君らしい考え方だなと思ってね」
「……じゃあ、会長はなんでだと思います?」
「この一枚の作品だけで、彼を画家たらしめる要素が盛り沢山だからかな。それじゃあ、次の作品だ」
「……え、ちょっと待ってください」
灯織会長は、颯爽と次の作品へ向かう。
次の絵画は、見覚えのあるものだった。
「これは……『
「よく覚えていたな。そう、以前話した
画像と本物では迫力がまるで違う。本物には、存在感があった。
まるで、『画家自身』がそこにいるかのような。
ここに至るまで何枚かの絵画を見たが……この作品を見た瞬間、我ながら最低にも『気持ち悪い』と思ってしまった。
「彼の出生は、由緒ある一族で裕福な家庭だった。その分、家庭内でも社会からも、求められるものが多かったらしい。それもあって、幼少の頃から英才教育を受けていたのだとか」
「…………」
「だが、彼は求められるものを一切放棄し、画家の道に進んだ。何故だと思う」
「え、何故って……。画家としての才能があったから……?」
灯織会長は、絵画を一心に見ながら、さらに問いかけてくる。
「それも、一つの正解だ。だが、もっと、深く考えてみてくれ。君はこの作品を見たとき、何を感じた」
「…………気持ち悪いと……思いました」
「ふむ。気持ち悪いか。それはどうして?」
「なんでか……は、分かりません。ただ、絵の雰囲気だけを見て、そう思ったわけじゃない気がします」
同情か共感か。分からないが、それに近い感情をこの作品に抱いていた事は……確かだ。
視線を感じ隣を見ると、灯織会長は嬉しそうに俺を見ていた。
「悪くないよ。感じたことを言葉にするだけで作品の解釈は大きく変わる。その調子で行こう」
「は、はい!」
そう言って、次の作品へと歩みを進める。俺は、次の作品に移るその一瞬まで、『迷魂』から目が離せずにいた。
◇◇◇◇◇
その後も鑑賞と思考を繰り返し、美術館の半ばまでやってきた。
既にかなりの時間が経っていると思うのだが、不思議と疲労よりも楽しいと思う気持ちが勝っている。
順調に回れていたが、とある絵画の前で足を止める事になった。
一人の女性の肖像画。なんて事ない肖像画のはずなのに、足が地面と一体化してしまったかのように動けない。
「会長は、この肖像画をどう見ますか?」
「……………………」
「会長?」
「ん?あぁ、すまない。少しばかり没頭してしまった」
返事の代わりに、作品のタイトルを読み上げる。
「
「晩年は『その人の最期』。悔恨は『過ちを後悔すること』だね。私の前に君はどう思った?」
「俺は『愛』を感じました。後世に残したいと思えるほど、この女性を愛していたんだなって」
「愛……か」
ポツリと呟いたきり、再び黙り込んでしまった。けれど、すぐに沈黙は破られた。
「私は……彼は命の灯火が消える寸前まで、悩み迷っていたように感じる」
「悩み……迷う?」
俺の問いかけにコクリと頷く。
「この女性は、彼の奥さんでね。結婚をしてまもなく病死しているんだ。たしか二十代前半だったか」
「死別……してたんですか」
「奥さんの死後、彼は一度たりとも奥さんの名は出さず、他の女性とも関係を持つことは無かったらしい。そして、長い年月が経ち、彼が死に際に生み出した作品が……これだ」
「画家の背景は分かりましたが……。どこに悩み迷う要素が?」
灯織会長は、僅かに寂しそうな表情を浮かべて俺と視線を交じわす。
「奥さんへの想いをもっと早くに振り切れていたら、別の人生があったのでは無いか……ってね」
「それは……どうでしょう」
「一途に人を想い続けることは、他者の目から見れば美談となる。けど、当人にとっては美談だろうか?伝えられない想いを抱えて生きていく事は……きっと辛い」
「…………」
「もっと、早く手放していれば楽に生きられたかもしれない。苦しい思いをして生きなくても良かったのかもしれない――そう、悩み迷っていたのかもと思えてならない」
スっと視線を肖像画に向け、目を細める。
灯織会長が言うと重みがある。少なからず、自分との境遇と重ねているのだろうか。
「っと、すまない。こういう作品を見ると、センチメンタルな気持ちになってしまうな。次の作品に行こう」
肩をすくめ困った笑顔を向けると、歩きだそうとする。だが、灯織会長が歩き出すことは無かった。俺が、彼女の右腕を掴んでいたから。
「もっと早くに手放していれば楽になれた……なんて、俺は思わないです」
「……え?」
「想い続ける苦しみを手放したとしても、別の苦しみが襲ってくるはずです。それなら、苦しみながらも想い続ける方が……ずっと美しくて尊いと思います」
灯織会長の目が僅かに見開かれ、可憐な口の口角がほんの少しだけ上がる。
「ふふっ……私もまだまだだな」
「え?」
「私よりも二つ下の後輩に慰められるなんてさ。ほら、行くよ」
灯織会長が俺の腕を掴み返し、グイッと引っ張ってゆく。
美術館巡りも、案外悪くないなと思える時間を過ごした。
◇◇◇◇◇
「頭いたい……」
「最初は皆そんなものさ。特に、私と美術館に行く人はね」
ズキズキと響く頭を押さえ、無数の人達とすれ違いながら、白く磨かれた石階段を降りて行く。
気持ちを言語化し、ぶつけ合い、相手の感想も取り込んでまた思考。凄く有意義な時間を過ごせた気がする。
「それにしても、会長は凄いですね。ずっと喋りっぱなしだったのに平然としてる」
「君とは年季が違うからね」
「たしかに。会長も初めては――あれ?」
今のいままで隣にいた灯織会長が消えた。
振り返ると、二、三段後方で後ろを振り返ったまま微動だにしない灯織会長がいた。
「会長――」
その瞬間、全身に違和感が駆け巡る。
白く磨かれた石階段……行き交う無数の人間……身に覚えのない景色……。
俺はこの景色を事前に知っていた。状況を理解し始め、鼓動が少しずつ加速する。
「会長!今すぐここから――」
ここから離れなければと、灯織会長に駆け寄り手を伸ばす。
だが……――
「和彦……君?」
灯織会長の動揺は、すぐに俺にまで伝わり、浮かれた心が一瞬にして地に落とされた。
あのとき視た未来の映像は……ここだった。
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